第2話【我儘お姫様にさよならを】

「やだぁ!!」



 ――案の定、ネアは拒否した。


 メロウホテルへ一度戻ったユーシアとリヴは、女性陣に事情を説明してユーリの店に避難することを提案した。

 常識人なスノウリリィは安全面を考慮して提案を受け入れたが、ネアだけはユーシアに抱きつくと鳩尾に頭をグリグリ押し付けてきた。予想できていた被害だが、結構痛い。



「やだぁ!! おにーちゃんとりっちゃんと、はなれるのやだぁ!!」


「ネアちゃん、我儘を言わないの」


「やだぁ!!」



 諦めてくれるまで離すまいと、ネアはさらに強くしがみついてくる。


 こうなってしまったネアを引き剥がすのは、非常に難しい。強風が吹く劣悪な環境で超長距離狙撃を成功させる方が、ユーシアにとって遥かに簡単だ。

 幼い妹と接した時の経験をフル稼働しても、ネアを説得させるのは至難の業だ。彼女が我儘を言いたくなるのも分かるが、余計なものに狙われずに済むという面を見るとユーリに預けた方が安全だ。


 なおも鳩尾へ頭突きしてくるネアの肩を軽く叩き、ユーシアは「ネアちゃん」と優しい口調で呼びかける。



「お土産は何がいい?」


「……ねあ、おみやげいらないもん」



 ぐすぐす、と鼻を啜るネアは、若干震えた声で言う。



「おにーちゃんとりっちゃんがいれば、ねあはいいんだもん……」


「そう言ってもねぇ、これから行くことは危険なところだしねぇ。やることもちょっと危ないことだからねぇ」



 ネアの綺麗に整えられた金髪を指で梳くユーシアは、



「ネアちゃんに怪我されちゃったら、リヴ君が世界中の人間を皆殺しにしそうだし」


「え、殺しますか?」



 話題に出されたリヴは、ここぞとばかりに雨合羽の下から数多の暗器を取り出して殺意を主張する。彼なら本当にやりかねない。

 かつて人魚姫にネアが攫われた際には殺意をこれでもかと噴き出した邪悪なてるてる坊主は、ネアを傷つけられただけでも通行人を誰彼構わず殺しそうだ。もはや人災である。


 ユーシアは「止めようね」とやんわりと注意し、



「ネアちゃん、俺たちはすぐに帰ってくるから。だからユーリさんのところでいい子にしてて? お店を手伝ってあげてよ」


「やあぁ……」



 ユーシアのシャツに顔を押し付け、容赦なく涙で濡らすネア。


 これでは埒があかない。

 いつまで経っても引き剥がすことが出来ず、このまま拘束された状態になってしまう。金持ちが住まう『中央区画セントラル』に乗り込むには夜の方が最適であるが、この状態のまま夜を迎えたくない。


 仕方がない、ここは手荒な手段となってしまうが金の為である。


 ユーシアは静かにリヴへ手を差し出すと、物分かりのいい相棒のてるてる坊主は自動拳銃を渡してくる。

 スノウリリィが表情を引き攣らせるが、ネアの脳天に照準する。彼女にバレないように、引き金を引いた。



「みゅッ」



 可愛い声と共に、銃弾を受けた我儘お姫様はクタリとその場に倒れ伏す。


 銃弾を脳天に受ければ確実に死ぬが、ユーシアの弾丸は誰も傷つかない。現に銃弾を受けたネアは、すやすやと健康的な寝息を立てて眠っている。

 ユーシアの【OD】の異能力で強制的に眠りの世界へ旅立たせ、眠っているうちに移動させてしまおうという魂胆だ。これ以上ない素晴らしい作戦である。


 ユーシアは眠るネアをスノウリリィに押し付け、



「あ、連絡はしてきていいからね。ネアちゃんにも言っておいて」


「あの、絶対にネアさん怒りますよ」


「分かってるよ。怒られるの覚悟でやったし」



 それでも、このお姫様が安全な未来で生きていけるように、こうするしかなかったのだ。


 やれやれと肩を竦めたユーシアは、



「ご機嫌を取らなきゃ絶対に怒るよね。リヴ君、どうしよう」


「僕に聞かれても困るんですけど」


「薄情だなぁ」


「とりあえず甘いお菓子ですかね。偽物宝石商のところへ強盗に行くんですから、金ぐらいたんまり稼げるでしょうし」


「ご、強盗!?」



 スノウリリィが驚きのあまり声をひっくり返すが、抱きかかえたネアが起きてしまうことを考えて自分の口を自分の手で塞ぐ。


 ユーシアの異能力によって眠らされた相手は、ユーシアが望むままに眠らされる。朝スッキリと目覚めたい健康的な睡眠から、永遠の眠りまで幅広い。

 ネアの場合はそこまで強めにしていないので、せいぜい五時間程度で目が覚めるだろう。昼寝にはちょうどいい時間帯だ。


 ちなみにこの異能力、非常に便利なことに睡眠不足や不眠症の人間にも通用する。どんな人間でもぐっすりすやすやだ。ぶん殴られても時間まで起きない優れものでもある。



「そんな、強盗なんてダメです!!」


「どうして? いつも他人を殺したりしてるのに、強盗はダメなの?」


「殺人もダメですが、盗みもダメです!! お金稼ぎならもっと別の方法を――!!」


「この状況で?」



 リヴがスノウリリィに問いかける。


 ユーシアとリヴは、絶賛指名手配されている最中だ。

 そんな中でまともに働けると思うか。もしまともに働こうと思えば、警察に捕まることは間違いない。裏社会の仕事も受けられるはずもない。


 必然的に、他人から奪うしかないのだ。



「アンタが身体で稼いでくれるんなら別にいいんですけどね」


「うッ……そ、それで強盗を止めてくれるのであれば……」


「その考えは今すぐ捨ててください。アンタを働きに出したところで、稼ぎなどタカが知れてます」



 さすが元修道女である、自己犠牲も厭わないと言うのか。

 そんな銀髪メイドに辛辣な言葉を吐き捨てるリヴだが、彼なりの心配であることをユーシアは長年の付き合いで理解している。


 スノウリリィは「そこまで言う必要ないじゃないですか!!」と叫び、



「私だって元々は娼婦ですし、修道女です。社会人経験はお二人よりもありますよ」


「リリィちゃん、俺も一応はバイト経験とかあるんだよ?」


「えッ。最初から人殺しではないんですか? リヴさんのように」


「僕のことを何だとお思いで? 殺しますか? 八つ裂きにしますか?」



 雨合羽の袖から多種多様のナイフを取り出すリヴは、スノウリリィに笑顔で問いかける。「どのナイフで殺されるのがお望みですか?」と行動で示している。


 スノウリリィは非常に驚いた様子で、



「え、え? ユーシアさん、バイトの経験がおあり……?」


「俺のことを何だと思ってるの。学生の頃は普通にバイトぐらいはしてましたよ」


「ええー……」



 スノウリリィの生温い視線に物申したいところだが、ユーシアの携帯に着信があったことで現実に引き戻される。


 液晶画面には『ユーリ』という素っ気ない名前と、無機質な番号が並んでいる。おそらく迎えの準備が出来たのだろう。

 ユーシアは女性陣の荷物を代わりに持ち、



「じゃあ、行こうか」


「……ユーシアさん」


「ん?」



 眠るネアを抱えるスノウリリィは、心配そうな表情で言う。



「迎えに来てくれますよね? 本当に、ここでお別れじゃありませんよね?」


「強盗が成功したらケーキ買って帰るよ」



 普通ならあまり聞けないような台詞を吐き、ユーシアはスノウリリィの質問に対して曖昧な笑みで返した。



 ☆



 ユーリにネアとスノウリリィを預け、ユーシアとリヴはメロウホテルの駐車場に残した車を取りに行く。


 FTファミリーから盗んだものだが、そろそろ乗り換えるべきか。

 いっそのこと、廃車にしてしまうのはどうだろう。そうしたら『死んだ』と勘違いしてくれないだろうか。



「ところで、シア先輩」


「なぁに、リヴ君」


「シア先輩ってバイト経験あるんですね」


「リヴ君まで俺のことをバイトすらしたことのない箱入り坊ちゃんだと思ってたの?」



 本当に心外である。


 そりゃ養父から「別にバイトなんかしなくてもいい」と言われたことはあるが、社会経験を積むいい機会だと続けていたのだ。

 革命戦争が激化してバイトなどやっている暇はなくなってしまったが、それでも軍人も立派な職業だ。【DOF】に手を出す前は、真っ当な感性の社会人である。


 リヴは「ふぅん」と呟き、



「バイトすら出来なかったですね。シア先輩の言う学生時代は、すでに諜報機関に所属していましたから」


「学校は行ってなかったんだ」


「行ける暇なんてなかったですよ。だからまともな学歴なんてないです。文字の読み書きも、外国語も、全部『必要なことだから』と叩き込まれました」



 そんなことを平然と言うリヴは、



「社会不適合者でも構いませんよ。僕は今の方が楽しいですから」


「そうだねぇ。俺も今が一番かな」


「なので、さっさとアラジンの奴を殺しましょう」


「うん。――ところでリヴ君」


「何です?」



 足をピタリと止めて振り返ったリヴに、ユーシアは青褪めた顔で質問した。


 割と彼らにとっては重要な内容の、である。



「ネアちゃんのご機嫌取り、本当にどうしよう。心が折れそう」


「さっきまでの非情が嘘のようですね。『中央区画』で人気のケーキ屋に寄って帰りましょう。僕が責任持って変装しますので」


「アラジンのところに都合よく置いてたりしないかな……」


「あるのは偽物の宝石ぐらいですよ。あ、ティアラでも作らせますか」


「脅そう」


「そうしましょう」



 悪党二人にとって、指名手配されるよりもお姫様のご機嫌取りの方が遥かに重要度が高いのだ。

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