小話【例えば、こんな物語があったら】
「
「殺しますよ」
上司の呼び出しを受けた織部理央は、早速とばかりに暴言を吐いた。
今日はせっかくの休日だった。何日ぶりに取れたか分からない有給で、どうせなら怠惰に過ごそうと決めていたのだ。昼まで寝て、遅めの食事を摂り、撮り溜めていたアニメを観る予定だったのだ。
それが上司からのラヴコールによって、大切な有給が消滅した。労基に駆け込んで訴えてやろうか、と胸中で呪詛を吐く。
頭髪がやや寂しくなった上司を睨みつければ、彼は「まあそう睨むな」と肩を竦める。
「貴様に新人の教育を頼みたい」
「お断りします」
「ちなみに決定事項だ。拒否権はない」
「ふざけてんですか」
今にも飛びかかりそうな理央を無視して、上司は「入ってこい」と入り口に声をかける。
ガチャリ、と音がして扉が開く。
その向こうから現れたのは、
「どうも、初めまして」
くすんだ金髪に無精髭、高みから理央を見下ろす翡翠色の瞳。一見すると
馬鹿でかい箱を背負い、砂色の外套を翻す男は曖昧な笑みを浮かべて理央に挨拶をしてきた。
「ユーシア・レゾナントールです。よろしく」
「おっさんじゃないですか。新人って域を超えてますよ」
「お前さん、初対面の人間に『おっさん』は酷くない? まあ事実だけど」
自らをユーシア・レゾナントールと名乗った男を指差して、理央は上司に訴えた。
「レゾナントールは基本的に後方支援として使う。しばらくはバディを組んで使えるようにしろ。以上だ」
「いつか寝首を掻いてやりますからね……」
悠々と椅子に腰掛ける上司へ不穏な言葉を吐き捨て、理央はユーシアを連れて部屋を出る。
パタンと扉が背後で閉まる音を受け止め、理央は隣に立つユーシアを見上げた。
自分よりも身長が高く、また感情が読み取りにくい。諜報官には向かない人物だと思うが、どうやら後方支援を前提に育成する方針のようだ。
とはいえ、どうせ使う場面もないだろう。大抵のことは理央一人で解決できてしまう。
「後方支援って何するんですか。アンタ、自分の得意なことって分かってます?」
「もちろん」
毒のある理央の言葉に、ユーシアはやはり曖昧な笑みで返した。
「お前さんを失望させるような真似はしないよ」
☆
率直に言おう。
選択を間違えた。
理央にしては珍しく、本当に珍しく選択を誤った。踏み込まなければいいのに、必要以上に首を突っ込んでしまったのだ。
「全く、これでは逃げることすらままなりませんよ」
親指姫の【OD】を使って戦線から離脱することも考えられたが、敵の罠に嵌って袋小路に追い詰められる。
敵は筋骨隆々とした黒スーツの集団である。
肉体派な連中ばかりで、視界が非常に暑苦しい。筋肉ダルマどもには、さっさと人生という舞台から退散して欲しいものだ。
「観念しろ。お前が組織の連中だと知っているんだぞ」
「当てずっぽうに言ってません?」
「しらばっくれるなよ!!」
筋骨隆々とした野郎どもが、口々に理央を罵ってくる。
聖徳太子ではないので、一人一人の言葉を聞き分けられる訳がないのだ。ただ苛立ちを増すだけで、理央の苛立ちが増すと彼らの寿命も縮んでいく。
徐々に黒スーツどもは死の淵へ立たされているのだが、それを彼らは理解していない。本当に可哀想な連中だ。脳味噌まで筋肉に支配されてしまったのか。
ああもう、右腕か左腕なら犠牲にしてもいいから殺そうか。
邪悪なことを考える理央は、懐に忍ばせたナイフを握るのだが――。
「ぎゃッ」
短い悲鳴。
ドサリと倒れる一人の筋肉ダルマ。
うつ伏せで倒れた彼は、白目を剥いてぐーすかと眠りこけていた。
この場で安らかな寝息を立てて眠るとは緊張感がない、とは言えない。
強制的に眠らされたのは、素人目に見ても明らかだった。睡眠薬の類が投与された訳ではなく、もっと別の方法があるはず。
一体どこから、と理央が顔を上げれば、遥か彼方の屋上がチカリと光った。
「いでッ」
間抜けな声を上げた別の筋肉ダルマが、地面に沈む。
その彼の足元には、金色に輝く
普通の狙撃銃よりも大きいもので、対物狙撃銃で扱う規格のものだ。得物が対物狙撃銃とは、何ともえげつないブツを選ぶものだ。
筋肉ダルマが姿の見えない敵に警戒を見せるも、的確な狙撃によってバタバタと彼らは倒れていく。相手が見えなければ手の出しようがない。
数分と経たずに全ての筋肉ダルマがコンクリートの上で眠りこけるという結果に終わり、理央は無様に敗北した黒スーツの集団を見下ろす。
さて、彼らをどうしようかと処遇を考えていると、理央の携帯電話が着信を告げた。上司からのラヴコールか、と警戒するが、液晶画面に表示された番号は見覚えのない数字の羅列。
「もしもし」
『上手くいったかい?』
やや気の抜ける男の声に、理央は「ええ」と答える。
「狙撃がお上手な様子で」
『お褒めに預かり光栄だよ、先輩』
相手を
ここは一つ、先輩として威厳を見せる為に拳骨でも叩き込むべきだろうか。
そう決めた理央は「今どちらにいます?」と電話口に問いかける。
『見えてると思うけど?』
「――なるほど。やはりそうですか」
目の前のビルの屋上が一瞬だけ瞬いたのは、あれは見間違いでも何でもないのだ。
わざとやったのか、それとも偶然か。
いや、口調から推察するとわざとやった可能性が大いにあり得る。
「行きますね」
『うん、待ってるよ』
理央は一方的に通話を切り、目的のビルへ歩き出す。
確かに、新人は理央を失望させるような真似はしなかった。
正確無比な狙撃の腕前に、対物狙撃銃の薬莢。――理央の脳裏に、ある一つの可能性がよぎる。
かつて革命戦争と呼ばれた、人間と人間を辞めた麻薬中毒者による戦争。
敵の大将を討ち取って英雄と語られる功績を残したにも関わらず、表舞台から忽然と姿を消した『
そう言えば、その英雄の名前はユーシア・レゾナントールだったか。
☆
雑居ビルの屋上では、純白にカラーリングされた対物狙撃銃を抱えるユーシアが理央を出迎えた。
短くなった煙草を足元に落とし、燻る炎を踏み消す。
煙草独特の臭いが鼻孔を掠め、理央はひっそりと眉根を寄せた。あまり煙草は好きじゃないのだ。
「その様子だと、俺が誰だか分かってるようだね」
「ええ、まあ」
理央の本職は諜報官だ。重要機関に忍び込み、情報収集と敵の暗殺が主な仕事の内容だ。
それ以外にも色々とやったりするが、長くなるので割愛する。
当然ながら、ユーシア・レゾナントールという男の情報も掴んでいた。
かつて革命戦争を制した、革命阻止軍に所属する狙撃兵。数々の作戦を成功させ、仲間の背中を守った天才狙撃手。その命中率は脅威の百発百中を誇り、どんな相手でも眉間を貫ける腕前を持つ。
純白にカラーリングされた対物狙撃銃を扱うことから、別名を『
そんな有望株が、何故こんな裏の世界に堕ちてしまったのか。
「アンタ、目的は何ですか。死に場所でも求めてるんです?」
「端的に言えば、復讐かな」
純白の対物狙撃銃を馬鹿でかい箱にしまいながら、ユーシアは言う。
「俺ね、家族をアリスの【OD】に殺されたんだ。ここって色んな情報が手に入るんでしょ? だから、手っ取り早く情報が掴めると思って」
翡翠色の瞳の向こうで、底の知れない闇が顔を覗かせる。
口調こそ真面目ではなく、むしろふざけた印象にしか見えない。
それでも彼は十分に狂っている。この汚れた裏社会に、進んでやってくるぐらいに。
理央は声を押し殺して笑うと、
「育成なんか必要ないですよ。もう十分に、頭のおかしな組織の一員です」
「判断が早すぎない?」
「いいんですよ。だってアンタ、人殺しですもんね」
ユーシアは理央の無邪気な言葉に「そうだね」と返す。
まるで、それが当然だとでも言うかのように、非常にあっさりとしていた。
「僕は
「理央君って呼んでもいいかな。呼び捨てはちょっと慣れないかも」
「君付けは新鮮ですね、まあいいでしょう。これからよろしくお願いしますね、ユーシアさん」
頭のいかれた世界に足を踏み入れた元英雄を笑顔で受け入れ、理央は「じゃあ、帰りましょう」と言うのだった。
これは、そんな未来があったかもしれないという仮定の物語。
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