第8話【叶うなら、君と酒盃を酌み交わしたい】

 不思議と足取りが軽い。


 調香師の皮を被った詐欺師が超高層ビルの最上階から転落死し、警察と野次馬が集まっていた。

 ブルーシートで覆われた道を警察が死体を担いで進んでいき、野次馬どもが「怖いわ」「やっぱりあの二人じゃないの?」などと噂する。事実、その通りなのでリヴは特に何も言わなかった。


 それよりも、今日は機嫌がいいのだ。


 カツン、と高いヒールを鳴らしながら帰り道を辿る。

 次は自分かもしれない、という恐怖で怯える一般人の横を、鼻歌を奏でながら通り過ぎる。機嫌の良さが足取りにまで表れている。



「――♪ ――♪」



 自分の推しアニメの主題歌を口ずさみながら、リヴはメロウホテルまで戻ってきた。


 綺麗にライトアップされた貝殻のオブジェの前を通過し、何でもない様子で自動扉を潜る。

 人も疎らになってきたロビーに足を踏み入れた彼は、設置されたソファに見慣れた男の背中を発見した。


 砂色の外套にくすんだ色合いの金髪、やや丸まった背中は草臥くたびれた仕事帰りの男という印象を与える。実際、彼は仕事帰りなので表現は間違っていない。



「ふふふ、驚かせてやりましょう」



 完全に背中を見せているので、きっと気づいていないはずだ。


 リヴはニヤリと笑うと、抜き足差し足で男の背中に近づいていく。

 あと数歩で相手を驚かせることが出来ると思ったが、やはり相棒たる彼はどこまでも優秀な狙撃手だった。



「お帰り」



 彼は――ユーシアは、背中を向けたままリヴに言う。



「……見えてるんですね」


「視野は広い方だよ、俺」



 背中越しにこちらへ視線を投げてくるユーシアは、少し自慢げに笑っていた。


 リヴは「つまらないですね」と返し、ユーシアの隣にどっかりと腰掛ける。

 周囲の視線があるので、所作だけは女性らしさを貫く。早くこのドレスを脱いで、いつもの黒い雨合羽レインコートに戻りたいところだった。



「お疲れ様」


「ええ、疲れました。いつもはサックリ殺しているんですけど、誘惑させることを前提で行ったので」



 だが、高所から落ちていくウルスラの最期の表情は無様で、思い出しても笑いを唆る。たまにはじわじわと苦しめて殺すのも、悪くはないのかもしれない。


 思い出し笑いをするリヴの頬へ、唐突に冷たい何かが襲来する。

 弾かれたように隣を見れば、缶ジュースを頬に押し当ててくるユーシアと目が合った。彼の手にも缶コーヒーが握られていて、すでにプルタブは開けられていた。


 労う為の報酬だと判断し、リヴは素直に「ありがとうございます」と告げて缶ジュースを受け取る。


 ぷしゅり、という空気が抜ける音が耳朶を打つ。

 冷たい缶に口をつけ、人工的に甘みを与えられたジュースを喉へ流し込んだ。しゅわしゅわとした炭酸の刺激が心地よく、思わず「くうッ」と唸ってしまう。



「やっぱりジュースは最高ですね」


「リヴ君、今のおっさん臭かったよ」


「シア先輩の真似ですよ」


「ええー、俺ってあんな感じなの?」



 ユーシアは苦笑し、缶コーヒーを啜る。



「ごめんね、リヴ君」


「何がです?」



 急に謝罪の言葉を口にしたユーシアに、リヴは割と本気でそんな答えが出てしまった。


 謝られるようなことをされた記憶はない。

 もしかして、頬に冷たい飲み物を押し当てられたことに対する謝罪だろうか。あんなことをされても、別にユーシアやネアなら怒らない。スノウリリィは、まあ、その時の気分にもよるが。



「ピノキオの異能力で迷惑をかけちゃったでしょ」


「そんなの、いつものことじゃないですか」


「いつものことかぁ」


「あんな感じでしたよ。出会った当初も、アイツを殺す前も、ピノキオの嘘に狂ったあの時も」



 リヴにとっては見慣れた光景だ。


 かつて、ユーシアは「アリス」という名前を引き金に頭をおかしくしてしまうほど発作が酷かった。【DOF】による弊害だと思うが、何より家族を殺された恨みが根強かったのだ。

 今でこそ復讐は達成し、鎖から解き放たれた状態で生きている。復讐を終えた途端に自害しようと企んでいたようだが、リヴが全力で止めた。


 死なせないし、殺させない。

 リヴは、彼を絶対に生かすと決めているのだ。


 缶ジュースで喉を潤わせつつ、リヴは言う。



「自分の手で殺したと言っても、まだ実感は湧きませんよね。僕も組織を抜けた時は、諜報官の時の癖が抜けませんでしたし」


「今も変わらなくない?」


「何を言いますか。昔は、出会い頭に他人を殺すことなんて当たり前でしたからね」


「…………今も変わらなくない?」



 ユーシアが真面目な表情で応じる。


 そういえば、まあ今も変わらないような気がする。

 初対面の人間でも平気で殺そうとするし、何なら毒の代わりに殺意を振り撒く始末だ。今の方が酷いかもしれない。


 それでも、今の方が諜報官時代よりも何倍も楽しいのだ。


 中身が少なくなってきた缶を揺らして、リヴは「あーあ」と呟く。



「僕もお酒を飲みたかったです。早く大人になりたい」


「リヴ君って意外と律儀だよね」


「ここまで来ちゃったら、もう二十歳まで我慢しますよ。バーに忍び込んだ時だって注文したけど飲みませんでしたし」


「リヴ君はあまりお酒に強くないイメージだなぁ」


「意外と強かったりするかもしれませんよ?」


「お、そんなこと言っちゃう? だったら――」



 ユーシアは空っぽの缶コーヒーを片手に、笑ってみせた。



「お前さんの二十歳の誕生日には、お祝いにおじさんがお酒を奢ってあげよう」


「わぁい、ぜひお値段が高いところでお願いします」


「うわ、リヴ君って強かだなぁ。俺の財布に攻撃してくるとは」



 でもまあ、と二人で口を揃え、



「「それまでに生きていられたら、だけど」」



 常に危険と隣り合わせ、いつ死ぬかも分からない。

 今日は生きても、明日になれば死んでいるかもしれない。


 ユーシアとリヴは、そういう世界に生きているのだ。


 とはいえ、簡単に死んでやるつもりは毛頭ない。

 裏社会を牛耳るFTファミリーも、残すところあと四人。最後に、あの女王陛下さえ殺せばこちらの勝ちだ。



「さあ、リヴ君。次は誰を殺そうか」


「次に喧嘩を売ってきた相手にしましょう」



 缶ジュースを一気に呷り、リヴは続ける。



「だって、その方が面白いでしょう?」



 その言葉は、まるで当然だとでも言うかのような響きを孕んでいた。

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