第3話【嘘吐きピノキオの鼻を折れ】

 SNSはお祭り騒ぎの状態と言えた。


 ネット界隈で大人気の香水を購入した人が、次々と殺されているのだ。

 しかも香水を購入した人間を探して回っているのが、あの指名手配されている悪党二人だ。


 彼らから逃れる為に売り出された香水が、これでは意味を成さない。

 ピノキオの香水部屋は、瞬く間に炎上することとなった。検索すれば悪口や批判がずらずらと並んでいて、とても面白い状態になっている。



『香水を買った人間を、あの二人が探している』


『これじゃ買った意味なんてないじゃない!!』


『不良品を掴まされた、金返せ!!』


『まだ死にたくない!!』



 携帯電話の液晶画面をスイスイと指でなぞり、ユーシアは「あはは」と楽しそうに笑う。



「ネット上はお祭り騒ぎになってるよ」


「みたいですね」



 リヴもまた液晶画面に指を走らせて、SNSを閲覧している。


 しかし、彼が使っている携帯電話は自分自身のものではない。

 先程殺したばかりの女性が使っていた携帯電話を無断で使用し、SNSでは彼女のアカウントを覗き見している状態だ。彼の尻では、掻き切られた首から血がダバダバと流れる女の死体が座布団よろしく敷かれている。


 やや血に濡れた手袋で携帯電話を使っているものだから、液晶画面が赤く汚れてしまう。赤く染まって見えにくくなるが、リヴは気にした様子も見せずに検索画面で文字を打ち込む。



「ピノキオの香水部屋が荒れに荒れてますよ。閉鎖も目前ですね」


「じゃあ、そろそろ頃合いかな」



 香水の購入者も結構殺した。

 もうそろそろ、次の段階へ進んでもいいだろう。


 携帯電話を砂色の外套へしまい、ユーシアは「どっこいせ」と立ち上がる。



「リヴ君、ピノキオの居場所は掴めてる?」


「もちろん」



 リヴは女性の携帯電話を放り捨て、



「では、ピノキオの鼻を折りに行きましょうか」


「リヴ君? その鍵は一体何かな?」



 車の鍵とは違った鍵を手にしたリヴは、血塗れのキーホルダーに指を引っ掛けてくるくると回す。動きに合わせて、金具がチャリチャリと小さな音を立てた。


 ユーシアが指摘すれば、リヴは「これですか?」と鍵を一瞥する。



「この女の持ち物ですね。バイク乗りだったみたいです」


「リヴ君、バイク乗れるの?」


「乗り物でしたら何でも運転できますよ。飛行機もハイジャックを想定して運転するように叩き込まれましたし」


「…………リヴ君が所属してた諜報機関って、超人でも作り出してんの?」



 ユーシアがジト目で優秀すぎる相棒を見やれば、彼もまた「シア先輩だって同じじゃないですか」と返す。



「どうやって育ったら百発百中の狙撃が出来るんですか。裸眼でいくつですか」


「両眼で2.0以上だね。生みの親が猟師だったから、子供の頃から重火器の扱いは慣れてるよ」


「…………レゾナントール家って超人ですか?」


「超人だったら今頃墓の下で眠ってないよ」



 それに、ユーシアだってタダで済むとは思えない。


 不思議なお薬に手を出した挙句、異国の地で犯罪ばかり起こしていれば生みの親であれば猟銃片手に突撃しかねない。実の息子だろうが何だろうが、相手は発砲していたことだろう。

 心の底から「生みの親が墓の下に眠っていてよかった」と思った瞬間だった。センチメンタルな気分になるどころではなく、何故か寒気がする。


 ぶるりと身体を震わせたユーシアは、気を取り直して「じゃあ行こう」と言う。



「でも俺、バイクの免許は持ってないんだよね」


「奇遇ですね。僕もなんですよ」


「君、車の免許も持ってないじゃん」


「今更取れると思います? 絶対に捕まりますよ」



 現在、絶賛指名手配中なので教習所に通えば捕まることは間違いない。


 それに、リヴの運転技術は車で証明されている。

 本人も自分の運転の腕前には自信があるようだし、信用してもいいだろう。


 部屋の隅に積まれたヘルメットをユーシアに投げたリヴは、



「行きましょうよ」


「振り落とさないでね。あとリヴ君はノーヘルなんだ」


「僕には雨合羽レインコートのフードがありますので」



 目深に被ったフードをヘルメット代わりにして笑うリヴに、ユーシアはやれやれと肩を竦めた。



 ☆



 ピノキオの香水部屋があるビルには、香水の購入者らしき人々が大勢押しかけていた。


 入り口に常駐している警備員が、暴動を起こす購入者を何とか押し留めている。だが、彼らの力が尽きるのも時間の問題だ。

 誰も彼もが香水の瓶を掲げ、警備員の向こう側まで届けとばかりに罵声を上げる。



「金返せ!!」


「詐欺師!!」


「ふざけんな!!」



 しかし、これだけ騒がしくしていても経営者たるピノキオは出てこない。


 お祭り状態になっているビルの入り口まで差し掛かったユーシアとリヴは、盗んだバイクを一時停止して互いに顔を見合わせる。

 これではビルに入ることが出来ない。購入者を次々と殺したことで他の購入者の不安を煽ることには成功したが、ここまで騒がしくなるとは想定外だった。



「どうする?」


「裏手に回ってみますか」



 バイクを駐車して、ユーシアとリヴはビルの裏手に回る。


 建物の裏口に回っても、表側の騒がしさが伝わってくる。

 幾重にもなる罵声に顔を顰めたリヴは、ボソッと小さな声で「殺したいですね」と呟く。雨合羽の袖から垣間見えたのは、黒いパイナップルのようなものだった。


 手榴弾を握りしめて殺意を漲らせるリヴに、ユーシアは「まあまあ」と宥める。



「これだけ指名手配中の犯罪者が近くにいるのに、気づかないお馬鹿さんたちを相手にする必要はないよ」


「シア先輩がそう言うのであれば、まあ見逃してやります」



 するりと黒いパイナップルを雨合羽の袖の中に戻し、リヴが「でも」と続ける。



「『あー、手が滑ったぁ』的な展開はアリですか?」


「アリです」


「よっしゃ」



 フードの下で凶悪に笑うリヴは、見えてきた裏口の扉に手をかける。


 ドアノブを捻るが、案の定、鍵がかかっていた。やはり簡単にはいかないらしい。

 リヴは扉の前にしゃがみ込み、鍵穴に針金を突っ込む。華麗にピッキングをこなして、施錠された裏口を簡単に開けてしまう。


 キィィ、と小さく蝶番の軋む音が耳朶に触れる。

 純白の対物狙撃銃を構えて内部を確認し、ユーシアは「クリア」と告げた。



「格好いいですね」


「つい軍人の癖が」


「狙撃銃以外も使えるんですか?」


「機関銃も使えるし、何だったらアーチェリーも使えるよ」


「凄いですね。機関銃とか仕入れたら使ってくれますか?」


「お前さんって暗殺者から武器商人に転職したの?」



 呑気にそんな雑談をしながら、ユーシアとリヴはビルのエレベーターホールまでやってくる。


 エレベーターホールの前に、駅の改札機のような装置が待ち構えていた。

 どうやらビルのカードキーを使わないと入れない仕様になっているが、絶対に入れない訳ではない。駅の改札機程度の高さしかないのだから、簡単に飛び越えられてしまうのだ。


 飛び越えた瞬間に警備員がすっ飛んでくるシステムになっているのだろうが、入り口で暴徒と化した香水の購入者どもの対応に忙しい彼らは、侵入者の存在に気づくことはない。



「ん?」


「どうしました?」


「エレベーターが降りてきてるね」



 四つあるエレベーターの上部には、何階に停まっているのか確認できるランプが点滅している。


 三つのエレベーターはピクリとも動いていないが、一つだけ一階に向かっているエレベーターがあった。

 右側奥のエレベーターからチンという音が聞こえてくると同時に、やたら着飾った鼻の高い男が転がり出てきた。


 ワックスで髪を撫で付け、高い鼻の下には憎たらしいちょび髭が生えている。やけに細身の男は遠目でも分かる派手な紫色のスーツを身につけ、如何にも成金らしい格好と言えた。

 あの香水の通販サイトに表示されていた、鼻を折ってやりたいと全力で思った男だ。



「はあ、全く……我輩が詐欺師とか不名誉にも程があるのである。我輩は女王陛下が疎ましく思っている指名手配の連中を利用しただけなのに……ブツブツ」



 何やら文句を呟く男はカードキーで改札機を通り抜け、



「こんにちは、憎たらしい匂いをしてますね」



 リヴが背後から男に忍び寄り、やたら高い鼻を鷲掴みにした。


 男が「ひにゃッ!?」と驚くのも束の間のこと、真っ黒なてるてる坊主は問答無用で男の高い鼻を折る。

 ぼきッ、という嫌な音がかすかに聞こえてくると共に、男の情けない悲鳴が劈いた。



「ひぎゃああああああああッ!!」


「わははは、もういっちょ折ってやりますよそーれ」


「いたッ、ちょ、何であるかぎゃああああああああああッ!!!!」



 泣き叫ぶ男など知らんとばかりに、リヴは嬉々として彼の高い鼻をバネみたいに折っていく。


 邪悪なてるてる坊主の手によってボキボキに折られる鼻を、ユーシアは「わあ、痛そう」とまるで他人事のように見ていた。実際、他人事なので痛くも痒くもないのだ。

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