第4話【騙され狂った眠り姫】

「シア先輩、どうしますこれ」



 リヴがユーシアの前に引きずってきたのは、ご自慢の鼻がボキボキに折れてしまった男だった。無残な姿に変貌を遂げた男を大理石の床に叩きつけ、彼は背中を踏んづけて逃亡を阻止する。


 一応、ユーシアは純白の対物狙撃銃を男に向けて、いつでも撃てるようにする。

 ユーシアにしか見えない幻想の少女が男の側にしゃがみ込み、折れた鼻を不思議そうに観察していた。「そんなばっちいものに触るんじゃない」と義兄としての忠告が漏れそうになってしまう。



「んー、どうするって言われてもねぇ」



 ユーシアは男を見下ろし、



「殺すしかないよね?」


「ですよね。殺しますか」


「ま、待つ、待つのである!!」



 リヴに踏みつけられる男が、唾を飛ばしながら命乞いをしてきた。



「我輩は、かのFTファミリーでも重要なポストにいるのである。我輩を生かしておけば、女王陛下との交渉材料になるのである!!」


「交渉するつもりなんて、最初からないよ」



 というより、大して見目もよくない野郎の身柄を交渉材料に使ったところで、何か意味でもあるのだろうか。


 ユーシアとリヴは、自由気ままな悪党である。

 ただ他人を理不尽に殺戮し、立ち向かってくる悪党も殺害し、巨大組織でさえも邪魔するなら蹴散らすまでだ。こっちが命乞いをするなんて以ての外である。


 重要なポストにいるならば、その首を手土産に本拠地へ乗り込んでもいいのだ。というか、その方が楽しそうだ。



「リヴ君、そいつの首を落としちゃいなよ。その首を手土産にして、女王陛下に謁見でもしに行こうか?」


「最高ですね。その方が面白そうです」


「だよね。あ、眠らせようか?」


「麻酔ですかぁ? シア先輩は随分と慈悲深いんですね。僕なら麻酔なんかしないで、恐怖を煽りながらチェーンソーでぶった切りますけど」


「わあ、リヴ君は容赦ないね」


「不細工な奴に容赦なんていります?」



 どうせ反撃なんてしてこないだろう、と思っていた。


 この男がピノキオの【OD】だったとして、獲得した異能力なんてタカが知れている。

 ピノキオは鼻が長いだけの人形以外に、何か特別な意味はあっただろうか? 名前だけは知れているが、実のところあまり童話の内容は知らない。


 つまり、ユーシアとリヴは油断していた。


 それが敗因だった。



「我輩を差し置いて楽しく会話とは……随分と舐められたものである」



 床に這いつくばっていた男は、血に塗れた歯を見せて笑った。


 あ、これはまずい。

 ユーシアの直感が危険を告げる。すぐさま純白の対物狙撃銃を構えて、男を撃とうとする。


 しかし、それより先に男の異能力が発動してしまう。


 鼻を伸ばすなんて、馬鹿げた異能力ではなかった。

 彼の異能力は最も危険で、ユーシアとは相性が最悪だった。



――」



 男は笑う。

 血走った目でユーシアを睨みつけ、



「――『アリスはまだ生きている。ほら、貴様のすぐ側に』」



 息を飲む。


 ぐにゃり、とユーシアの視界が歪んだ。

 男の何でもない妄言が、何故かユーシアには本当のように聞こえたのだ。



「あ、ああ……ああああ……」



 そんな、嘘だ。


 頭を押さえて後退るユーシアの視界で、確かに金色の髪を持つ少女が映り込んだ。

 青いワンピースに真っ白なエプロンドレス、手にした巨大なティースプーンで一体何人を屠ったのか。その中に自分の家族が混ざっていたことを、彼女は知っているのか。


 少女は心の底から殺戮を楽しんでいる。ユーシアとの殺し合いを望むように笑っている。歪んだ笑みを見せて、じっとこちらを見ている!



「うあ、あああッ、ああああああッ!!!!」



 どうしてここにいる。


 どうしてここにいる!?


 だって殺したのに、殺したのに殺したのに!!

 あの時確かに殺したはずなのに!!!!



「アリス、アリスアリスアリス、どうして生きてる何で生きている殺したのに殺したはずなのにどうしてそこで息をしているんだ!?」


「シア先輩? シア先輩!!」



 相棒の呼び声など、混乱に陥った彼には聞こえていなかった。


 純白の対物狙撃銃をあらぬ方向へ突きつけ、叫びながら引き金を引く。タァン、という銃声と共に弾丸が床を穿った。

 それでもまだユーシアは、彼にしか見えないアリスを殺そうとする。ここで生きているのであれば、もう一度この場で殺すまでだ。



「死ね、死ね死ね、死ね死ね死ね死ね!! 俺の為にアリスは死ね死んでくれもう二度と生き返るな帰ってくるな俺の前に姿を見せるなぁッ!!!!」


「シア先輩、シア先輩落ち着いてください!!」



 錯乱するユーシアを押さえつける為に、リヴが腰に抱きついてくる。



「アリスは死にました、僕たちが殺したんです!! 覚えているでしょう、アンタがこの世から消したんだ!! ただの妄言を信じ込まないでください!!」


「違う違う違う!! アリスはそこにいる、そこにいるんだ生きているんだ何でアリスがそこにいて、殺したのに殺してなかったのかなあそうだろアリス!! 生きているんだろアリス!!!!」



 リヴの言葉すら、ユーシアには届かない。


 髪をぐしゃぐしゃに掻き毟り、唾を飛ばしながら誰もいない空間を指差して叫ぶ。事情を何も知らない一般人からすれば、危ない薬でも決めた男が騒いでいる光景にしか見えないだろうが、ユーシアにとっては死活問題だった。

 だって、目の前でアリスが生きているのだ。殺せていないのだとしたら、今度こそちゃんと殺さないと。


 腰に抱きついて行動を阻害してくる相棒めがけて、ユーシアは肘鉄を叩き込む。



「放せぇッ!!」


「い、づッ」



 ゴ、と肘が的確にリヴの側頭部を殴る。


 よろめいた時を見計らってリヴを振り払い、誰もいない虚空に純白の対物狙撃銃を向ける。

 だが、そこには誰もいない。アリスがいなくなってしまっている。


 どこに行った?


 アリスはどこに行った?


 ぐるりと周囲を見渡し、血走った目でユーシアは目的の人物を見つけようとする。

 隠れているのならば、草の根を掻き分けてでも探して殺す。どこかに逃げたのならば、地の果てまで追いかけて殺してやる。アリスは全て、この手で殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ殺さなければ殺さなければ殺さなければ!!!!



「シア先輩」



 リヴが名前を呼ぶ。


 弾かれたように振り向けば、彼がユーシアの胸倉を掴んだ。

 黒い雨合羽レインコートの下にある黒曜石の如き瞳は、真っ直ぐにユーシアを睨みつけていた。



「少し眠ってください」



 そう言って、リヴの唇がユーシアのそれを塞いでくる。


 引き剥がそうとリヴの肩を掴むが、それより先に何か錠剤のようなものが喉の奥へ押し込まれた。吐き出そうとしてもすでに遅く、錠剤は胃の腑へ落ちる。

 唇が解放されたと同時に、手足の力が抜けた。その場に崩れ落ちるユーシアへ襲いかかるのは、抗い難い眠気。思考回路もまともに働かなくなってしまい、霞む視界の向こうで黒い影が動く気配を感じる。


 ダメだ、まだ寝てはダメだ。



「ありす。ありす、ころさな、きゃ……」


「シア先輩」



 ユーシアの視界を手のひらで塞ぎ、リヴが言う。



「少し眠りましょう。――次にアンタが目覚めた時、全て終わっていますから」



 ――ぶつんッ。



 ☆



 くたり、と全身から力を抜いて夢の世界へ旅立った相棒を見下ろし、リヴはまだズキズキと痛みを訴える側頭部をさする。


 唐突に虚空を見ながら錯乱状態に陥ったユーシアは、アリスの幻想に囚われているようだった。

 アリスはすでに彼の手でこの世から退場したと言うのに、ユーシアの主張では「生きている」ということだった。妄言を完全に信じ込んだ様子だ。


 つまり、ピノキオの【OD】は妄言を相手に信じ込ませる異能力を持つ。


 嘘吐きは鼻が伸びるという部分を焦点にした異能力は、ユーシアにとって鬼門とも呼べた。

 アリスが生きていると思い込んでしまえば、暴走状態になってしまうと言っても過言ではない。過去の彼がそうだったのだから。



「…………アイツは逃げましたか」



 床に這いつくばっていたあの憎たらしい男は、もう姿を消していた。逃げ足の速い男である。


 眠るユーシアに肩を貸し、リヴは「よっこいせ」と立ち上がる。

 純白の対物狙撃銃はリヴの雨合羽の下にしまい込み、ホテルに戻った時に戻せばいいだろう。ユーシアをどうやって運ぶか問題だが、こちらもリヴの【OD】としての異能力を使えば解決できる。


 注射器の中で揺れる【DOF】を注入し、リヴは決意を新たにする。



「殺してやります、あの男。シア先輩をこんなことにしたアイツを、絶対に許してやるものか」



 鼻を折るだけでは済まさない、八つ裂きにして誰を敵に回したのか後悔させてやる。

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