Ⅳ:嘘吐きピノキオを嘲笑え
第1話【流行は柑橘系の香り】
『テレサ・マーレイを殺害した指名手配二人を許すな』
『せっかくテレサの舞台のチケットが当たったのに、あの二人のせいで中止になった……』
『よりにもよって何でテレサを殺すの? 本当に許せない』
SNSを使ってエゴサーチしてみるが、やはり見るも無惨な結果だった。
携帯の液晶画面に指を走らせ、短く並んだ文章の羅列に目を通していく。誰も彼もユーシアとリヴに対して怒りを覚えているようだが、彼らの求める情報は書かれていない。
テレサ・マーレイを殺害した張本人、ネアに関する情報だ。ユーシアとリヴは彼女を隠す為に、わざとテレサ・マーレイ殺害の罪を被ったのだ。
SNSを閉じたユーシアは、カリカリに焼いた食パンに齧り付く。上に塗ったバターの味が、ふわりと舌の上で広がっていく。
「やっぱり俺たちの情報以外はないよ」
「ですよね」
対面でコーンスープを啜っていたリヴは、備え付けの新聞を読みながら言う。
「僕たちに注目が集まるのは好都合です」
「そうだね。俺たちに注目が集まる分にはいいもんね」
食パンを順調に消費しながら、ユーシアは周囲に視線を巡らせる。
ホテルのレストランを利用している客は、携帯を片手に遠目からユーシアとリヴを観察していた。
テレサ・マーレイ殺害の情報が、観光客にまで出回っているのだろう。好奇の目線に晒されるのは慣れたものだが、これだけ多いと鬱陶しくなってくる。
ユーシアとしては、いつリヴが「鬱陶しいので殺してきます」と発言しないか心配だった。観光客を殺害しようがどうでもいいが、時と場所を考えて行動してほしい。
「…………」
新聞を読みながらコーンスープを啜っていたリヴが、パッと顔を上げる。
「どうしたの、リヴ君」
「何か臭いますね」
それまで外していた黒い
ユーシアもリヴの反応に倣って、空気中の香りを嗅いでみる。
確かに何かの香りがする。別に悪い意味ではなく、どこかスッとした柑橘系の香りだ。
しかし、朝食のいい匂いを掻き消さんばかりの柑橘類の香りは如何なものか。
「香水、かな」
「度が過ぎますね。鬱陶しいです」
空っぽになったスープの器を置き、リヴは吐き捨てる。
これだけの匂いがするということは、レストランの利用者のほぼ全員が柑橘類の香りを纏わせているのだろうか。
誰も同じ香りがするので、同じ香水が流行しているのか。同じ匂いを嗅ぎ続けていると鼻が馬鹿になってくる。
雨合羽の袖からナイフを取り出しかけたリヴに、ユーシアは「止めなよ」と制する。
「まだ食べてる最中なんだけど。グロ画像は止めてよね」
「そうですね。僕もせっかくの朝食を冷めた状態で食べたくありませんので」
噴き出ていた殺意はなりを潜め、ナイフが雨合羽の袖の向こうに消える。
朝の平和なレストランで流血事件が起こる前に防ぐことが出来て、ユーシアはそっと安堵の息を吐く。
砂糖やミルクを入れないブラックコーヒーのカップに手を伸ばし、黒い液体を啜る。食パンに塗られたバターの優しい味を掻き消すような、目の覚める苦味が口の中を支配する。
それにしても、何故この柑橘類の香りが流行するようになったのか。
誰もが柑橘系の香りを好む訳ではなく、少なくとも二人から三人ぐらいはそれ以外の香水をつけてもいいはずだ。
それなのに、このレストランの客は柑橘類以外の匂いがしない。全員の趣味嗜好が一致したとなったら、さすがに気持ち悪い。
「……柑橘類の香り、流行で検索っと」
コーヒーを飲みながら、ユーシアは携帯で香水の流行について調べる。
検索エンジンに文字をポチポチと打ち込んで調べてみると、最初に出てきたものは通販サイトだった。
タイトルは『ピノキオの香水部屋』とある。怪しさ満点のホームページだ。
嫌な表情を浮かべるユーシアに、リヴが何かを察知したようだ。「どうしたんですか?」という質問を投げかけてくる。
「あー、怪しいホームページが出てきたよ。『ピノキオの香水部屋』だってさ」
「怪しいですね」
「見てみようか」
「興味があります。僕にも見せてください」
ユーシアは『ピノキオの香水部屋』という文字を指で触れ、そのホームページに飛ぶ。
パッと画面が切り替わり、やたら鼻が長い男の写真が一番目立つ場所に飾られたホームページが表示される。
ピンク色を基調にされた目に優しくないホームページで、大人気商品と銘打たれた商品が上に出てくる。
柑橘系の香水で、やたら綺麗な小瓶に入れられている。
写真の下に添えられた紹介文は、こう書かれていた。
「えーと、何……この香水をつけていれば、ユーシア・レゾナントールとリヴ・オーリオに狙われません?」
「現在指名手配されている二人から、絶対に逃れられる香水ですか」
ユーシアとリヴは互いに顔を見合わせ、
「こう銘打たれると、反抗してやりたくなるよね」
「ええ、そうですね。全力で叩き潰してやりたくなります」
香水一つで悪党から逃れられると思ったら大間違いなのだ。
ゲームルバークの裏社会に足を一歩でも踏み入れれば、そこはすでに悪党だらけの世界。一般人であれば問答無用でカモにされる。
身包みを剥がされただけならまだ幸運、最悪の場合は死体となってゴミ捨て場に放置される。その過程で言えば、ただ殺されるだけならまだマシ、酷い時にはヤク漬けにされた挙句に犯されて殺される悲惨な最期を辿ることになる。
それが、たかが柑橘類の香水だけで防げると思うものか。
ゲームルバークの悪党の中でも特に酷く、今まさに指名手配されているユーシアとリヴはホームページの表示を消して手早く朝食を口の中に詰め込む。
「次の獲物が決まりましたね」
「そうだね」
やたら鼻が長い男の憎たらしい面を思い出しつつ、ユーシアは言う。
「次はピノキオだね。その鼻を叩き折ってやらなきゃ」
「ええ、それはもうバネみたいにしてやりますよ」
「何回折ればそんな形になるだろうね?」
「何回だって折ってやりますよ。その上で殺します」
次の標的を決めた悪党二人は、他人が恐ろしく感じるほど凶悪に笑いながら殺し方について話し合っていた。
☆
「ただいまぁ」
「ただいま戻りました」
メロウホテルの客室に戻れば、すでに朝食を終えたネアとスノウリリィが「おかえり!!」「お帰りなさい」と出迎えてくれる。
ユーシアとリヴは指名手配されても平然と外出しているが、ネアとスノウリリィはユーシアとリヴとは無関係であると強調しなければならない。
その為、彼女ら二人はルームサービスで朝食を摂ることにさせたのだ。そのことに関して、ネアから「ずるーい」という言葉を貰ったが。
ユーシアに抱きついてきたネアは、
「れすとらん、ひろかった?」
「行かない方がよかったよ。柑橘系の香りがして朝食の美味しさが半減しちゃった」
「かんきつけ?」
「オレンジとかレモンの香り」
ネアの頭を撫でてやりつつ、ユーシアは言う。
ネアは「おれんじさんとれもんさんなら、ねあもすき」と頬を膨らませた。柑橘系の香りで満たされたレストランでもいいから、外で食事がしたかったようだ。
不満げな少女の頬を突いて空気を抜き、リヴがネアを説得するように言う。
「それでは、ネアちゃんにはお使いを頼みましょうか」
「おつかい!?」
パア、と瞳を輝かせるネア。
「なになぁに? ねあ、おつかいいく!!」
「それでは、ユーリさんのところに行って【DOF】の購入をお願いします。僕もシア先輩も、そろそろ【DOF】がなくなりそうだったんです」
「わかったの!!」
「知らない人にはついて行かないことと、必ずリリィの言うことを聞くんですよ」
「うん!!」
ネアはバタバタとスノウリリィの元へ駆け寄ると、ポシェットを装備して「おつかい!!」と叫ぶ。よほど外に出たかったようだ。
ユーシアはリヴへ「ナイス」と短い称賛の言葉を送る。
それに対し、リヴは無言のサムズアップで返した。紳士を自称するロリコンだと、子供の扱いが上手いのだろうか。
興奮状態のネアを宥めつつ、スノウリリィが問いかけてくる。
「あの、お二人はどうするんですか?」
「俺たちもお出かけだよ」
ユーシアは壁際に置かれたライフルケースを背負い、
「ちょっと生意気なピノキオの鼻を叩き折ってくる」
「バネみたいにしてやります」
「それって何度折ればバネみたいな形状になりますかね?」
「そのやり取りはもうやったんだよね。天丼って奴かな?」
「何度でも言いますが、バネみたいになるまで叩き折るまでです」
リヴがグッと拳を握りしめて殴る意思を強調し、ユーシアはその隣で苦笑するのだった。
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