【二時間目】

 二時間目は世界史である。

 これまた眠くなる授業内容だ、退屈なことこの上ない。


 暖かな陽光を浴びるユーシアは、一時間目と同じようにうつらうつらと船を漕いでいた。


 退屈な授業内容に加えて、気温もちょうどよくて眠くなりやすいのだ。

 さらに先程、遅めの朝食と称してブロックタイプの栄養食を消費したばかりだ。食欲が満たされれば眠くなるのは必然である。



「ねむ……」



 大きな欠伸をすると、黒板の前で教科書の内容を読み上げていたおばちゃんの教師が「コラ!!」と注意してくる。



「いくら眠くても、ちゃんと授業は受けなきゃダメなのよ?」


「はいはーい」



 適当に返事をしたユーシアは、広げられた教科書に視線を落とす。


 髭を生やしたおっさんが、何やら偉そうな態度で写真に映り込んでいる。顔が気に食わないので、ユーシアはシャーペンでおっさんの写真に落書きを施した。

 お洒落を目的として、現代風の帽子を被らせる。髭の先端も遊ばせてやり、立派なアートとなった。これなら地獄のどこかにいるだろうこのおっさんも、満足してくれるはずだ。


 思ったよりも落書きの才能があるようだ。この調子で他の写真にも落書きを施してみよう。



「きゃーッ」


「すごーい」



 黄色い歓声が窓の外から聞こえてきて、ユーシアは何気なく外に視線を向ける。


 校庭では下級生が体育の授業をしている最中だった。

 体操着姿の男女がそれぞれ授業に精を出しているようだが、主に女子の視線は男子の授業に注がれていた。「カッコいい」とか「やばッ」とか色々と聞こえてくる。


 彼女たちの視線の先には、走り高跳びをしている一人の男子生徒がいた。

 特徴的な格好をした生徒で、体操着の上から黒い雨合羽レインコートという個人の趣味や常識を疑いたくなるものだった。あんな格好をした生徒のどこが格好いいのか、と女子たちの感性に異常性があるのではないだろうか?



(あー、まあ他の子と違って軽々と飛んでるしねぇ)



 今も昔も、女子は運動神経のいい男子に惹かれるらしい。


 意外と高いバーを難なく背面跳びで越え、分厚いマットに背中から着地する。成績も良ければ運動神経も良く、女子の視線も独り占めとはなかなか罪な男だ。

 とはいえ、あのてるてる坊主みたいな格好で全てが台無しになっているが。



(人気者だねぇ、リヴ君は)



 窓際だからこそ、見知った後輩が授業をしている光景をしっかり見ることが出来た。


 もう世界史の授業なんてそっちのけである。

 おばちゃん教師が何か説明をしているが、ユーシアは全く聞いていなかった。


 走り高跳びを終えた真っ黒てるてる坊主は、体育担当の男性教師から呼び出しを受けていた。


 バインダーを抱えた男性教師は難しげな表情で、リヴに何かを言う。

 リヴは真っ黒な雨合羽の裾をひらひらとさせて、男性教師をおちょくっているようだった。「似合うでしょう?」とでも言っているのだろうか。



(あ、掴まれた)



 雨合羽のフードを掴まれ、追い剥ぎに遭うリヴ。


 しかし、リヴも雨合羽を脱ごうとしない。

 フードを両手でしっかりと握りしめ、しゃがみ込んで守りの体勢に入る。もういっそ、雨合羽を手放した方が早いと思う。



「――――!!」


「――、――――ッ!!」



 何かを叫んだリヴは、弾かれたように立ち上がると男性教師の顎めがけて回し蹴りを放った。



「あ」


「何ですか、レゾナントール君」


「いえ、何でも」



 思わず声を上げてしまい、ユーシアは笑顔で取り繕う。


 校庭は大惨事となった。

 リヴがまさかの体育担当の教師を蹴飛ばして沈めてしまったので、体育の時間は自習となってしまう。


 女子の方から慌てた様子の教師が駆け寄り、気絶した男性教師を引きずっていく。


 そんな地獄絵図と化した体育の授業をぼんやりと眺めるユーシアは、苦笑しながら小声で呟いた。



「相変わらずだなぁ」



 ☆



 やっちまった。


 雨合羽を取られたくないあまり、つい教師を相手に手が出てしまった。

 正確に言えば足なのだが、まあそんなところはどうでもいい。


 出ちゃった足が見事に顎へ吸い込まれ、そのまま体育担当のゴリラ教師は気絶する運びとなった。

 そんなこんなで、体育は自習となってしまった。



「あのゴリラめ……僕に追い剥ぎをしようだなんて。淫行教師として訴えてやりましょうか」



 今こそ儚げフェイスと呼ばれたこの顔面を使う時か、とリヴは密かに闘志を燃やす。


 以前、ユーシアに「リヴ君って意外と可愛い顔をしているよね」とお墨付きも得ている。

 使える武器は自分の顔だって使うのだ。それがリヴ・オーリオの信念である。



「なあ、怖えよやっぱり……」


「先生を一撃で沈めたぞ……」


「怖すぎ……」


「問題児はやっぱり問題児なんだよ……」


「殺されるって……」



 他のクラスメイトは、ヒソヒソと声を潜めてリヴに冷めた視線をくれてくる。


 視線が鬱陶しいので、まずは彼らから殺してしまおうか。

 ユーシアが同じ学年にいてくれたら、絶対に「殺そうか」「ええ、殺してしまいましょう」の会話が成立するのに。


 ――――はて、何故だろうか?


 リヴは常々殺意は抱くものの、それを実行に移したことはない。

 同じく、ユーシアもそうだ。「殺したい」「殺しますか」などと危険な発言を繰り返すリヴを窘めるが、実際に殺人を実行したことはない。



「いつからでしょう、こんなことを思うようになったのは」



 うーん、謎。


 首を捻るリヴが聞いたものは、ピピーッという笛の音だった。

 静寂を裂くように鳴り響いた笛の音は、女子を担当する体育教師が鳴らしたものだ。男子担当の体育教師を保健室に運び終え、ひとまず残った生徒に課題を与えようという算段か。


 難しい問題は後回しにし、リヴは授業に戻る。



「えー、先生が保健室に運ばれてしまったので男子は自習。出席番号で走り高跳びをやること」



 自習という名の授業続行である、大いなる矛盾。


 男子生徒から「えー」とか「めんどーい」とかブーイングが起きるが、体育教師は問答無用だった。

 走り高跳びを終えることを言いつけると、自分の授業に戻ってしまう。


 とはいえ、リヴは走り高跳びを終えてしまった。

 彼は本当に自習である。退屈なので授業中のユーシアでも観察していようか。彼は窓際の席なので、校庭から見えやすい。



「あ、あの……オーリオ君」


「何ですか」



 すると、一人のオドオドとした眼鏡の男子生徒が話しかけてきた。


 リヴは普通の応対をしただけなのに、相手は「ひえッ」と引き攣った悲鳴を漏らす。まだ何もしていない。



「あ、あの、あのね、走り高跳びをしてた君が格好良くて」


「惚れるのは勘弁してください。僕は同性には興味ないので」


「いや、違くて……あの背面跳びのやり方を教えてくれないかな?」


「…………なるほど、そう来ますか」



 問題児だ何だと囁かれ、他のクラスメイトにも遠巻きにされているにも関わらず、彼はリヴに教えを乞うのか。


 リヴは背面跳びを教えてほしいと言った生徒を、頭の先から爪先まで観察する。

 身体能力は中の下程度だろうか。まあ頑張ればやれなくもないが、下手をすれば怪我をする。



「アンタでは背面跳びをすれば怪我をしますよ」


「あ……そ、そうだよね。高跳びってどうしても苦手で……でも、背面跳びが出来たら格好いいかなって」


「怪我したいんですか。まずは簡単な部分から始めますよ」


「え、お、教えてくれるの?」


「背面跳びは教えられませんが、他の跳び方でよければ」



 リヴだって悪魔ではない、自分に敵意を持たない人間を殺しはしないのだ。


 男子生徒は「ありがとう」と嬉しそうに笑った。

 何だかこそばゆい気持ちになってくる。

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