【一時間目】

 まさか一時間目から現国とは思わなかった。


 ただでさえ眠いのに、眠気を後押しするような授業は辛い。

 とはいえ、ユーシアが真面目に起きているはずもないが。


 窓際の列、ちょうど真ん中の席。

 窓から差し込む暖かな陽の光を浴びて、ユーシアはうつらうつらと船を漕ぐ。



「――――で、あるから。この時の寛吉の気持ちは――」



 ヨボヨボなお爺ちゃん先生の声が、睡眠欲をさらに増幅させる。聞いていて心地がよく、録音して眠れない夜に聴きたいところだ。


 机に肘をついてほぼ寝ながら授業を受けていたユーシアは、唐突に「えー、この問題はレゾナントール君に解いてもらいましょうか」などとご指名されて飛び起きた。

 何故か知らないうちに注目されているし、知らない部分まで授業が進んでしまっている。割と本気で混乱していた。


 周囲のクラスメイトも、ユーシアが指名されて気が気ではないらしい。

 それもそのはず、ユーシア・レゾナントールとはこの学園が創立して以来の問題児であり、数々の問題行動を起こしてきた悪い方向での有名人だ。噂では裏社会とも繋がりを持っていて、純白にカラーリングした狙撃銃で人を殺している狙撃手だとか。


 実際のところ、ユーシアの養父は警察官であり、ユーシアの一人暮らしを支援してくれている。狙撃銃に関しては純白にカラーリングしているが、実銃ではなくモデルガンである。

 色々と尾鰭おひれ背鰭せびれがついてしまっているが、犯罪なんか起こしてないし至って真っ当な問題児だ。



「えーと……」



 ユーシアは慌てて教科書を見やるが、さっぱり分からない。


 お爺ちゃん先生はむにゃむにゃ言っていたので言葉の判別が出来ておらず、そもそも半分寝ながら聞いていたのでもう訳が分からん。

 そういえば、寛吉の気持ちがどうのこうのと言っていたが、あれが問題だろうか? さっぱり理解できない。


 パタンと教科書を閉じたユーシアは、



「お爺ちゃん、もうちょっと発音よく言ってくれない? どこの問題?」


「この時の寛吉の気持ちが表されている文章ですよ」


「『ツネ子に失恋した』って部分」


「はい正解」



 よし、正解。


 ユーシアがやったことは、相手の発音の悪さを利用してもう一度問題を言わせることだった。

 問題の内容があらかじめ予想できていたので、すぐに探すことが出来たのも幸運である。分かりやすい問題で助かった。


 ちなみに、ユーシアは文系科目が苦手である。

 話を聞いているだけでも眠くなってくるし、古文や漢文など「今の時代に必要なの?」と思ってしまう。過去の文明に触れるのはいい機会だが、将来的に必要なさそう。


 澄み渡った青空を見上げて、ユーシアは退屈そうに欠伸をしながら小さく呟く。



「リヴ君の方、大丈夫かなぁ」



 問題児ではあるが、話が比較的通じる問題児であるユーシアは、もう片方の問題児が無事なことを祈るのだった。


 ――いや、正確にはもう片方の安否ではなく、もう片方が何か犯罪を起こしていないか心配になっただけだ。


 何せもう片方の問題児であるリヴは、隙あらば相手を殺そうとするほど殺意に満ち溢れた若者なのだ。今時のキレやすい若者を遥かに凌駕している。

 不思議なことにユーシアと学園のマドンナであるネアには殺意を見せず、同じクラスで学級委員でもあるスノウリリィとはしょっちゅう口喧嘩をしているのに殺害にまでは至らない。線引きが摩訶不思議である。



(先生を殺害なんてことしてなければいいけど)



 まあ、彼が殺害を起こしても「いつものことか」と笑えるだろうが。


 ――?

 殺害は「いつものことだ」と笑えないだろう。大問題ではないか。


 リヴが常日頃から「殺します」発言をしているから、常識が麻痺しているのだろうか。



「お腹すいた……そういえば朝ご飯食べずに出てきちゃったなぁ」



 授業が終わったら、自動販売機でブロックタイプの栄養食でも買おうか。

 お爺ちゃん先生のありがたい授業をぼんやり聞きながら、ユーシアは早く授業が終わることを祈っていた。



 ☆



 カツカツ、と黒板にチョークが滑る。


 先程教えられた数式を当てはめれば簡単に解ける設問であり、この程度の難しさなら余裕だ。

 淀みなくチョークを滑らせて数式を黒板に書き込み、見事に答えを導き出したリヴはチョークを置いた。



「正解だ」


「当然ですよ」



 教えられているというのに、問題を理解できないと宣う奴の頭脳を、リヴは理解できなかった。


 わざわざ解答を教えてくれているのだから、教科書の問題ぐらい解けて当たり前である。

 こんなものは基礎の中の基礎なので、授業を聞いていれば理解できるのだ。


 常日頃から危うい発言を繰り返し、問題行動ばかり起こすリヴだが、成績はすこぶるいい。定期テストだったら上から数えた方が早い。

 本人は「授業を聞いていれば理解できるでしょう」と豪語する天才肌で、その発言が他のクラスメイトの敵意を買った。だが文句を言った途端に殺されそうな気配があるので、誰も彼に楯突こうとは思わないらしい。


 クラスメイトの中で唯一、リヴに真っ向から意見を言えるのは学級委員である彼女だけだ。



「リヴさん、先生に対してそんな態度ではダメですよ」


「何がダメなのか教えてほしいですね」



 席に戻ったリヴに、隣の席に座る銀髪の女子生徒が注意してくる。


 透き通るような銀髪は背中を流れ、黒を基調としたセーラー服がよく似合う。銀縁の眼鏡をかけた様は知的で真面目な印象を与えるが、当てはまるものは真面目な部分だけである。

 学級委員のスノウリリィ・ハイアットだ。リヴからすれば、お節介なクラスメイトである。


 席に座ったリヴは、隣席のスノウリリィをジロリと睨みつけて言う。



「そういうアンタは理解できてるんです?」


「と、当然です。私はあなたと違って、予習復習を欠かしませんので」


「そうですか」



 リヴは次の設問を解かせる生徒を探していた教師に、わざわざ挙手してから提案する。



「せんせーい、学級委員のスノウリリィさんが次の問題を解きたいそうです」


「ちょ、リヴさんッ!? あなた一体何を言って――!!」


「おう、そうか。じゃあハイアット、次の問題を前に出て解け」


「えッ!?」



 クラスメイトたちも、スノウリリィに注目する。


 彼女は焦った様子で教科書と黒板の問題を見比べているが、どちらも同じ問題だ。見ているだけで問題が解けると思ったら大間違いである。

 知的で真面目なスノウリリィなら、きっと同じようにスラスラと問題を解けるはずだ――クラスメイトはそんな期待を彼女に寄せる。


 この状況で真実を知っているのは、リヴ・オーリオただ一人だ。


 なんと、スノウリリィ・ハイアットは見た目とは真逆の成績なのだ。

 つまり下から数えた方が早く、定期テストもいくつかの教科で赤点を取ってしまうほどおバカなのだ。リヴも彼女の珍解答の数々には笑いが堪えられなかった。



(まあ、そりゃあそうですよね。江戸幕府初代将軍の名前を『お爺ちゃん』と書くぐらいですから)



 武将だったら全員当てはまる言葉である。


 懸命に目の前の問題を解こうとしているスノウリリィは、ようやく決心したように席から立ち上がる。その際にリヴへ恨みがましげな視線を寄越してきたが、知らんぷりを決めた。


 牛歩並みの遅さで黒板の前までやってきた彼女は、教科書を片手にチョークを持つ。

 カツ、とチョークを黒板に当てたのはいいが、そこからの動作が止まった。問題が解けないようだ。



「どうした、ハイアット。時間がないから早く書け」


「うう……あぅ……」



 教師から問題を解くように催促されるも、彼女の手は止まったままだ。


 そろそろ授業も退屈になってきたリヴは、ノートにガリガリとシャーペンを走らせる。

 ビリッとノートのページを破ると、それをぐしゃぐしゃに丸めた。ガタンと立ち上がると、クラスメイトの怪しげな視線を一身に浴びながら黒板の前でいまだ悩み続けるスノウリリィに歩み寄る。


 ぐしゃぐしゃに丸めたノートのページを彼女に握らせ、リヴは清々しい笑みを見せた。



「ゴミです。捨てといてくださいね」


「ちょ、リヴさん!?」


「先生、僕はお腹が痛いのでトイレに行きます」


「おい、オーリオ!! お前それは絶対に仮病だろ!!」



 教師の制止を無視して、リヴは教室を後にする。


 ゴミと称された紙屑を片手に立ち尽くすスノウリリィは、ぐしゃぐしゃに丸められたノートのページを広げる。

 そこにはやや汚い文字の羅列があり、スノウリリィが直面した問題の途中式と解答が書かれていた。教えられた通りの完璧な解答だ。


 呆れる教師の陰で、スノウリリィは「もう……」と苦笑する。



「素直じゃないですね……」



 教室から離れたトイレの個室にて、真っ黒な雨合羽を着た男子高校生はくしゃみをする。



「――くしゅッ。風邪引きましたかね」

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