幕間:男子高校生の狂騒曲

【登校】

 ここに、一人の男が眠っている。


 布団からはみ出た髪の色はくすんだ金、無精髭を生やした草臥くたびれたおっさんのような雰囲気がある。

 彼の側には壊れた目覚まし時計が転がっていて、完全に時間が止まっていた。持ち主を起こすという役目を果たしていない。


 壁には詰襟の制服がハンガーにかけられ、さらに丁寧に整備された様子の純白の狙撃銃を模したモデルガンがライフルケースに横たわっている。彼の趣味なのだろうか。



「ん、んー……」



 もぞもぞと布団の中で動く男は、腕だけ伸ばして目覚まし時計を掴む。


 文字盤に刻まれた数字に視線をやり、時計が止まっていることを改めて認識する。

 ついでに何故か目覚まし時計本体もひび割れていることに気づき、完全に壊れていると理解できた。これはまずい。



「えー……今何時……」



 男は枕元に放置したスマホを手に取ると、正確な時間を確認する。


 八時五分。

 色々とまずい時間帯である。


 少し黙り込んだ男は、



「わあ、遅刻だぁ」



 全く焦りのない口調で呟く。


 スマホを枕元に戻した男は、寝返りを打つと再び夢の世界へ旅立つ。

 遅刻だと宣っておきながら二度寝を決め込もうとするとは、一体どういう精神をしているのだろうか。きっと学校や会社など、彼にとってはどうでもいい存在なのか。


 すぅすぅ、と規則正しい寝息が狭い部屋に落ちるが、部屋の主を叩き起こさん勢いでスマホが鳴り響く。


 アラームではない。

 液晶画面には『リリィちゃん』の文字がしっかりと表示されていて、着信であることが嫌でも分かる。モーニングコールをしてくれる心優しい幼馴染、という訳でもなさそうだ。


 手探りでスマホを掴むと、男は無言で通話を切った。



「ねむ……」



 しかし、通話を切ったはずなのに再び着信。相手は同じだ。


 男は寝ぼけ眼で液晶画面を見やると、深々とため息を吐いて通話ボタンを指先で触れる。起き抜けに彼女の声を聞くと頭が痛くなるので、少しだけスマホを離した状態で応じる。



「もしもしぃ」


『ユーシアさん!? いつまで寝ているつもりですか、遅刻してしまいますよ!?』


「そうだねぇ」


『そうだねぇ、じゃないですよ!! あなたは卒業がかかってるんですから!!』


「どうせ素行不良とかで卒業できないでしょ。無理無理」



 男は「ふあぁ」と欠伸をすると、



「行かなきゃダメ?」


『……もしかして、お風邪引いてますか? それは大変です、今すぐ私も学校を早退してご飯を作りに――!!』


「すぐに行くね」



 問答無用で通話を切ると、男は布団を剥ぎ取る。


 寝癖が目立つくすんだ金髪を掻きながら、彼は洗面所へ向かった。

 歯ブラシに歯磨き粉を乗せ、口に突っ込む。強烈なミント味に「辛ッ」と呻きながら、ピッタリと閉ざされた押し入れの前に立つ。



「ほらー、リヴ君。起きないと遅刻するよぉ」



 襖を開ければ、その向こうには黒髪の青年が丸まった状態で眠っていた。


 押し入れを寝床にするとは、さながら猫型ロボットである。

 この青年は男の後輩で、一人暮らしをしていると知った途端に荷物を持って転がり込んできたのだ。ただでさえ六畳の部屋で男二人の共同生活は色々とあるのに、どうして男の家に押しかけてきたのか。


 眩しさのあまりもぞもぞと動く青年は、恨みがましそうな視線を男に投げてくる。



「何ですか、シア先輩」


「遅刻するよって」


「仮病を使います」


「リリィちゃんから電話があって、風邪を引いたなら看病という名の飯テロに来るって」


「行きます」



 むくり、と起き上がった青年は押し入れから降りる。


 洗面所に引っ込んだ青年は、歯ブラシに歯磨き粉を乗せて口に突っ込んだ状態で戻ってくる。

 器用に歯磨きをしながら、彼は制服へ着替えた。寝巻きにしている黒いスウェットを脱ぎ、押し入れの隅で丁寧に畳まれていた黒い詰襟に腕を通す。


 男もそれに倣って、歯を磨きながら着替え始めた。

 灰色のスウェットを脱ぎ捨てて、黒い詰襟をハンガーから外す。インナーシャツの上から黒い詰襟を羽織ると、背後からバサリという音を聞いた。


 振り返れば、青年が制服の上から黒い雨合羽レインコートを羽織っているところだった。再び洗面所に戻った彼は、



「シア先輩、大変です」


「なぁに、リヴ君」


「僕のワックスがないんですけど」


「自分で買いなよ」


「今日の放課後、薬局寄ってください」


「いいよぉ。今日はどうするの?」


「容器にこびりついた残りカスと、ヘアピンでどうにか乗り切ります」



 青年がワックスの容器と格闘している間に、男は歯磨きを終えて昼食の弁当を準備する。

 といっても、昨夜のうちに残り物を詰めておいたのだ。どうせ朝はバタバタするのだから、昼食を作っている余裕さえない。


 青い布に包んだ弁当箱と黒い布に包んだ弁当箱を並べて机に置き、そのうち青い布に包まれた弁当箱を手に取る。

 薄っぺらな学生鞄に弁当箱を突っ込むと、洗面所から「どうですか?」とお声がかかる。


 見れば、雨合羽のフードを被った青年が突っ立っていた。まるで不審者である。



「前髪、隠れてます?」


「隠れてるよ。完璧に不審者スタイル」


「ありがとうございます、褒め言葉です」


「俺も褒めた訳じゃないんだけどねぇ」



 完璧な不審者スタイルとなった青年は、机に置かれた黒い包みの弁当箱を雨合羽の中にもぞもぞと仕込む。何故か彼は雨合羽の中から教科書や体操着などあらゆるものを取り出すので、クラスメイトから『黒猫型ロボット』と呼ばれている。

 なお、当本人はあだ名に関してどうでもいいと思っているようで、どう呼ばれようが無視していた。


 男も教科書と弁当を詰めた学生鞄を持ち、さらに純白にカラーリングされたモデルガンをライフルケースにしまう。怪しげな箱を背負うと、



「さて、行こうかリヴ君」


「ええ、シア先輩。今日も元気に登校ですね」



 行ってきます。


 そんな挨拶を残して、二人は部屋を後にする。


 ゲームルバーク学園三年、ユーシア・レゾナントール。

 同じくゲームルバーク学園二年、リヴ・オーリオ。


 この二人は学園創立以来の問題児と呼ばれ、密かに他の生徒から恐れられていた。



 ☆



 自宅から走って五分のところに、やたら大きな校舎が見えてくる。


 あれこそがゲームルバーク学園である。

 七〇〇人近い生徒数を有する学園であり、数多くの成績優秀者を輩出すると有名だ。


 遅刻ギリギリのところで校門を潜ったユーシアとリヴは、



「余裕ですね。もう少し寝ていられたのでは?」


「リリィちゃんが起こしてこなければなぁ」


「殺しておきます?」


「辞めておいて。ネアちゃんが泣くよ」



 ネアとは、ネア・ムーンリバーのことである。

 ゲームルバーク学園の一年にして、学園のマドンナと称される女子生徒だ。大変可愛らしい少女で、何故かユーシアは彼女から「おにーちゃん」と呼ばれる。


 彼女はリヴのクラスメイト兼学級委員であるスノウリリィ・ハイアットと仲が良く、朝も一緒に登校して、放課後も一緒に帰っているらしい。

 殺せば間違いなく、ネアは泣くに違いない。いいや、絶対に泣く。


 ネアを密かに観察するリヴは、渋々と「分かりました……」と了承する。



「では殺さないことにします」


「そうそう、他はどうでもいいから」


「そうですね。他はどうでもいいですもんね」



 仲のいい生徒はネアとスノウリリィの二人に限られ、他はどうでもいいのだ。生きようが死のうが、正直どうでもいい。


 上履きに履き替えたユーシアとリヴは、



「じゃ、リヴ君。お昼休みにね」


「……シア先輩」


「なぁに」


「二年の教室で一緒に授業を受けません?」


「こればっかりは無理、諦めて」



 このやり取りも何度目になるだろうか。


 むー、と雨合羽のフードの下でむくれるリヴの頭を撫でて、ユーシアは仕方なさそうに笑う。



「ほら、授業に遅れるから。昼休みにそっち行くね」


「分かりました。遅れたら生徒が犠牲になりますので」


「怖いことを言うなぁ」



 リヴは「では」と頭を下げ、自分の教室へ向かう。


 遠ざかっていく黒い雨合羽の背中を見送り、ユーシアもまた三年の教室に向かうのだった。

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