第7話【二人の男は夜に語らう】

「はい、もう夜も遅いので寝ます!!」



 客室に戻ったユーシアは、同行者全員に向けて呼びかける。


 劇場からネアを救出し、客室に戻ってからスノウリリィがわんわんと泣いた。今までユーシアとネアの二人がかりで慰めていたが、これ以上騒がしくすれば他の客室から苦情が来かねない。

 もうすぐ真夜中と呼べる時間帯である。そろそろユーシアだって寝たいのだ。


 目元が赤くなってしまったスノウリリィは、同じく赤くなった鼻をズビズビと啜りながら「そうですね」と涙声で応じる。



「もう遅いですもんね……」


「りりぃちゃん、おかお、ふきふきしよ?」



 ネアがワンピースの袖でスノウリリィの顔を拭いてやり、



「おかお、あらう?」


「はい、ちょっと洗ってきますね……」



 やはりズビズビと鼻を啜りながら、スノウリリィは洗面所へと消えていく。遅れて水が流れる音が聞こえてきた。


 ネアはしょんぼりとした表情で、



「りりぃちゃん、ねあのせいでないちゃった……」


「ネアちゃんのせいじゃないよ。あの人魚姫のせいだから、気にしないで」


「…………ん」



 まだ納得していない様子のネアの頭を撫でてやり、ユーシアは「ほら、もう着替えてきな」と着替えを促す。


 ネアのワンピースは、スノウリリィの涙で濡れてしまっていた。

 今の今まで散々泣いていた証拠である。この格好のまま眠るのはさすがに精神衛生的にもよろしくないので、寝巻きに着替えてもらうことにする。


 元気なく返事をしたネアは、自分の寝巻きを抱えて洗面所へ引っ込んだ。洗面所は脱衣所も兼ねているので、着替えには最適である。



「ネアさん、お着替えですか? 手伝います?」


「うん」


「髪もぐちゃぐちゃになってますね。寝癖になってしまいますので、少し梳かしましょうか」


「うん。――りりぃちゃん」


「何ですか?」


「ごめんね。しんぱい、かけちゃった」


「……いいえ、無事に帰ってきてくれてよかったです」



 壁越しに聞こえてくる女性陣の会話に耳を傾けつつ、ユーシアは砂色の外套を脱ぐ。さすがに外套を着たままでは寝にくい。


 疲れたようにため息を吐き、ベッドに腰掛ける。

 すでにリヴが雨合羽レインコートを脱ぎ、簡素な服装に着替えた状態でベッドに寝転がっていた。もうベッドを占領する気満々のようである。壁際を向いたまま、彼はピクリとも動かない。


 何となくだが、客室に戻ってからリヴの様子がおかしい気がする。


 劇場の出来事が後を引いているのだろう。

 ネアを選ぶか、ユーシアを選ぶか。究極の選択を前に、リヴは答えを出すことが出来なかった。だからユーシアは、自分を捨てさせる為に彼へ銃口を向けた。



(うーん、リヴ君も若いしなあ。おっさんの横で寝るのは嫌かな)



 彼が最初に言った通り、ドレッサーの椅子に座って寝ようか。まあ一日ぐらいの徹夜であれば問題ないので、ネットで指名手配の情報について探るか。


 ベッドから腰を上げようとしたユーシアだが、立ち上がれなかった。

 理由は簡単――リヴが腰に抱きついていたのだ。背中に顔を埋め、離れることは許さないとばかりに腹へ腕を巻きつけてくる。執念が凄い。


 振り返ってもなお寝たフリをするリヴの頭を軽く叩きながら、ユーシアは「どうしたの」と問いかける。



「おっさんが隣で寝るのは嫌でしょ」


「……シア先輩は別です」


「じゃあどうしたの、リヴ君。劇場での出来事を引きずってるの?」


「…………そんなことはないです」



 嘘だ、少しだけ間があった。


 意外とサラサラなリヴの髪を弄りながら、ユーシアは「じゃあ何なの」と言う。



「……シア先輩、少し話せませんか」


「話?」


「お願いします」



 ほんの少しだけ顔を上げたリヴは、やけに真剣な表情を浮かべていた。


 やはり、劇場での出来事についての話だろうか。

 肩を竦めたユーシアは、脱いだ砂色の外套を掴むと相棒の青年へ言う。



「外に行こうか」



 ☆



 ネアとスノウリリィには外に出ることを伝え、ユーシアとリヴはエレベーターで一〇階まで降りてきた。


 ホテルの一〇階には空中庭園と銘打たれた見事な庭があり、季節を無視して色とりどりの花を楽しむことが出来る。

 白いライトで足元が照らされ、花々も夜風に揺れている。庭園に人の姿はなく、もう夜中だというのに施錠はされていなかった。


 夜の風を受けながら、ユーシアは砂色の外套から煙草を取り出す。

 安物のライターで火を灯し、隣に佇む相棒へ視線をやらずに口を開いた。



「話はやっぱりあれ? 俺がお前さんに、銃口を向けたの」


「そんなのはどうでもいいです」


「あら」



 紫煙を吐き出しながら、ユーシアは少し驚く。


 リヴが気にしている部分は、そこだけだと思っていたのだ。ユーシアが銃口を向けたことで、信頼関係を築けなくなったという話だと推測していたのだが、見事に外れてしまった。



「シア先輩が僕に銃口を向けたのなんて、腕に蚊が止まったぐらいどうでもいいです」


「いや、それ意外と気にすることだと思うんだよね。痒くなるから」


「抉れば問題ありません」


「抉るの!? 痛いから止めなよ!!」



 気にしていないのだとしたら、一体何が原因なのだろうか。


 夜の闇に沈む庭園を眺めるリヴは、やがてゆっくりと口を開く。



「……あの時、僕はネアちゃんを取ろうとしてしまったんです。シア先輩を殺せば、ネアちゃんは助かると……そんなことが頭の中をよぎってしまったんです」



 それは、まるで懺悔のようだった。



「でも、動けませんでした。僕は何も出来ず――アンタは出来た。撃とうと思えば、僕を撃てましたよね」


「そうだね」



 あの時、ユーシアは撃とうと思えば撃てた。


 ユーシアの弾丸は誰かを傷つける前に、彼にしか見えない幻想の少女が殺傷力を削いでしまう。だからそれを利用して、リヴに攻撃を仕掛けようと企んだ。

 それが合図となって、リヴが動いてくれればよかった。――本当は、全部他人任せにしたユーシアの怠慢だ。


 俯くリヴは、遠くから聞こえてくる喧騒に掻き消されそうなほど小さな声で言う。



「情けないです。何も出来なかった僕にも――アンタを殺そうとした僕にも苛立ちます。死んでしまいたいです」


「それは困るなぁ。俺、前衛はからっきしなんだよね」



 後衛で敵を射抜くことだけを考えて生きてきたユーシアにとって、前衛に出ることは「死ね」と言われているようなものだ。


 この先もまだまだ長い。

 リヴという優秀な相棒をなくせば、ユーシアもネアとスノウリリィもろとも野垂れ死ぬしかない。彼には付き合ってもらわなければ困るのだ。


 頬を撫でた夜風に紫煙を乗せ、ユーシアはリヴの頭を撫でた。ぐりぐりと、割と力を込めて。



「お互い様でしょ。俺もリヴ君を撃とうとしたし、お前さんの考えは正常だ。それで殺されたとしても恨みはないよ」


「嫌です」


「何が」


「シア先輩が殺されるのも、シア先輩が死ぬのも、僕は許容しません」



 頭を撫でていた手を払われたと思ったら、今度は物凄い力で腕を掴まれる。驚いて瞳を見開くユーシアに、リヴは言葉を続けた。



「シア先輩は生きるんです、僕の為に生きるんです。アリスを殺した時に、そう言ったじゃないですか!!」


「ああもう、分かった分かった」



 何か知らないスイッチを、知らず知らずのうちに押してしまったらしい。


 とはいえ、行っていることが全く分からない訳ではない。

 リヴの為に生きると言ったユーシアを殺そうとした自分自身が許せず、こうして熱く語っているのだろう。互いに謝って、ハイ仲直りという軽い気持ちではリヴは己自身さえも許さない。


 つまるところ、彼は罰されたいのだ。

 よくも殺そうとしてくれたな、と。


 短くなった煙草を一瞥し、ユーシアは「リヴ君」と呼びかける。



「手を出して」


「手を、ですか」


「あ、手袋は外してね」


「? はい」



 リヴは手袋を外して、右手をユーシアに差し出す。


 何の疑問も持たずに手を差し出したリヴに苦笑し、ユーシアは咥えていた煙草の先端をリヴの手のひらに押し付けた。

 じゅぅ、と彼の手のひらが火傷する。唐突に根性焼きをされたリヴは、短い呻きを漏らした。



「ぁ、ぐッ」


「ご注文はこれでよかったかな?」



 火傷の痛みを堪え、リヴは笑い飛ばす。



「やっぱり、最高ですねシア先輩は」


「リヴ君ってドMなの? てか、本当に罰を望んでたんだ」


「本当なら蔑まれながら蹴られたいところですが、根性焼きもなかなかですね。喫煙者のシア先輩だから出来ることですよ」


「はいはい、そうですか」



 リヴの手のひらに押し付けた煙草を回収し、近くにあった共用の灰皿に放り込む。それからホテルの内部へ繋がるガラス戸を押しつつ、ユーシアは相棒の青年へ振り返った。



「ほら、リヴ君。もう戻ろうよ。俺もう眠くなってきた」


「ねえ、シア先輩」


「まだ何か話があるの?」



 寂しげに月が浮かぶ夜空を背に、リヴは綺麗に微笑みながら言う。



「これからも、僕と一緒に地獄の果てまで生きてくださいね」


「…………もちろん」



 僕の為に生きてください――その言葉が、今のユーシアを生かす理由だ。

 復讐でも何でもなく、ただ彼と共に面白おかしく生きるのだ。



「死ぬ時も一緒だからね」


「当然です。思う存分に悪いことをしてから、一緒に死にましょうね」


「こんなおっさんと無理心中とか、今時の若い子も感覚が分からないなぁ」


「今時の若い子と心中できるんですから、喜んでくださいよ」



 物騒な会話を聞く第三者はおらず、二人の悪党はいつものように雑談をしながら客室を目指すのだった。


 そしてこれは余談だが、手のひらに残った火傷痕を見て何故かニヤけるリヴが見られたとか見られないとか。

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