第5話【選べ】

 ピタリと閉ざされた劇場の扉は、不用心なことに施錠されていなかった。


 少し表面を押せば開いてしまう状態であり、少しだけ扉を開いて劇場内の様子を覗き見る。

 不思議と劇場内は無人で、物寂しげな雰囲気が漂う。明らかに『入ってください』と誘っているようだ。


 ライフルケースから純白の対物狙撃銃を取り出し、ユーシアはいつでも撃てるように構える。そのすぐ側では、リヴがすでに【DOF】を入れ終わっていた。



「行くよ」


「はい」



 劇場の扉を蹴り開け、伽藍ガランとした雰囲気の劇場へ足を踏み入れる。


 ずらりと並んだ椅子の向こう側――幕が上がった状態の舞台の上に、二人の視線が向けられる。

 そこには祭壇が設置され、金髪の少女が静かに寝かされている。靴を脱いだ形跡はなく、おそらく部屋からそのまま裸足で劇場までやってきたのだろうか。



「ネアちゃん……ッ!!」


「リヴ君待った、駆け寄るのはまだ早すぎる」



 駆け寄ろうとする相棒を片手で制し、ユーシアは純白の対物狙撃銃を舞台の奥へ向ける。



「出てきなよ、そこにいるんでしょ?」


「……よく分かったわね」



 鈴を転がしたような美しい声が、静かな劇場内に響く。


 暗がりからやってきたのは、艶やかな黒い髪を持つ妙齢の女性だった。

 舞台映えする綺麗な顔立ちに、質素な黒いワンピースを纏っている。戦いを知らない綺麗な白い手に握られているのは、一振りの果物ナイフだった。


 妖艶な笑みを見せる彼女が、ミュージカル『人魚姫』の主演を務めたテレサ・マーレイだろう。化粧をしないと別人に見える。



「ようこそ、ミュージカル『人魚姫』の舞台裏へ。私の名前はもちろんご存知よね?」


「魚類風情としか覚えていないですね」



 リヴがテレサを睨みつけたまま、吐き捨てる。



「さっさとその女の子を返して、開きになって死んでください。本当なら二度ほど殺しているところですが、僕は優しいので一度きりで見逃してあげます」


「そんなにこの娘が大切なの?」



 テレサが、祭壇に寝かされたネアに視線を落とす。


 煌々と舞台を照らすスポットライトの光を反射して、ナイフの刃が鈍く輝く。いつあの凶刃がネアの心臓を貫くか気が気ではないユーシアは、狙いをテレサの持つナイフへ定める。

 引き金を引き、いつでも撃てるように。振り上げた瞬間を狙え。――『白い死神ヴァイス・トート』として名を馳せた感覚が呼び起こされる。


 カツカツ、と響くテレサの靴の音を聞きながら、ユーシアは「大切だよ」と言い切る。



「俺たちの事情に巻き込んでしまってるけど、とても大切な子だよ」


「そう……」



 カツン、とテレサが足を止めた。


 彼女が立ち止まったのは、祭壇に寝かされたネアのちょうど真横。少し向きを変えれば、彼女を簡単に傷つけられる位置だ。



「ねえ、私の話を聞いてちょうだい」



 美しい声で、テレサは言う。



「私、恋をしているの。あの人の為に歌って、あの人の為に舞台で踊るの。素敵でしょう?」


「…………あの人ってのは、白雪姫のお妃様グリムヒルドかい?」


「そうよ!!」



 恍惚とした表情でナイフを握りしめ、テレサはユーシアの質問を全力で肯定した。



「あの人が好き、あの人だけが好き!! だからあの人の為になることだったら、何だってするわ!!」



 まるで恋する少女を演じているかのような、芝居がかった口調でテレサは自分の気持ちを叫ぶ。


 さすが舞台女優とでも言うべきか、その声量は離れているユーシアとリヴの耳にも突き刺さる。

 そして不思議なことだが、これだけ喧しく騒ぐ女が隣にいるのに、ネアは起きる気配を見せない。どれほど深い眠りについたのだろうか。


 ひとしきり騒いだあと、テレサは黒いワンピースから小瓶のようなものを取り出す。


 その中に満たされていたのは、青い液体だった。

 ただし普通のジュースや酒などの色味ではなく、もっと毒々しく薬のような印象があった。



「だから、ねえ」



 テレサは小瓶の中身を一気に呷ると、



「――あの人の為に死んでほしいの。さもなければ、この娘を殺すわ」



 小瓶を捨てると、ガラス製の小瓶は簡単に割れた。

 パリン、という些細な破裂音と同時に、テレサは舞台で客を魅了させた美しい歌声を披露する。



 さあ殺し合いなさい 殺し合いなさい

 大切な彼女を 奪い合いなさい


 勝者に祝福を 敗者には死を

 戦いとは 奪って殺し合うもの


 さあ憎み合いなさい 憎み合いなさい

 貴方たちは 止められない


 どちらかの命が尽きる その時まで

 無意味な戦いを 続けなさい



 とても美しい歌声は、ユーシアとリヴの頭に痛みを与える。


 それまで『綺麗だ』と思っていた歌声は、今やガラスに爪を立てた時のような雑音に聞こえてしまう。耳から滑り込み、脳味噌に干渉してくる歌声にユーシアは舌打ちをした。



「何これぇ!! 本当は物凄く音痴って訳ぇ!?」


「……………………」


「リヴ君平気? ちょっと、リヴ君?」



 相棒の青年に呼びかけるが、全く反応がない。


 耳を押さえながらリヴへ振り返ると、彼もまた耳を塞いで顔を顰めていた。人魚姫の【OD】――テレサの歌声に抗っているのだろうが、葛藤も含まれていそうだ。

 つまり、ネアを助ける為にユーシアを殺すか、ネアを見殺しにするか。


 これがスノウリリィだったら、おそらく「あ、どうぞ殺してください」と二つ返事でGOサインを出せるが、ネアは違う。

 彼女は殺されれば死んでしまう。テレサがネアを殺す前に殺せればいいのだが、変な動きを見せた途端にグッサリやりかねない。


 ああ、全く。

 彼は肝心な時に、大切なものを捨てることが出来ない。



「リヴ君」



 ユーシアの行動は、至ってシンプルだ。


 テレサに向けていた純白の対物狙撃銃を、相棒のリヴへ向けた。


 黒い雨合羽レインコートのフードの下で、彼は黒曜石の瞳を見開く。

 驚いたような表情を見せるリヴへ、ユーシアは曖昧な笑みを浮かべた。



「迷ったら全部失うよ」


「…………」



 リヴは首を横に振る。


 迷うようにぶかぶかな袖の中に手を引っ込め、その手に暗器を握る。

 ここでユーシアを殺せばネアが助かり、ネアを見殺しにすればユーシアが助かる――彼は今まさに取捨選択を迫られている。彼にとって、果たしてどちらが最善策なのだろう。


 だから、ユーシアは自分を捨てるように動く。



「リヴ・オーリオ」


「……シア、先輩」


「構えろ」



 リヴは腕がいいから、きっと殺したように見せかけるだろうか。


 それとも、本気で殺すだろうか。

 どちらにせよ、ネアが助かるのであれば、ユーシアとしては満足のいく結果だ。


 劇場内をこだまする人魚姫の歌声が、彼らの殺戮の背中を後押しする。


 殺せ、殺せと促す勇ましい歌。

 促されるまま、二人は向かい合うこととなる。


 ユーシアは対物狙撃銃の引き金に指をかけ、照準をわざとリヴから外す。彼にしか見えない幻想の少女はリヴを守るように立ち塞がり、泣きそうな表情でユーシアを見上げていた。

 彼女の瞳は問いかけてくる――「本当に殺してしまうの?」と。



(殺さないよ)



 ああ、でも。



(僕の為に生きてくださいってリヴ君の願いは、反故になっちゃうかなぁ)



 さあ、審判の時だ。


 腹を決めろ。


 引き金にかけた指先へ徐々に力を込め、ユーシアは先制攻撃を仕掛けようとする。そうすれば、リヴも動きやすいだろう。



「シア先輩、僕は」



 歌声に紛れて、リヴが口を開く。


 その時、それまで響いていたはずの歌声が唐突に途絶えた。

 ユーシアとリヴを殺し合わせる為の、勇ましい歌声がぷつりと消える。


 顔を上げれば、テレサの表情が引き攣っていた。


 大きく開けた口をハクハクと蠢かせ、彼女の視線は自分の下腹部に向けられる。

 目が零れ落ちんばかりに見開かれた先には、薄いテレサの腹からナイフの柄が伸びていた。



「ぃ、あ……ッ」



 痛みのあまり喘ぐテレサ。


 膝から崩れ落ちた彼女に、金髪の少女が馬乗りになる。

 それまで祭壇で眠っていたはずなのに、いつのまに目覚めたのだろう。寝起きなのにも関わらず、少女の手には迷いがなかった。


 テレサの腹に突き刺さった、天使のモチーフがついた大振りのナイフを抜くと、少女はしっかりとした意思を自分の声に乗せて言う。



「ねあから、おにーちゃんとりっちゃんを、とらないで!!」



 ネアが自前のナイフを振り下ろす。


 スポットライトに照らされる凶刃は、確かに人魚姫の心臓を貫いた。

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