第4話【夢見る少女が消えた夜】
「はい、もう寝るよ」
ユーシアの号令で、女性陣と男性陣でそれぞれのベッドに分かれる。
ネアはすでにベッドに寝転がっていて、スノウリリィがずっと心配そうに彼女の頭を撫でていた。人魚姫のミュージカルが終わってから、ずっとネアの様子がおかしいのだ。
いつもなら楽しみのあまり眠れないはずなのに、瞬きもせずに天井をぼんやりと見つめているだけだ。さすがのユーシアとリヴも、静かなネアに異変を感じるほどだ。
ただ、彼女がおかしくなった原因が全く分からないのだ。
人魚姫のミュージカルが関係していることは分かっているが、果たしてどの部分が影響しているのだろう。
「寝たら治るかな」
「やっぱり人魚姫を殺しましょうよ」
寝巻きではなくいつもの黒い
「十中八九、あの魚類風情が原因ですよ」
「まあ、俺もそう思うけどさぁ」
仮に人魚姫を演じたテレサ・マーレイを殺害したとして、本当にネアは元の状態に戻るのか分からないのだ。
もしかしたら、殺した影響で二度と元には戻らないかもしれない。その可能性がある以上、下手に相手を殺害してしまうのも悩むべきところだ。
ユーシアは腕組みをして考え、
「様子を見に行くだけね」
「理解のある相棒で僕は嬉しいです」
「俺だってネアちゃんが大人しくしているなんて考えたくないし」
ネアは天真爛漫で純粋無垢な少女でいるべきで、こんな人形のように大人しくしているような性格ではないのだ。
ユーシアはライフルケースを引っ張り出し、純白の対物狙撃銃の調子を確かめる。整備も欠かさず行っているので、愛銃はいつでも最高のコンディションを保っていた。
リヴもまたネアをおかしくした原因をぶちのめせるのが嬉しいのか、いそいそと暗器の準備をし始めた。「これも使えますね」とか「これも使っちゃいましょう」という言葉が、背後から聞こえてくる。
相棒が武器を選別すると、何故かスノウリリィの表情が引き攣るので、ユーシアはどうしても振り向けなかった。一体何を用意しているのだろうか、この真っ黒てるてる坊主。
「リヴ君、俺は様子を見に行くだけって言ったんだけど」
「ほえ?」
「ほえ、じゃないんだよね」
「大丈夫ですって。事故に見せかけますから」
「どの部分でもって大丈夫だと判断したの?」
「大丈夫ですって。ね、シア先輩」
ヌッと背後からリヴの腕が伸び、ユーシアの肩を撫でる。
その撫で方が、まるで蛇が這いずっているような殺意に満ちたものだった。相棒のユーシアでさえ、意見をすれば即座に殺される勢いである。
あ、これ何も言わない方がいいかもしれない。
自分の死期を悟ったユーシアは「せめて事故に見せかける努力はしてね……」と言う。
肩を撫でていた相棒の手が離れていき、胸中で安堵の息を吐く。おそらく、様子を見に行くことを強調すれば、今度こそ命はなかった。
純白の対物狙撃銃を収納したライフルケースを背負うと、ユーシアはスノウリリィへ言う。
「じゃあ、ネアちゃんのことをお願いね。もし何かあったらすぐに電話して」
「はい、分かりました」
「…………珍しいね。何も言わないの? 俺たち、人魚姫を殺しに行くのに」
「いいえ」
スノウリリィは緩やかに首を振ると、
「確かに、あれだけの素敵な声を披露してくれた人魚姫さんを殺してしまうのはダメだと思いますが……私はネアさんが大切なのです」
瞳を見開いたまま薄暗い天井を見上げるネアの頬を撫で、スノウリリィは続ける。
「だから、どうかお願いします」
「うん。分かったよ」
ユーシアはしっかり頷くと、
「人魚姫の死体って売れると思うしね」
「魚拓も取りましょうよ。売れますよ、絶対に」
「お二人がいつも通りで安心しました」
そっとため息を吐いたスノウリリィは、ユーシアとリヴを送り出す。
「いってらっしゃい、お気をつけて」
☆
客室から出たユーシアとリヴは、無人の廊下を歩きながら話し合う。
「人魚姫はどこにいるかな?」
「楽屋にでもいるか、それとも家に帰りましたかね。どちらにせよ、見つけ出して殺しますが」
「相変わらず殺意が強いなぁ」
ネアが絡んでいるので、リヴの殺意も通常より三割ほど増しているように思える。これでは人魚姫の死体どころか、あのテレサ・マーレイが肉片となって魚の餌にでもなりそうな予感がある。
当然だが、ユーシアも手加減するつもりは毛頭ない。こっちも大切な身内をあんな状態にさせられて、黙っている訳がないのだ。
ずっしりと重たいライフルケースを背負い直し、ユーシアはエレベーターを呼ぶ。
「リリィちゃんも珍しいことを言ってたね」
「お願いされると、叶えないといけないじゃないですか」
「それもそうか」
エレベーターが到着し、ユーシアとリヴは誰も乗っていないエレベーターに乗り込む。
一階のボタンを押して、エレベーターはゆっくりと動き出した。
小さな駆動音に耳を傾けながら、ユーシアは相棒に問いかける。
「指名手配されてるはずなのに、どうして追ってこないんだろうね」
「そう言えばそうでしたね」
「リヴ君も忘れてる」
「地獄の赤頭巾とか色々ありましたから。白雪姫の野郎を殺したことなんて、すでに記憶の彼方ですよ」
ゲームルバークの裏社会を牛耳る最大派閥のマフィア――FTファミリーのボスであるグリムヒルド・アップルリーズが一人息子のスノウホワイトを殺害してから、もう数日経過している。
指名手配はされているが、何故か襲われるような出来事が減っているような気がする。本当に不思議である。
リヴがエレベーターの分厚い扉をぼんやり眺めながら、
「もういいでしょう。どうせ最後には、あのお妃様も殺すんですから」
「ゲームルバークにはいられなさそうだけど」
「そうなったら、今度はどこに行きましょうか。マフィアを壊滅させれば大金が手に入りますし、本格的に旅行にでも行きますか」
「いいね。俺、日本に行ってみたいな」
「シア先輩、日本語って話せましたっけ?」
「少しだけならね」
他愛のない会話に花を咲かせていると、チンとエレベーターが一階へ到着したことを知らせてくる。
開かれた扉の向こうには、無人のロビーが広がっていた。
さすがに夜も遅いので、受付の従業員も帰ってしまったのだろう。入り口に立つ警備員も、どこか眠たげに欠伸をしている。
周囲を見渡したユーシアは、
「時間帯もあってか、静かじゃない?」
「いえ、異常だと思いますよ。この静けさは」
静謐に満たされるロビーを睨みつけ、警戒心を剥き出しにするリヴ。その手には透明な液体が内部で揺れる注射器が握られ、いつでも液体を体内に注入できるように準備していた。
すでに戦闘を見据えている相棒を横目に、ユーシアも砂色の外套から薬瓶を取り出す。
ザラザラ、と無味無臭の錠剤を手のひらに落とし、それらを水もなしに口の中へ放り込んだ。ラムネ菓子よろしくボリボリと噛み砕いて、しっかりと飲み込む。
「怪しいのは劇場かな」
「ですよね。行きますか?」
「行こうか」
二人の足がホテルご自慢の劇場へ向けられた瞬間、
『おにいちゃん、電話だにょん。おにいちゃん、電話だにょん』
静寂を引き裂くかのように、可愛らしいロリボイスがユーシアの外套のポケットから響く。
口から心臓が飛び出るほどに驚いたユーシアだが、ギリギリのところで悲鳴だけは回避した。マナーモードにしていなかった携帯電話を取り出せば、液晶画面には『スノウリリィ』の文字が並んでいる。
何かあったのだろうか、とユーシアは嫌な予感を察知する。リヴも小さく頷いたので、通話ボタンをタップする。
「もしもし、リリィちゃん?」
『た、大変なんです!! ネアさんが、ネアさんが……!!』
通話に応じた途端、スノウリリィの焦りに満ちた声が鼓膜に突き刺さる。
『ネアさんが、窓からいなくなってしまって……どうしたらいいか、私……!!』
ユーシアはリヴへ視線をやる。
話が漏れ聞こえていたのか、リヴは冷静な態度で「【OD】の異能力ですね」と判断を下す。
「ネアちゃんの異能力はピーターパン、空を飛ぶものです。窓から落ちたということは考えにくいかと」
「そうだね。――多分、どこに向かったのかも分かる」
そう、彼ら二人は読めていた。
ネアがおかしくなった原因も、確証を得られた。少女の行き先も何となく予想がつく。
ああ本当に、嫌な人魚姫である。
ユーシアはとうとう電話の向こうで啜り泣き始めたスノウリリィに、
「リリィちゃんは大人しく部屋で待ってて。念の為、ドアの鍵と窓の鍵は閉めておくんだよ。誰が来ても開けないようにね」
『はい、はい……ごめんなさい、ユーシアさん……私……』
「謝らないの。今から元凶を殺して、ネアちゃんを連れて帰るから」
スノウリリィを宥めてから、ユーシアは通話を切った。
携帯電話を外套のポケットに戻すと、彼らの視線は劇場の扉へ向けられる。
この先に、おそらくネアはいる。――いいや、絶対に。
「行こうか、リヴ君」
「ええ、人魚狩りですね。ワクワクします」
「無知でお馬鹿な人魚姫を、ちょっと分からせてあげないとね」
次なる獲物は人魚姫だ。
あの美声で二度と歌えないようにしてやる。
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