第2話【赤頭巾の集団】
地図アプリを頼りに裏通りを進んでいくと、数十分程度で目的地に辿り着いた。
ユーシアとリヴの前に
上の階層には何も入っていない様子だが、目的であるクラブ『レッド』は地下にあるようだった。落書きされた看板には下を示す矢印がかろうじて確認でき、店名が落書きの下に描かれていた。
下品な落書きに店名が隠されているが、この雑居ビルの地下がクラブ『レッド』なのだろう。
「行ってみる?」
「そうですね。面白そうですし」
迷わず頷いたリヴに、ユーシアは「いつも通りだね」と苦笑する。
先にリヴが地下へ繋がる狭い階段を下り、ユーシアがその後ろに続く。純白の対物狙撃銃へ弾丸を込めながら、ついに見えてきたクラブ『レッド』の扉に照準する。
誰が出てきてもすぐに撃てるようにしているが、扉の向こうから物音一つ聞こえてこない。
リヴは扉に耳を欹てて、中の様子を探る。
「……何も聞こえてこないですね」
「死んだかな?」
「僕たち、まだチンピラを殺しただけですけど」
「命が……繋がってた……とか?」
「何ですか、その漫画みたいな設定」
雨合羽の袖から注射器を取り出したリヴは、いつでもそのシリンダー内で揺れる透明な液体を注入できるようにする。
ユーシアも砂色の外套に忍ばせた薬瓶から、無味無臭の錠剤を手のひらに出す。
味もしないし匂いもしない錠剤を口の中に放り込み、ポリポリとラムネよろしく噛み砕いて飲み込む。【DOF】は今朝飲んだばかりだが、戦いの前にも飲んでおいた方がいいだろう。
「では、開けますね」
「うん」
リヴは、クラブ『レッド』の扉を開ける。
ギィと蝶番の軋む音と共に、どこか埃っぽい臭いがユーシアとリヴの鼻孔を掠める。
店が静かなのは営業していない訳ではなく、すでに廃墟と化したことが理由だろうか。ソファや椅子はひっくり返った状態で埃を被り、棚には飲みかけの酒瓶が蜘蛛の巣を引っ掛けたまま放置されている。
薄暗い店内には人の気配すらなく、あのチンピラがアジトとして使用していた雰囲気もない。
随分昔に閉店して、そのまま忘れ去られた空気だけが漂う。
このクラブ『レッド』を地図上にピンで留めていた理由は、一体何だろうか?
「シア先輩」
「リヴ君? どうしたの?」
「何か来ます」
店の奥を睨みつけたまま注射器を首筋に突き刺し、シリンダー内で揺れる透明な液体を注入するリヴ。
相棒のただならぬ気配を感じ取って、ユーシアは純白の対物狙撃銃を構える。
彼の言葉通り、入り口付近で誰かの気配を感じた。
数えるのが面倒臭くなるほど、大量の人間の気配。なるほど、ここは罠だったか。
「指名手配されてやがるから、どれだけ頭がいいかと思えば――」
店の中に足を踏み入れてきたのは、
「――とんだ間抜け野郎だったとはな」
赤頭巾を被った、むさ苦しい男だった。
「…………」
「…………」
衝撃的な光景を前に、ユーシアとリヴは言葉を失った。
想像してほしい。
筋骨隆々とした髭面のチンピラが、女児が被るべきメルヘンチックなデザインの赤頭巾で頭を守っているのだ。ご丁寧にもフリルが頭巾の随所に施されていて、非常に可愛らしい代物となっている。
これ以上の吐き気を催すような映像を、今まで見たことがあるだろうか。
頭の中身を疑いたくなるむさ苦しい赤頭巾ちゃんと対峙するユーシアとリヴは、揃って「うえッ」と嗚咽を漏らした。
「リヴ君。俺【DOF】飲んだばかりなんだけど、もしかして幻覚を見てるのかな?」
「奇遇ですね、僕も入れたばかりなんですよ」
「幻覚だとしたら随分と質の悪い幻覚だよね。赤頭巾ちゃんがムキムキマッチョの気持ち悪い野郎って、一体どういうことなんだろう」
「僕、こんな幻覚見たくないんですが。寒気がしますよ。ほら見てくださいよ、この鳥肌。僕このままだと鶏になりますよ」
「そうなったら美味しいローストチキンにしてあげるね」
「美味しく調理してくださいね」
「――――お前らァ!!」
気持ち悪さに振り切った赤頭巾ちゃんが、顔を真っ赤にして絶叫する。
「この赤い頭巾は、オレたち『レッドウルフルズ』の証だ!! 馬鹿にするんじゃねえ!!」
「いや、するよ。大いに馬鹿にするし、何だったら写真も撮っちゃう」
ユーシアは携帯電話を取り出して、写真アプリを起動させる。
顔を真っ赤にして怒りを露わにする赤頭巾野郎にカメラを向け、半笑いで「はいチーズ」と写真を撮った。画面に収まった気持ち悪い赤頭巾に噴き出し、液晶画面をそのままリヴにも見せてやる。
むさ苦しい赤頭巾を確認したリヴもまた、鼻水と唾を同時に噴出するという儚げ系イケメンがやらないような芸当をやってしまった。
「ご、ごめ、ごめんなさい。僕の脳がバグりました」
「いや、俺もバグってるから大丈夫」
「え? これ現実なんですか? そうだとしたら結構イタいですよ。視界の暴力ですよ」
「もうこれを見ただけでボクシング選手の右ストレートを食らったみたいな衝撃があるんだけど、俺って大丈夫? 今ちゃんと両足で立ってる?」
「僕なんか宙に浮かびそうなんですけど、衝撃を受けすぎて」
「お前らどれだけ馬鹿にすれば気が済むんだぁああん!?」
凶悪な赤頭巾ちゃんが、唾を飛ばしながら怒鳴ってきた。
そろそろユーシアとリヴも怒れる赤頭巾ちゃんを馬鹿に出来るような語彙力が尽きてきたので、そろそろ心を落ち着けようと試みる。
しかし、出来なかった。
気持ち悪さに振り切った赤頭巾ちゃんが増えていた。
比喩表現ではなく――いや、むしろ比喩表現だったらどれほどよかっただろうか。
先頭の男と同じようなデザインの可愛い赤頭巾を被ったチンピラの集団が、後ろで控えていたのだ。ご丁寧にも、鋭い眼光を宿してこちらを睨みつけている。
この世の地獄をここに見た。
割と本気で。
「リヴ君、俺死んじゃう。マジで死んじゃう」
「奇遇ですね、僕も死にそうなんですが。主に腹筋が」
「腹筋崩壊ってまさにこのことなんだね」
「崩壊どころの問題じゃないですよ。絶対にこれ明日には筋肉痛になってますって」
「俺の腹筋はヤワじゃないはずなんだけど、これは本当に無理だわ。耐えられない」
「耐えられたら勇者ですよ」
「とりあえず撮影しておく?」
「今日の晩ご飯の時の話題になりそうですね」
頭の中身が本気でやばい狂気的な赤頭巾ちゃん集団をしっかり撮影して、ユーシアとリヴは精神統一の為に深呼吸をする。
すぅ、はぁ、と埃臭い空気を吸い込んで、赤頭巾ちゃん集団をもう一度観察する。
噴き出しそうになったものの、今度は耐えられた。この視界の暴力にも体が順応したようだった――本音を言えばしたくなかったが。
「俺たちね、アップルリーズ議員の情報を集めてるんだよね。何か知らない?」
「はッ、教える訳ねえだろ」
先頭のボスらしき赤頭巾ちゃんが偉そうに言った途端、その喉から真っ赤な血が噴き出した。
音もなくユーシアの側から姿を消したリヴが、血濡れたナイフで赤頭巾ちゃんの一人をこの世から葬り去ったのだ。
この悍ましい赤頭巾ちゃんは、息をしていてはいけない。酸素が可哀想だ。
「真っ赤にしましょう、真っ赤にしましょう、赤く赤く染めて本当の赤頭巾ちゃんにしちゃいましょう」
めちゃくちゃなリズムと音程で歌うリヴは、一瞬で倒れたボス赤頭巾ちゃんを足蹴にして次の赤頭巾ちゃんの胸倉を掴む。
フードの下から覗く胡乱げな黒い瞳に、赤頭巾ちゃんは恐怖を覚えたのだろう。ガタガタと震えながら「しら、知らねえ」とリヴが質問するより先に答える。
知らない、と答えた彼を屠ったのは、リヴの血に塗れたナイフではなかった。
「はい、じゃあ用済みだよ」
横倒しになったソファに銃身を置き、ユーシアは引き金を引く。
タァン、という銃声が薄暗い店内に響いた。
射出された弾丸が赤頭巾ちゃんの眉間を的確に撃ち抜き、永遠の眠りへと誘う。くたりと全身から力を抜いて
頬にナイフの刃を押し当てて、リヴは「知ってますよね?」と決めつけるような内容の質問をする。もちろん、知らないと答えた暁には命はない。
「し、知って、知って」
「知って……何ですか?」
リヴの後ろで対物狙撃銃を構えるユーシアは、自分の携帯電話に着信があることに気づいた。
ぶー、ぶー、と震える携帯電話を手に取り、誰が相手なのか確認する。
液晶画面に表示されたのは、見知った電話番号だった。赤頭巾ちゃんに対する拷問はリヴに任せて、ユーシアは電話に出る。
「もしもーし」
『あ、もしもし? ユーシアか?』
「ユーリさん、どうかした? 何か情報は掴めた?」
『まあ一応な。ある程度は拾えたけど』
「じゃあ、どこか店でも入ろうよ。俺たち、昼飯まだなんだよね」
『ああ、じゃあ飯食いながら話すか』
「うん。ちょっと今ね、衝撃的映像を処理するのに大変だからさ。またあとで電話かけるね」
『え、何それ? 詳しく説明して――』
ユーシアは通話を切ると、すでに追加で三人ほど赤頭巾ちゃんを屠ったリヴの背中に言う。
「リヴ君」
「何ですか?」
「赤頭巾ちゃん、全員殺しちゃって」
「ええ、分かりました」
そう言うと、リヴは胸倉を掴んでいた髭面の赤頭巾ちゃんの眼球にナイフを突き刺す。血の涙を流しながら絶叫する赤頭巾ちゃんに膝蹴りを叩き込んで追い討ちをかけ、トドメに首の骨を折って殺害した。
白雪姫に続いて赤頭巾ちゃんの殺害とは、今回はメルヘンな御伽話尽くしである。
ユーシアはやれやれと肩を竦めると、薬室へ新たな弾丸を送り込んだ。
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