第5話【戦争は明日から】
「終わりました?」
ボンネットが凹んだ車の扉が開き、スノウリリィが顔を覗かせる。
ネアとスノウリリィは車の中で待機していてもらい、先に昼食を取ってもらっていたのだ。話の内容は聞いていないと信じたい。
「何のお話だったんです?」
「俺たちを指名手配した人の情報」
ユーシアは人当たりの良さそうな笑顔で、スノウリリィの質問に簡潔な答えで応じた。
返答を受けたスノウリリィは、何か嫌なものを感じ取ったのか、ジト目でユーシアを睨みつけてくる。
「……まさか、殺すとか言いませんよね?」
「あはは」
「笑って誤魔化さないでください!!」
スノウリリィが金切り声を上げ、リヴが素早く彼女の口を塞ぐ。小声で「黙ってくださいね、死にたくなければ」と脅しかけていたところも、しっかりと聞こえていた。
閑話休題。
ユーリにアップルリーズ議員についての情報収集を依頼し、まずは拠点の確保と車の確保である。
自宅に帰ることなど出来ないし、車も悲惨なまでに凹んでしまっている。修理に出しても戻ってくるまでに時間がかかるし、店側から通報される可能性も大いにある。
ユーシアは駐車場をぐるりと見渡すと、
「手っ取り早く、誰かから盗むかな」
「盗難ですかッ!? 止めましょう、罪を重ねるなんてダメです!!」
車を盗むことを呟くユーシアに、スノウリリィが止めてくる。また大声で騒ぐものだから、リヴに無理やり口を塞がれていたが。
その時だ。
どこからか車のエンジン音が聞こえてきて、視界の端でライトが強く輝く瞬間が見えた。
ユーシアは慌てて車の影に隠れ、リヴはスノウリリィを押し倒して車の中に避難する。「んむーッ」というくぐもったスノウリリィの絶叫が聞こえてきたが、数秒と置かずに静かになった。
地下駐車場にやってきたのは、黒色の車だった。高級車だろうか、その辺の車と比べると光沢が違う。
「ッたく、あの野郎どもはどこ行った?」
「もしかしたら、ショッピングモールのところに行ったかもしれないな。奴らは頭がいい、注意しろ」
「あいつら殺せば二〇〇万ドルなんだろ? 太っ腹だよなァ」
車から降りたのは、黒いスーツに身を包んだ三人の男だった。
チンピラとは違って、こちらは完全にマフィアと呼んでもいいだろう。もしかしたら、件のアップルリーズ議員と関係のあるマフィアなのだろうか。
車の影から様子を窺うと、黒いスーツを着た男たちは機関銃やら自動拳銃やらを装備して、ショッピングモールの入り口方面へ歩いて行った。
往来に車を停めるとは迷惑極まりないが、盗られても文句はないということだろうか。それとも、自分たちが無事にユーシアとリヴを殺して賞金を得られるという甘っちょろい考えを持っているのだろうか。
遠ざかっていく足音を聞きながら、リヴは車からひょっこりと顔を出す。
「……どうします?」
「エンジンは止めていったよね。あの車を盗みたいなら、鍵も奪わないと」
「そうですね。ノワールと名付けましょう」
「すでに自分の車にした気分になってるね」
相手は敵なのだから、殺して車を盗んだところで心は痛くならない。いや、相手が一般人であっても心は痛くならないが。
雨合羽の下から注射器を取り出したリヴは、首筋に注射針を突き刺す。
シリンダー内で揺れる透明な液体を注入すると、彼はフッとユーシアの目の前から姿を消した。【OD】の異能力を発動した証拠だ。
ユーシアは後部座席に積んだライフルケースを引っ張り出すと、箱に横たわらせた純白の対物狙撃銃を取り出す。専用の銃弾を薬室に叩き込み、車の影から飛び出した。
「あー…………」
純白の対物狙撃銃を構えて地下駐車場へ飛び出したユーシアは、コンクリートの地面に倒れ込む三人の男を目撃した。
彼らの中心に立っていたのは、手の部分を真っ赤に染めたリヴである。
しばらく人工的な明かりを落とす蛍光灯を見上げていた彼は、思い出したようにしゃがみ込むと、手近にいた男の懐を弄った。
「……本当に一瞬だったね。俺が出るまでもなかったな」
「雑魚を相手に手間取る僕ではありませんよ」
男の懐から財布を取り出し、革製のキーケースも引っ張り出す。
キーケースを開いて鍵の種類を確認するが、車の鍵はついていなかったようだ。リヴは迷わずポイとキーケースを放り捨て、次の男の懐を弄る。
「どう? ありそう?」
「ありました」
リヴが男の懐から発掘したものは、車のエンブレムがついた鍵だった。これで間違いないようだ。
ユーシアは駐車場を見渡して、こちらをじっと眺める監視カメラを見つける。純白の対物狙撃銃を構え、監視カメラに狙いを定めると、迷わず引き金を引いた。
タァン、という銃声が地下駐車場に響く。射出された銃弾は監視カメラを的確に射抜き、破壊した。
それからユーシアは片手を振ると、リヴが車の鍵を投げて寄越してくる。鍵を受け取ったユーシアは、道の真ん中に鎮座する高級車に近寄った。
「ネアちゃん、リリィ。ここに車は置いて行きますよ。荷物を持って移動してください」
「おくるま、かえるの?」
「どうせ拒否権なんてないんでしょう……」
「リリィ、置いて行かれたいならそう言ってくださいね。いつでも捨て置きますので」
「や、辞めてください!! こんなところで一人にしないでください!!」
車の施錠を解きながら、ユーシアはリヴとスノウリリィのやり取りを聞く。相変わらず彼らの仲は、そこそこ悪いらしい。
車の扉を開けて内部を確認すると、
「――う、うああああッ!!」
絶叫と共に、勢いよく小さい何かが飛び出してくる。
まだ若い少年だ。年齢は一〇代後半と言っても差し支えないほど、若々しく見える。
明るい栗色の髪、鼻の頭に散った
先程の男たちと同じ黒いスーツを着ているところから察すると、彼もまた死んだ男たちの仲間なのだろう。随分と若い仲間がいたものだ。
「に、兄さんたちの仇ィ!!」
少年はユーシアの胸倉を掴むが、その腕をユーシアは掴んで彼を投げ飛ばす。
ぐるん、と少年の体が一回転して、硬いコンクリートの床に叩きつけられる。
強かに後頭部をぶつけた彼は「痛いッ」と呻くと、あまりの激痛にもだえていた。確かに痛い音がしていたので可哀想だとは思うが、残念ながら憐んでやる慈悲など持ち合わせていない。
大の字で地面に転がる少年の腹を踏んづけてやると、彼の口から唾が飛んだ。純粋に「汚いなぁ」という感想が言葉として漏れる。
「何よお前さん、あの雑魚の仲間なの?」
「ぐッ、ぅ、だ、誰、が。言うもん、かッ」
「あっそう。じゃあ言わなくていいからさぁ」
ユーシアは純白の対物狙撃銃を振り上げると、
「死んでよ、ここで」
ごしゃッ。
銃身を握りしめ、さながら鈍器よろしく対物狙撃銃を振り下ろす。
少年の鼻っ面に銃把がめり込み、白いものが口から飛び出す。何かと思ったら、彼の前歯だった。対物狙撃銃を通じて、硬いものが砕け散る感覚が伝わってくる。
「ぶぐぇッ」
「あ、まだ生きてるんだ。さすがにしぶといなぁ」
ユーシアは二度、三度と対物狙撃銃を少年の顔面めがけて叩きつけた。
鼻はひん曲がり、歯は弾け飛び、血が流れる。
抵抗虚しく少年はボコボコに顔面を殴られて、傷つけられる。苦し紛れに、彼は叫んだ。
助けの言葉ではなく、言ってはいけないあの名前を。
「ぁ、あ、りす」
「――――」
対物狙撃銃を振り下ろす手が止まる。
ズタボロの状態で寝転がる少年の姿がブレる。
栗色の髪がずるりと伸びて、金色に染まる。愛らしい顔立ちに黒色のカチューシャ、青いワンピースの上から純白のエプロンドレスを身につけた可愛らしい格好。
対物狙撃銃を握りしめる手に力が込められる。
目の前の少女をどうやって殺してやろう?
殴れば死ぬか、撃てば死ぬか、いやユーシアには相手を殺す術を持たない、どうすればいいどうすればいいどうすれば――。
「シア先輩、アリスはすでに殺しましたよ」
思考回路が狂気に陥ったユーシアをすくい上げるように、リヴの穏やかな声が耳に滑り込んでくる。
寝転がる少女の姿が、元に戻る。
栗色の髪に乱れた黒いスーツ、前歯が弾け飛んで血を流した悲惨な状況。ああ、どこかで見覚えのある少年だ。
安堵の息を漏らすユーシアは、振り上げた純白の対物狙撃銃をそっと下ろす。怯えた様子の少年から視線を外し、背後に立つ真っ黒なてるてる坊主へ振り返った。
「殺しておいて」
「了解です」
短く応じたリヴが、少年の口に自動拳銃をねじ込んだ。
涙を流してモゴモゴと呻く少年など構わずに、リヴは引き金を引いた。
銃声と共に吐き出された弾丸が頸動脈を撃ち抜き、儚い命は絶たれる。
ユーシアは瞳を閉じて、先程の光景を頭の中から追い出す。
「まだダメなのかなぁ、俺」
かつて、命を賭して殺したいと願った相手だった。
そして、自分の手で殺した相手だった。
その名前を聞いただけで、ユーシアは正気をなくしてしまう。もうその相手はいないのに。
☆
殺した相手の車を盗み、ご機嫌なリヴが運転しながらショッピングモールの地下駐車場を出て行く。
お昼ご飯を食べたことでうとうとと船を漕ぐネアと、彼女に「眠いなら寝てもいいですよ」と呼びかけるスノウリリィの姿をバックミラーで確認し、
「シア先輩、今日の宿はどうします?」
「ムーンリバーホテルでもいいけど、泊まれるかな」
「あのホテルよかったですよね。広いですし」
「指名手配されてる身だからさぁ、通報されるのも困るんだよね」
ユーシアは背中へ流れていくゲームルバークの景色を眺めながら、リヴとの対話に応じる。
「戦争は明日からですかね」
「そうだね。明日から本気出すってことで」
「……シア先輩、さっきのことは気にしない方がいいですよ」
先刻の乱暴な運転と違って滑らかな運転をするリヴは、
「アンタの敵はもう死んだ。次は白雪姫が敵ですよ」
「うん、そうだね」
視界の端に映り込む金髪の少女を一瞥し、ユーシアは言う。
「アリスは死んだ」
その言葉は、自分に言い聞かせているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます