第4話【ならば、全面戦争をしよう】

 結論から言うと、ネアとスノウリリィの存在は知られていなかった。



「巻き込まれてなくてよかったぁ」


「……そうですね」



 携帯電話でSNSを確認しながら、ユーシアは安堵の息を漏らす。


 ネアとスノウリリィは現在、昼食を調達している最中だ。

 ユーシアとリヴは指名手配されてしまっているので、店に入った瞬間に通報されかねない。その点、二人は顔が割れていないので生活必需品の調達に最適だ。


 とりあえず、彼女たち二人がユーシアとリヴの事情に巻き込まれていないようで安心した。


 ショッピングモールの地下駐車場に身を隠すユーシアは、



「ところで、リヴ君。何でお前さんは車の前で項垂れてるの?」


「見て分かんないんですか。シア先輩の眼球は風穴ですか?」


「節穴という表現は聞いたことあるけど、風穴とはまた斬新な言い方だね」



 車のボンネットが盛大に歪み、傷だらけになってしまった車の前で膝をつき、ガックリと項垂れた様子のリヴは「まるで他人事ですね……」と沈んだ声で言う。



「僕のシルヴァーナが悲惨な姿になってしまったんですよ? 嘆かない訳ないじゃないですか」


「いつこの車はシルヴァーナって名前になったの?」


「今つけたんですよ。気に入ってたんです、運転しやすいから」



 リヴにも拘りがあるのか、綺麗に直すには時間と金がかかりそうな酷い姿と化した愛車を嘆き悲しんだ。アニメと幼女ロリ以外に関心を示さない彼にしては、珍しいことである。


 ユーシアはSNSで自分たちにかけられた賞金を調べながら、リヴの嘆きに対して適当に「ああ、はいはい」などと応じていた。

 正直な話、ハリウッド映画張りのドライビングテクニックを披露するリヴに物申したいところだが、落ち込んだ様子の彼を責める気にはなれない。弱っている相棒に追い討ちをかけるほど、ユーシアの人格は崩壊していないのだ。


 液晶画面に指を滑らせながら、ユーシアは賞金についての情報を探す。


 現代の情報網は発達していて、真偽は様々だがたくさんの情報が転がっている。

 芸能人の誰と誰が不倫したというゴシップ記事や政治に関する記事を押し退けて、ネットの世界を騒がせるニュースが一番上に出てきた。当然、ゲームルバークを賑やかにした二人の悪党についてだ。



「あー、あるある」



 ユーシアは、SNSに記載された自分自身についての情報に目を走らせる。


 人格破綻者、何人も殺してる連続殺人鬼、などと若干事実に触れたありきたりな内容しか並んでおらず、家族構成や使用武器などの情報は出回っていない。

 ただ、ユーシアとリヴが【DOF】の使用者である【OD】だという情報は出ていた。おそらく、嘘から出た真実だろう。



「何かもう、色々適当に言っておけば当たるって感じだね」


「本人からすれば、間違い探しのようなものですよね。ゲームルバークに知り合いなんてほとんどいませんから、聞き込みをしても無駄だと思いますし」



 愛車の惨状から立ち直ったのか、ユーシアが操作する携帯電話の液晶を横から覗き込み、リヴがそんなことを言う。



「それよりも賞金の額は?」


「二〇〇万ドルだね」


「現在の日本円で計算し直すと大体二億円前後ですかね」(2020/12/22現在)


「計算が早いなぁ」


「今朝の経済新聞でレートが載ってたんで、一応確認していたんです」



 で、と雨合羽のフードの下から、リヴの黒曜石にも似た双眸がユーシアの顔を見上げる。



「どうするんですか? 二億なんて安く見られたものですけど」


「値段が吊り上がったら面白いんだけどね。スタートはこれぐらいかぁ」



 SNSの画面を閉じ、ユーシアは携帯電話をしまう。


 ゲームルバークを騒がせる悪党に、二〇〇万ドルなどという端金を設定するなど遺憾である。どうせなら、もっと吊り上げてやりたい。

 宝くじだってもう少し貰える額なのだ。世界中が敵として立ち塞がるのであれば、ご褒美の賞金は多い方がいいだろう。


 それなら、一体どうすればいいだろうか?

 答えは簡単だ。



「分かった。世界が敵に回るなら、戦争しようじゃないの」


「お、軍人魂に火がつきました?」


「ついちゃいました」



 ユーシアは覚悟を決めた。


 こんな愉快な状況になるなんて、人生で早々ないことだ。

 ならば、大いに状況を楽しんでやろうではないか。賞金をどんどん吊り上げて、雑魚の悪党が目をギラギラと輝かせてユーシアとリヴを探す様を嘲笑い、立ち向かったことを後悔させてやる。


 気分は世界中を震撼させる魔王だ。

 勇者はことごとく潰させてもらおうではないか。


 状況を楽しむユーシアを見上げ、リヴも「いいですね」と笑う。



「是非お供させてください」


「もちろん。お前さんがいないと、始まらないよ」


「『白い死神ヴァイス・トート』に選ばれるなんて光栄ですね。今回も大いに楽しませていただきますよ」



 二人が密かに世界へ向けて宣戦布告したその時、地下駐車場いっぱいに「おにーちゃーん」という聞き覚えのある声が反響した。


 ユーシアとリヴの心臓がドキリと跳ねる。

 こう呼ぶのは決まってあの少女だけだが、今呼ばれてしまうと本気でまずい。



「ネアちゃん、静かに!! 他の人に迷惑かけちゃうから!!」


「あ、そっか。ごめんなさい」



 昼食の調達から戻ってきたネアは、ユーシアの注意を受けて素直に謝罪する。地下駐車場にて姿を隠すユーシアとリヴが見つからないようにする為の嘘なのだが、今回も簡単に信じた。

 抱えていたファストフード店の袋をユーシアに渡しつつ、幼女の精神を宿した金髪の少女は「あいたいってひとがいるの」と言う。


 指名手配中にわざわざ「会いたい」などと言ってやってくる相手など、ユーシアとリヴの首を狙いに来た敵に決まっている。

 SNSで情報は流れていないが、もしかしたらネアとスノウリリィの個人情報はすでに共有されているのかもしれない。そして彼女たちに近づいて、目的の人物である二人に接触を図ってきたのだろうか。


 邪推が次々と浮かんでは消えていく中で、ネアを追いかけてきたスノウリリィがユーシアとリヴに「会いたい」と宣った人物を連れてくる。



「ネアさん、先に行っては危ないですよ。他の車が来たらどうするんですか」


「はぁい」


「あのユーシアさん、リヴさん。ユーリさんがお話をしたいと」



 スノウリリィの背後に立っていたのは、見覚えのある黒髪の男だった。


 精悍な顔立ちは実年齢から五歳ぐらい差し引いても問題ないぐらい若く、飄々とした態度は軽薄さすら覚える。

 黒い外套の下には着古したTシャツとジーンズというあまりにも普通な格好で度肝を抜かれるが、彼は歴とした裏側の人間である。


 ひらひらと手を振って笑いかけてくる男は、



「よう、ユーシア。随分と大変なことになってるじゃねえか」


「……こんなところで出会うなんて奇遇としか言えないね、ユーリさん」



 黒髪の男――ユーリは「いやぁ、本当に奇遇だな」と笑う。


 彼は【DOF】を作る調合師である。

 ユーシアやリヴも彼の調合する【DOF】を重宝していて、薬が足りなくなった時に買い足しているのだ。普段は裏の世界でも特殊な場所に店を構えているのだが、表の世界で見かけるとは初めてだ。


 ユーリは人当たりの良さそうな態度を一転させ、



「話がある。いいか?」



 ☆



「ユーシア、お前はこの議員を知ってるか?」



 そう言って、ユーリが見せてきた携帯殿の液晶画面には女性議員が表示されていた。


 壇上で熱演をしている最中に撮影された様子で、彼女が何かを語っている迫力が画面越しに伝わってくる。

 灰色のスーツに身を包み、両耳には赤い林檎のピアスが煌めいている。化粧はそれほど濃いものではなく、それなりに歳を重ねているので、聡明な印象を受けた。


 赤い林檎のピアスでピンと閃いたユーシアは、



「まさか、これがアップルリーズ議員?」


「そう。お前らが殺したスノウホワイト氏の御母堂ごぼどうだな」



 ユーリは携帯電話をしまうと、



「今朝のニュースを見て度肝を抜かれたよ。お前らがスノウホワイト氏を殺しちまったとはな」


「殺したのは事実ですが、証拠を残した記憶は全くありませんよ」



 リヴの言い訳じみた台詞に、ユーリは「だろうな」と肩を竦める。



「お前らが殺害の証拠を残すとは思えない。となると、殺害された事実に乗じてお前らを消そうと企んでるんだろうな」


「…………なるほどね」



 ユーシアは納得したように頷いた。


 アップルリーズ議員とやらはユーシアとリヴの存在を邪魔だと判断し、自分の息子が殺された状況を利用して、二人をこの世から消そうとしているのだ。

 もし仮にユーシアとリヴが息子であるスノウホワイト氏を殺していなかったとしても、濡れ衣を被せる腹積りだったのだろう。どう足掻いても、あのチンピラを殺した罪を着せられるのだ。


 とはいえ、今回は実際に殺してしまったので、ユーシアとリヴは「現場に証拠を残してしまったのだろうか」と疑問に思ったが、状況を利用されただけだと判明して一安心である。



「で? それだけの用事で来た訳じゃないよね」


「よく分かってるな。もちろん、それだけじゃねえんだわ」



 ユーリは携帯電話を懐にしまうと、



「このアップルリーズってババアなんだが、裏ではゲームルバークを取り仕切るマフィアのボスなんだわ」


「……え、マジ?」


「マジのマジよ」



 つまり、とユーリは言葉を続けた。



「お前らはゲームルバークを支配する最大派閥に、真っ向から喧嘩を売ったって訳だ。紛れもなく戦争になるぜ、これは」


「何だ、じゃあちょうどいいよ」


「え?」



 顔を青褪めさせる訳でもなく、怯える素振りすら見せないユーシアのケロッとした態度に、ユーリが首を傾げる。


 すでに世界中を敵に回した状態だ、相手が判明したところでやることは変わらない。

 ゲームルバークを支配する最大派閥だか何だか知らないが、どのみち殺すことは決定しているのだ。誰を敵に回したのか、後悔させてやる。


 ユーシアは「ちょうどその話をしてたんだ」と言い、



「表側でも裏側でも敵だらけなんだ。じゃあ、もうこれって戦争だよね」


「ですね。相手がハッキリしただけ良しとしましょう。無闇に殺し続けるのは、体力や武器の消耗にも繋がりますし」


「最終目標はあのアップルリーズ議員かな? いいね、余裕ぶっこいたババアに一発撃ち込もう」


「お綺麗な顔面をぐちゃぐちゃになるまで殴ってやりましょうかね。眼球も抉ってやりましょう、マフィアのボスの眼球なんて売れそうじゃありません?」


「…………なあ、お前ら。震え上がるとかねえの? 相手は裏社会を牛耳るマフィアだけど?」



 最大派閥を相手に真っ向から喧嘩を売ったユーシアとリヴだが、その喧嘩の準備を嬉々として議論する様に、ユーリが常識を問う。


 ユーシアとリヴがそこら辺を歩いているような普通の悪党であれば、裏社会を牛耳るマフィアに喧嘩を売ったとなると、間違いなく震え上がることだろう。自殺した方がマシだと考えるかもしれない。


 しかし、ここにいるのは常識や倫理観を野良犬に食わせた、正真正銘のイカれた悪党である。

 相手が最大派閥のマフィアであると判明したところで、敵が分かったとしか認識していないのだ。


 ユーシアはニッコリと微笑むと、



「いやぁ、本当にユーリさんがここにいてよかった。頼みに行く手間が省けたよ」


「え、な、何を頼むの? 内臓は売らねえぞ!?」


「売るのは情報だよ。あとついでに【DOF】も」



 引き気味のユーリの肩をぐわし!! と掴んだユーシアは、



「もちろん、協力するよね?」


「い、いや、あの、出来れば俺は傍観していたいかなぁと……」


「協力しますよね?」



 音もなくユーリの背後に現れたリヴが、彼の首筋に小さなナイフを押し当てる。


 口元を引き攣らせたユーリは「や、やらせていただきまーす……」と応じるのだった。

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