第3話【世界が敵になっても】

「準備できた?」



 一度部屋に戻ると、巨大な熊のぬいぐるみを抱きしめたネアが「うん!!」と元気よく頷いた。

 彼女の足元には可愛らしいデザインのリュックサックが置かれていて、パンパンに膨れたポシェットも背負っている。準備万端であることを全身で伝えていた。


 スノウリリィもまた、大きめの鞄を足元に置いている。真実を知っているものの、旅行と信じて止まないネアの夢を壊さないように、心優しい銀髪のメイドは口を閉ざしたままだった。



「リヴ君は? 大丈夫?」


「はい」



 浴室を寝床としていたリヴは、雨合羽レインコートの上から黒いリュックサックを背負っている。いつのまにそんな鞄を持っていたのだろう、と疑問に思ったが、今はそんな質問をしている暇ではない。


 ユーシアは自分の衣類が詰め込まれた鞄とライフルケースを持ち、



「じゃあ出発しようね」


「わーい、おでかけおでかけ!!」


「そうですね、お出かけですね」



 旅行という嘘を完全に信じ込んでいるネアは、ニッコニコの笑顔でユーシアの背中に続いた。その後ろで、全てを悟ったような雰囲気を漂わせるスノウリリィは、ユーシアとリヴを非難することなく、はしゃぐネアに「危ないですよ」と注意する。


 部屋を出て、鍵は新聞受けから部屋の中へ投げ込む。これで扉や窓を壊さない限り、部屋の中には入れない。



「行くアテはありますか?」


「ないよ。でも、情報収集は必要だと思う」


「どのように指名手配されているか、ですか?」


「どのくらい賞金がかけられているのか、という情報もほしいな」


「雑魚が【OD】相手に挑んでくるぐらいですから、結構な金額に設定されているのでは?」


「そうなったらどうする? 互いに首根っこ掴まえて自首する?」


「それはそれで面白いかもしれませんね」



 コソコソと声を潜めて会話しながら、ユーシアたちは車に乗り込む。


 運転席にはいつも通りリヴが座り、助手席にはユーシアが乗る。後部座席には心の底から旅行を楽しみにするネアと、沈んだ面持ちのスノウリリィが座った。

 シートベルトを装着して発進しようとエンジンをかけたと同時に、すぐ側で同じようにエンジンを吹かす車が何台か確認できた。


 フロントガラス越しに睨みつけてくる眼球が何個か。

 こちらの発進に備えて準備をしているようで、血走った目がユーシアとリヴを射抜く。



「……ネアちゃん、リリィ」



 悪意ある視線に気づいた運転手は、バックミラーの位置を整えてギアを掴む。



「シートベルトを装着して、何なら飴でも舐めておいてください。車酔いしたと言われても止まりませんよ。吐きたくなったら窓を開けてくださいね」


「え、ちょ、リヴさん? それはどういう――」



 ことですか、というスノウリリィの言葉は最後まで声に乗らなかった。


 ギアを変更したリヴは、勢いよくアクセルペダルを踏む。

 ロケットスタートを決めた車は、車内全体を掻き回すように急カーブを決めて、ゲームルバークの片隅にある古びたアパート前を飛び出した。


 物凄い速度で逃げ出した車を追いかけ、数台の車も慌てて発進する。

 だが、すでに距離を引き離されてしまった為に、ユーシアとリヴを乗せた車は彼らの視界から消え失せてしまった。


 道路を走る車の間を器用にすり抜けながら追手を撒き、無免許とは思えないドライビングテクニックを披露するリヴに、ユーシアは何とか座席にしがみつきながら訴える。



「リヴ君リヴ君リヴ君!! もう少し丁寧に運転しようよ!?」


「このくらいでへばってたらジェットコースター三連続は出来ませんよシア先輩!!」


「やらないよ普通に!! 俺の年齢を考えて!? 今年で二八だよ!!」


「僕はついに二〇ですね!! これが若さって奴ですよッ!!」



 右に急ハンドルを切ったので、ユーシアは遠心力で振り回されて窓に頭を思い切りぶつけてしまう。


 車が通れるか危ういような一方通行の道路を、障害物を吹き飛ばしながら突き進んでいく。遠くの方で歩行者の悲鳴が聞こえてきたが、振り返ることなど出来ない。


 急発進に急ハンドルという雑な運転に振り回されている状態だが、ネアは「きゃーッ」と大いに楽しそうだった。

 ニッコニコと満面の笑みで、シートベルトをした状態で両腕を上げている。気分は絶叫系のアトラクションに乗っているようなものだろう。



「すごーい!! りっちゃん、すごいねぇ!!」


「聞きました、シア先輩!? 僕の運転が褒められましたよ!?」


「褒められたものじゃないけどね!? それよりも前を見て前を!!」



 ユーシアは思わず絶叫してしまう。


 細い道路から出た途端、赤い車が脇からスッと出てきて停止した。

 その横っ腹めがけてユーシアたちが乗った車は衝突し、どぐしゃあ!! という轟音が響く。前に投げ出されそうになったが、シートベルトによってフロントガラスに頭突きする事態は免れた。


 しかし、リヴは止まらない。

 ギアを上げて、さらに強くアクセルペダルを踏み込んで赤い車を押し退ける。


 横の部分が凹んでしまった赤い車をゴリゴリと削りながらハンドルを切り、リヴは再び急発進でその場を離れた。



「リヴさん!? 他の車に何てことをしてるんですか!!」


「リリィは黙ってください、舌噛みますよ!!」


「きゃああああああッ!?」



 左に急ハンドルを切って進路変更をし、スノウリリィの甲高い悲鳴が車内に響き渡る。


 凄まじい速度で運転しながら、リヴは雨合羽の袖から自動拳銃を滑り落とす。視線だけは前を向きながら、彼は自動拳銃をユーシアの膝へ落とした。


 相棒による雑な運転にグロッキー状態になりつつあったユーシアは、自動拳銃の重みによって我に返る。



「後ろを追いかけてくる赤い車」



 スピードを上げながら、リヴは言う。


 ユーシアも気づいていた。

 あの赤い車が、ユーシアとリヴの敵であることを。


 バックミラーで追いかけてくる赤い車を見やると、向こうの運転手と助手席に座る男が睨みつけてきていた。

 しかも、助手席の男の手には黒光りする機関銃が握られている。この市街地で機関銃をぶっ放しながら走れば、周りにどれだけの被害が及ぶか分からない。


 とはいえ、ユーシアとリヴは周囲に及ぶ被害など知ったことではない。

 周りの人間が死のうが怪我をして病院に担ぎ込まれようが、ネアとスノウリリィの二人に被害が及ばなければどうでもいい。互いのことに関しては、どうせ生き残ると思うので守護対象外だ。


 ユーシアは自動拳銃に込められた弾丸を確認し、



「俺を振り落とさないでね」


「死ぬ気で掴まっててください」


「アクションスターじゃないんだよ、俺は」


「退役してますけど軍人でしょう。頑張ってください」


「俺の扱いの酷さよ」


「僕がシア先輩に優しくした時は、ついに頭をおかしくした時だと思ってください」


「リヴ君が俺に優しくするなんて寒気がするね」



 ユーシアはシートベルトを外すと、車の窓を開ける。

 ドアの上部に取り付けられたレバーを掴み、開け放った窓から上半身だけ乗り出した。


 窓枠に腰掛け、落ちないようにレバーを掴み直し、片腕だけで自動拳銃を構える。強い風がユーシアの燻んだ金髪を、容赦なく乱した。

 すぐ側を走る車が驚いたように距離を取り、その弾みでガードレールに車体を擦り付ける。歩道から上がった悲鳴を置き去りにし、ユーシアは追随してくる赤い車に狙いを定めた。


 すると、赤い車からも助手席の男が身を乗り出してくる。

 彼の手には機関銃が握られていて、狙いはユーシアに向けられていた。目もギラギラと血走っていて、ベロリと垂れた舌は蛇の如く二股に裂けている。



「悪いけど、ここで事故ってもらうよ」



 ユーシアの狙いは、赤い車のタイヤに移動する。


 引き金を引くと、タァン!! という銃声のあとに、寸分の狂いもなく弾丸がタイヤにぶち当たった。

 赤い車はぐらりと揺らぐと、周囲の車を巻き込みながら失速する。後ろから追いかけてきた車と玉突き事故を起こして、悲鳴の大合唱が空に響く。


 落ちないように気をつけながら車内に戻り、ユーシアはダッシュボードに自動拳銃を投げ出す。



「思ったんだけど、これがリヴ君が見てる光景なのかなぁ」


「何がです?」


「リヴ君は【DOF】のせいで、世界中が敵になったような幻覚が見えるでしょ? 今の状況も似てるんじゃないのかなって」



 ユーシアはそう言うと、外の景色へ視線を移した。


 歩道にいる通行人は誰も彼も立ち止まり、道路を走るユーシアたちに携帯電話を翳す。何やらヒソヒソと会話している姿も見受けられ、彼らの指先が物凄い速度で通り過ぎていくユーシアたちへ向けられる。

 ネット上では、ユーシアたちの情報が出回っていることだろう。本当に世界中が敵になったようだ。


 運転しながら、リヴは「上等じゃないですか」と笑い飛ばす。



「敵であれば殺すだけです。悪党だろうが一般人だろうが、僕たちのやることは変わらないでしょう?」


「そうなんだけどね」


「何か問題が?」


「いや、ネアちゃんとリリィちゃんにも被害が及ばないかなって」


「面白半分で写真を撮った奴を全員殺せばいいでしょう?」


「リヴ君、ハンドルをちゃんと握って。ねえ待って? 何で歩道に行こうとしてるの? まさか全員轢き殺すつもりじゃないよね!?」


「な○う系でも何でもいいんで異世界に転生して悔い改めろォ!!」


「異世界に転生しちゃったら喜ぶのは向こうだからぁッ!!」



 相手を喜ばせる事態は嫌だったのか、リヴは歩行者を轢き殺すという手段を諦めた。


 議員の息子殺害に一切関与していないネアとスノウリリィが巻き込まれていないことを切に願いながら、ユーシアは安全地帯を探すことにする。

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