第2話【御伽話に立ち向かえるか?】

「どうするんですか!? 指名手配ですよ、事の重大さを理解しているのですかお二人とも!!」



 金切り声を上げるスノウリリィに対して、ユーシアとリヴは極めて冷静だった。



「捕まりたくはないよね」


「まあ、せいぜい逃げ回って見せますよ」


「そういう問題ではありません!!」



 椅子を跳ね飛ばして立ち上がったスノウリリィは、



「あなた方が指名手配されると、こちらにも影響が出ます!! 特にネアさんに危険が及んだらどうするんですかッ!?」


「殺しますよ」



 朝食を終えたリヴは自分が使用した食器を片付けながら、ケロリとそんなことを宣う。


 ユーシアは「いつも通りだね」と笑い、スノウリリィは唖然と立ち尽くす。

 彼女も慣れてほしいものだ。リヴ・オーリオという青年は、常日頃から他人を害する思考回路しか有していないのである。「虫の居所が悪かったから殺した」という理由だけで三人ぐらい殺害するような、倫理観も常識も母親の胎内に置いてきた殺人鬼なのだ。


 そんな彼でも、きちんと仲間意識は持ち合わせている。

 ユーシアやネア、スノウリリィもギリギリ心を許している。彼ら三人と、純粋無垢な幼女ロリ以外は手にかけないという謎の信条を持ち合わせているのだ。


 食器を洗うリヴは、



「ネアちゃんを狙う輩は全員、明日を迎えられなくしてやりますけど」


「頼もしい発言をありがとうございます!! 相変わらず頭の中身がおかしいですね!!」


「褒め言葉として受け取っておきますよ。僕が寛大でよかったですね、今の発言で五回は殺してましたよ」



 リヴとスノウリリィの間に、ピリッとして緊張感を孕む空気が漂う。

 特にリヴの殺気だけで、スノウリリィは「ひえッ」と上擦った悲鳴を漏らした。ネアのお気に入りという理由だけで生かされているのだから、下手な発言をすれば命はないということを学ばないらしい。


 情報番組のコーナーで特集が組まれている人気カフェとやらに、目が釘付けの状態となっているネアに「ちゃんと食べなよ」と注意するユーシアは、古びたソファの上に放り出したままの薬瓶を手に取った。


 表面が茶色い瓶の中身は、白い錠剤のみで満たされている。

 ユーシアはザラザラと白い錠剤を五粒ほど手のひらに転がすと、水を飲まずに口の中へ放り入れる。


 無味無臭の錠剤を噛み砕きながら飲み干したユーシアは、



「リヴ君も飲む?」


「頂きます」



 食器を洗い終えたリヴに薬瓶を渡し、入れ替わるようにしてユーシアも自分の使用した食器を洗う。ついでに、ネアとスノウリリィの使用済み食器も洗うことにする。


 人気カフェ特集が終わって芸能人によるゴシップニュースが流れ始めたところで、部屋の扉が叩かれる音が聞こえてきた。


 ユーシアはスポンジを握る手を止めて、玄関の方へ視線をやる。それからリヴへ振り返った。

 アイコンタクトだけで意思疎通を図ることに成功し、リヴは手にした薬瓶を古びたソファに放り出すと玄関へ向かった。



「ネアちゃん、リリィちゃん」


「なぁに、おにーちゃん」


「な、何ですか?」


「俺の代わりに食器洗いをお願いできる? それが終わったら、お洋服と大切なものを纏めておいて」



 ユーシアはスノウリリィに「はい、これ」と食器洗い用のスポンジを手渡し、古びたソファの下に置かれた巨大な箱を引きずり出す。


 一抱えほどもある箱を開けると、そこには純白にカラーリングされた対物狙撃銃が寝かされていた。

 ユーシアはまるで大切な家族の頭を撫でるように銃把じゅうはへ指を這わせ、箱から持ち上げる。薬室に専用の銃弾を叩き込んで、リヴを追いかけて玄関へ向かった。



「あ、あの」


「何かな、リリィちゃん」



 スポンジを手にしたまま固まるスノウリリィは、先程と纏う空気が変わったユーシアに怯えながらも、何とか質問を口にした。



「どこに、行くんですか?」


「うーん、ちょっと旅行かな」



 ユーシアが真実を誤魔化すように言うと、スノウリリィの背中にベッタリと張り付いていたネアが「りょこー!?」と翡翠色の瞳を輝かせる。



「ほんと!? りょこーなの!?」


「そうだよ。唐突だけど旅行に行きたくなったから、ネアちゃんもお荷物を纏めておいてね。俺もリヴ君を呼んだら荷物を纏めるから。女の子は準備に時間がかかるもんね」


「わかった!! おにーちゃん、くまさんつれてってもいい?」


「いいよ。他にも大事なものは持っていこうね」


「わーい!!」



 真実を知らずに本気で旅行だと勘違いしているネアは、スノウリリィの肩に掴まってぴょんぴょんと飛ぶ。

 一方で、事態を理解しているスノウリリィは真実を問い詰めることを辞めて、ネアに「旅行、楽しみですね」と笑いかける。本気で旅行を楽しみにしているネアをガッカリさせるようなことは、さすがに常識人であるスノウリリィもしたくないのだろう。


 ユーシアは「じゃあ、よろしくね」とスノウリリィにネアの世話を任せて、純白の対物狙撃銃を構えて玄関の扉へ近づく。


 薄い扉の向こうは、驚くほど静かだ。

 先に出て行ったリヴは、果たして無事だろうか。彼に限って、誰かに殺されているとかボコボコにされているとか、不利な状況に陥っているとは思えないが。



「リヴ君、状況は?」


「終わりましたよ」



 玄関の扉を開いて呼びかけると、手摺りに腰掛けて血塗れのナイフを弄ぶリヴが何でもないように応じる。

 彼が纏っている黒い雨合羽レインコートには、赤い液体がベッタリと付着していた。おそらく返り血だろう。


 リヴはシリンダーが空っぽになった注射器を足元に捨てると、バキリとプラスチックの本体を踏み潰す。苛立ちや疲れを紛らわせるような彼の行動に、ユーシアは苦笑する。



「俺が出る幕なかったかぁ」


「この程度の雑魚を相手に、僕が負けるとでも思ってるんですか?」


「まさか。リヴ君は本当に優秀な暗殺者だよ」


「もはやこれでは殺人鬼ですけどね。転職した方がいいですかね」


「いいじゃん、動きが暗殺者っぽいし」


「判定がガバガバすぎて笑えてきましたよ」



 ユーシアは手摺りから階下を覗き込んで「うわぁ」と言う。


 自宅は二階にあり、アパートの前は駐車場と申し訳程度の広さがある空間となっている。子供なんかはその空間で遊んでいたりするが、時折、頭のおかしくなった悪党が酒瓶で殴り合う場面に遭遇する。


 そんな駐車場を含めた広場が、赤い海が出来ていた。


 一面に広がる赤い海には、人間の死体が沈んでいる。鉄錆の臭いが鼻孔を掠め、常人であれば吐き気を催してもおかしくない。

 だが、ここにいるのは倫理観が欠如した悪党である。この惨劇を目の当たりにしても、抱く感情は「凄いね」の一言だけだ。



「たくさん殺したね」


「賞金が目的の悪党ばかりでしたよ」


「なるほど。本気で俺たちの命が狙われてるって訳ね」



 ユーシアは肩を竦めると、手摺りに対物狙撃銃の銃身を置く。


 リヴが「何をしているんですか?」と問いかけるより先に、彼は向かいの建物めがけて発砲していた。

 特殊な消音器によって極力抑えられた銃声が、澄み渡った青空に響き渡る。タァン、という細々とした音の直後に、誰かが倒れるようなドサリという小さい音を聞く。


 向かいの建物の廊下に、狙撃銃を構えた男がうつ伏せで倒れていた。

 一目で撃たれたと理解できるが、不思議なことに鮮血は流れていない。それどころか、傷一つない状態だ。


 遠く離れた敵意をいち早く感知した挙句、その対処まで素早いユーシアの腕前にリヴが「さすがです」と称賛の言葉を送る。



「『白い死神ヴァイス・トート』と恐れられた天才狙撃手だけありますね」


「褒め方がわざとらしいなぁ」



 苦笑したユーシアは、向かいの建物へ視線を投げる。


 倒れ伏した男の側には、金髪の幼女が立っていた。

 白いワンピースを身につけて、曖昧に微笑む幼い子供。彼女はユーシアの視線を受けると、音もなく首を傾げた。


 リヴには、あの純粋無垢という言葉を体現したような子供を認識できていない。認識すれば、確実に「連れて行きましょう」と言うだろう。


 あの幼女は、ユーシアにしか認識できない幻想だ。



「親指姫、あれにトドメを刺しておいて」


「ええ、分かりましたよ眠り姫。それでは旅行の準備を頼みますね」


「聞いてたの?」


「扉が薄いから聞こえましたよ」



 雨合羽のフードの下で微笑んだリヴは、自らの首筋に注射器を突き刺す。

 シリンダーの中で透明な液体が揺れていて、彼の指は体内に透明な液体を流し込んでいく。液体の注入が終わった途端、リヴはユーシアの前から姿を消した。


 ゲームルバークの二大悪党と名高い彼らに、ただの悪党が敵う訳がない。

 ユーシアとリヴは、自らに与えられた『異能力』を理解している。


 ドラッグ・オン・フェアリーテイル――通称【DOF】。

 服用し続ければ御伽話にちなんだ異能力を獲得できる麻薬であり、誰もが異能力獲得を夢見て手を出す話題の薬。


 しかし【DOF】は強い幻覚を見せ、自らの後ろめたい過去に追い詰められ、最終的には異能力を獲得するまでに自殺をしてしまう。


 その幻覚を事実であると受け入れて、初めて異能力を獲得できるようになるのだ。

 御伽話にちなんだ異能力を得た人間を、overdose過剰摂取を省略して【OD】と呼称するようになった。


 ユーシアとリヴは、この【OD】の一人である。


 ユーシア・レゾナントールが得た異能力は、眠り姫。

 撃った相手を強制的に眠らせる異能力であり、眠りの弾丸はたとえ不可視でも確実に相手を捕らえる。荊で覆われた城で一〇〇年も眠っていた姫君のように、万人に対して永遠に覚めぬ眠りを与える。


 リヴ・オーリオが得た異能力は、親指姫。

 自分の身長を親指サイズに縮める異能力であり、相手の視界から掻き消え、死角からの殺害を得意とする。持ち物さえも親指サイズに縮めることが可能だが、彼はもっぱら自分自身を小さくする。


 姫と名乗るにふさわしくない暴力性と残虐性を併せ持つ二人は、賞金に目が眩んで立ち向かってしまった愚かな悪党を嘲る。



「馬鹿だね、勝てるとでも思ったのかな」


「悔しかったら【OD】になって出直してきてください」



 二人の言葉に対して文句を言う輩は、残念ながら生き残っていなかった。

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