Ⅰ:白雪姫を殺したのはお妃様ではなく
第1話【朝のニュースは念入りに】
米国の地方に、ゲームルバークという名の都市がある。
見た目は普通に栄えた都市だ。
中央区画と呼ばれる壁に囲まれたエリアは金銭的に余裕のある人々が住み、壁の向こうはそれ以外が住まう。棲み分けが出来ていると書かれてあるが、別にこれといった特殊な事情はない。本当に何もない。
しかし、このゲームルバークという都市は異常だ。
様々な国籍の人間が住み、観光客が訪れ、物流もある。そこそこ栄えた都市であれば当たり前だが、一体どこが異常だと言うのだろうか。
――この都市は、他の地方都市に比べると犯罪発生率がダントツであった。
表舞台は平穏な地方都市だが、ほんの少しでも裏側に足を踏み入れれば最後、常識の中へ戻ることは叶わない。
ゲームルバークの裏側とは、一切の常識や倫理観が通用しない理不尽な悪党たちの世界なのだ。
表通りを行き交う人々を殺人鬼が品定めするように観察し、
そうした犯罪が、ゲームルバークのあちこちで勃発しているのだ。
『にゃっるーん☆ ぴろにゃんだよ☆』
ゲームルバークの片隅にひっそりと建つアパートの一室から、そんな甲高いアニメ声が響く。
やや型の古いテレビに映っているのは、桃色の可愛らしいドレスを着て赤い髪をツインテールに結んだ少女である。
顔面の半分以上を眼球が占め、さらに虹彩の中には星のマークが散っている。コミカルな動きに合わせて可愛らしいドレスの裾もひらひらと揺れ、小さなお友達も大きなお友達も彼女に魅了されていることだろう。
自らをぴろにゃんと呼称した少女は、
『じゃあ、今日もマジカル占いをやっちゃうよぉ☆』
ぴろにゃんがタイトルコールをすると、彼女の横にずらりと星座が並ぶ。並んだ星座の横に、簡単な今日の運勢とラッキーアイテムが記載されていた。
『今日の最下位はぁ……ごめんなさぁい、射手座のキミ☆ 隠し事がバレちゃうかも☆ 今日はお喋りしすぎないようにしようね☆』
「うーわ、何でよりによって射手座を最下位にするんですか」
テレビの画面を食い入るように眺めていた真っ黒てるてる坊主――リヴは、理不尽にも「この占い師ってクソですね。射手座に恨みでもあるんですか」とケチをつける。
朝食のスクランブルエッグを作っている最中だったユーシアは、料理をしながらテレビ画面へ視線をやる。最下位の発表のあとは、映えある第一位の発表らしい。
『おっめでとぉう、今日のラッキーさんは魚座のキミ☆ 楽しいことが待っているかも☆ 思い切って、お外に遊びに行っちゃおう☆』
「あ、ネアちゃんが一位だね」
「なるほど、ネアちゃんが一位なら仕方ありません。僕は最下位として、ネアちゃんに踏みつけられる役目をこなしたいと思います」
「リヴ君、今日も平常運転だね。どうでもいいけど、朝ご飯できたよ」
フライパンで作られたスクランブルエッグを皿に盛り付け、朝食の準備は完了だ。時間的にも材料的にも余裕があったので、コンチネンタル式の朝食にしてみた。
朝食のラインナップを確認するリヴは、黒曜石の瞳を瞬かせる。
「今日の朝食は、やたら豪華ですね。何かあったんですか?」
「色々と余裕があったからだよ」
「ああ、そう言えば臨時収入がありましたっけ。今日も素敵な朝食をありがとうございます」
「……リヴ君、どこかで拾い食いでもした?」
「昨日のリリィによる地獄の料理より輝いて見えますよ」
どこか遠い目をしたリヴが、ため息と共にそんなことを言う。それを聞いてしまったユーシアも「ああ、あれね……」と苦笑した。
昨日はユーシアが寝坊した影響で、すでに地獄のような朝食が出来上がっていたのだ。真っ白な皿の上で「ぐげげげげげ」と高らかに笑う緑色のスライムが、製作者曰くハムエッグらしい。
リヴの手によってハムエッグを名乗る兵器は処理され、製作者はこんこんとユーシアに説教されていた。さすがに説教されたことで懲りたらしく、製作者は「申し訳ございません」としょんぼりした様子で謝罪していた。
すると、朝食の匂いにつられたのか、同居人たちが起きてくる。
「んー、おはよ……おにーちゃん、りっちゃん」
眠たげに目を擦りながら居間にやってきたのは、金髪の美少女である。
透き通るような金色の髪は寝癖一つなく、ぼんやりとした翡翠色の瞳は色鮮やかである。愛らしい顔立ちは一〇代後半の成熟した少女らしいのだが、言動がどうにも幼い。まるで子供のようだ。
可愛らしい寝巻きに身を包む彼女の名前は、ネア・ムーンリバーと言った。ユーシアを「おにーちゃん」と、リヴを「りっちゃん」と呼称する訳ありの少女である。
そんなネアの後ろから、銀髪碧眼のメイドがついてくる。
すでに身支度は完了しているようで、黒いワンピースと白いエプロンドレスがこの狭い部屋では浮いて見える。透き通る銀髪と宝石の如き青い瞳、整った顔立ちには
「おはようございます、皆さん」
銀髪碧眼のメイドは、ネアの専属メイドであるスノウリリィ・ハイアットだ。
彼女もまた、ちょっとした訳ありである。別に殺害目的で隣室から連れ攫われ、ネアに気に入られたから命拾いをしたという事情が――まあ、そんなところである。
ユーシアはリヴが(どこかの家から)取ってきた新聞を広げながら、
「おはよう、ネアちゃん。リリィちゃんも」
「はい、おはようございます。ところでユーシアさん、いつから経済新聞などを読むようになったんですか?」
「リヴ君、これどこから持ってきたの?」
「隣の隣の部屋ですね」
「盗品ッ!?」
仰天するスノウリリィ。
しかし、ゲームルバークの裏社会で生きるユーシアとリヴにとっては、これが普通の出来事だった。
なければ奪えばいい、馬鹿にされたら殺せばいい――彼らはそんな理不尽で倫理観の欠片も感じられない生き方を良しとする。
ユーシアは「そっかぁ」とのほほんとした様子で頷き、リヴは平然とした態度で朝食のロールパンを千切って口に放り込む。精神的に幼い子供と同列であるネアも、ユーシアが盗品の新聞を読んでいることに対して言及することはないらしい。
この中で唯一の常識人はスノウリリィのみだが、残念ながら彼女の常識が通用した場面は一度として存在しない。
これが、彼らの日常であった。
ゲームルバークの裏社会で生きている悪党とはいえ、普通に食事もするし普通に会話もする。個々の目的もそれぞれあり、生き方も千差万別だ。
彼らの日常は犯罪の中にあるにも関わらず、一般家庭と同じような平和を享受していた。
――それが、一つのありきたりなニュースによって瓦解する。
『続いてのニュースです』
ニュース原稿を読み上げていた女性キャスターが、やたら真剣な様子で『まずはこちらの画像をご覧ください』とテレビ画面に写真を表示させる。
そこに映っていたのは、喉をぱっくりと裂かれた状態で死亡している全裸の集団だった。頭を項垂れさせた体勢は、まるで酔っ払った末に壁へ寄り掛かって眠ってしまったような印象がある。
彼らが寄り掛かる建物には『Service you right』と、巨大な血文字が描かれていた。
ユーシアとリヴはテレビ画面を一瞥すると、
「あ、昨日の」
「深夜のですね」
「ちょ、ちょっと待ってください!? もしかしてあの人たちを殺したのは――」
スノウリリィが身を乗り出して叫ぶと同時に、女性キャスターが原稿を読み始める。
『昨夜未明、中央議会の革新派に所属するアップルリーズ議員のご子息、スノウホワイト氏が殺害されました』
「彼を殺したのって、あなたたちですか!?」
「うん」
「そうですね」
ユーシアとリヴは、スノウリリィの問いかけに平然と応じる。
「肩がぶつかっただけで『脱臼した』って騒ぐからね。どうせだから本当に脱臼させた上で殺したよ」
「ついでに金品も巻き上げていただきました。今頃ブラックマーケットに流れてるんじゃないですか? でも議員の息子だったら、もう少し上等な服を着てるものだと思いましたが、そんなに高く売れませんでしたね」
「財布にはたくさん金が入ってたんだけどね」
「それもそうですね。お小遣いをたくさん貰ってるんでしょうか、今思い出しても腹立ってきたんで誰かを殺したい気分ですね」
「殺すなら証拠を残さないようにしようね」
「いつも残していませんよ」
一般的な思考回路を持ち合わせた人間がこの場にいれば、彼らの会話が如何に異常か理解できるだろう。
ユーシアとリヴは、他人を殺すことに対して躊躇しない。
目的を阻害するようであれば誰だって殺すし、何だったら天気が悪かっただけで他人の命を奪うような理不尽さを有する。彼らにいくら倫理観を説いたところで、馬の耳に念仏だ。
そんな彼らに慣れてしまったのか、呆れたようにため息を吐いたスノウリリィは椅子に座り直す。そして口元をケチャップでベタベタに汚したネアの世話を焼いていると、
『犯人はゲームルバーク在住のユーシア・レゾナントール、リヴ・オーリオの二名であるとゲームルバーク
「え?」
「は?」
今度はユーシアとリヴから想定外の声が漏れた。
弾かれたようにテレビへ振り返った二人が見たものは、スーパーから買い物袋を抱えて出ていくユーシアとリヴの映像だった。監視カメラの映像だが、画面の中の彼らはしっかりと監視カメラを一瞥してから通り過ぎている。
「……もしかしてバレたのかなぁ」
「この映像を持ってくるってことは、僕たちを葬りたい誰かの仕業かと思いますが」
「あー、なるほどねぇ」
さほど興味のない経済新聞を折り畳んでコーヒーを啜るユーシアは、やれやれと肩を竦めた。
「これじゃあ買い物へ行くのも苦労しそうだね」
「そうですね。とりあえず、商売道具は肌身離さず持ち歩いては如何ですか?」
「そうするよ」
「そう言ってる場合じゃないと思うのですがッ!?」
この中で唯一の常識人であるスノウリリィの悲鳴が、朝の空気に包まれたゲームルバークの片隅に響き渡るのだった。
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