死がふたりを分かつまで ~ディ・ア・レ・スト 外伝~

つるよしの

Ⅰ 醜聞 -イヴァンとスノウ-

第1話 保護下のふたり

「ご苦労様であります…・…!」


 その日も、証言を終えた俺が、国際法廷の旗を掲げた黒塗りの車から降り立つと、警備の兵士たちが俺に向かって勢いよく敬礼してくる。俺は、杖を支えに不自由な手でおぼつかない返礼を返す。朝と夕のこのやりとりは、最早、日課だ。


 あのヒモナスの山中で救助されてからもう2年。俺とスノウは、国際検察官の宿舎の奥に小さな一軒家をあてがわれ、そこに保護という名目で、ほぼ幽閉に近い生活を強いられていた。


 とはいえ、いざ法廷が始まってみれば、送迎時に車が銃撃されたり、さらには開廷中にが俺に襲いかかるなど、政府に不利益な証言を俺に、命の危険が迫ることはもはや日常茶飯事だったから、その法廷の配慮を断ることなどできなかったわけだが。それに、騒がしいマスコミどもをシャット・ダウンするには格好の住処といえたから、まあ、贅沢は言うまい。

 

 だが、日々証人として忙殺されている俺はまだいい。

 心配なのは、外出もままならず、その日その日ひとり俺を待ち続けるしかない、スノウのことだった。スノウ自身はその生活に一切泣き言を漏らさなかったが、何年も閉じ込められた生活が心身によいわけはない。


 早くこの生活を終わらせなければ……。そしてスノウと……。


「……イヴァン、今日の証言はどんなことを?」


 夕食後、ダイニングテーブルの前に座したまま、そんなことを考えこんでいた俺に、皿を片付けていたスノウが、静かに声をかけてきた。


「……今日は疎開船の攻撃時の詳しい検証だ。俺をはじめとしたどの船員がどこに居たか、どういう行動をそれぞれ行い、俺がどんな指示を出したか……まあ、そんなところだ」


 俺は大分疲れを滲ませた声でそれを言ってしまったのだろう。すかさずスノウが、皿をテーブルに置くと、俺の顔をのぞき込みながら、心配そうに尋ねる。


「攻撃時……。あの時のことを思い出すのは、かなりあなたの心身に負担なんじゃないの、イヴァン?」


「まあな……だが、俺がやらねば……他に誰もやれぬことだからな。そうすれば浮かばれる者も浮かばれん」


 俺はそう零すように語を継いだ。そして、さぁ、もうこの話は終わりだ、との言葉の代わりに立ち上がると、スノウの顔にそっと手を差し伸べた。そして俺は両手で彼女の頬を覆い、静かに、その白い肌に覆われた顎を引き寄せ、口づける。


「あっ…、う…・イ…ヴァン」


 突然の俺のキスにスノウは、その透き通るほどに白い頬をほのかに紅くし、甘い声で呻いた。俺はその声にそそられるように、彼女の口内を深く舌でまさぐり、今度は彼女が声さえ漏らせないように、強く己の唇をスノウのそれに押しつける。するとスノウは観念したかのように、俺の身体に腕を回し、身を寄せてくる。


 俺の身体に彼女の肢体の熱が伝わる。

 愛しい。

 こうやってもう何度、あの旅の途中から彼女を抱き寄せただろう。

 そして、あの旅が終わって、2人で暮らすようになってからも、数えきれぬほど、こう、抱きしめあっただろう。

 そのたびに、俺は、スノウへの愛しさが増す。

 もう、彼女から離れられないことを知る。


 俺は唇をそっと離すと、スノウの耳元で囁いた。


「もうすぐ、妻が亡くなってから3年だ……それに、来年には裁判も結審する。そうしたら、あのときの約束を果たさせてくれ」


 俺の目を至近距離で見つめながらスノウが尋ねる。

 

「あのとき……?」


「ヒモナスの雪の中での約束だ。プロポーズしただろう、あのとき。あの約束を、だ」


「あ……」


 スノウは、あの甘い思い出を噛みしめるように思い返している様子だ。そして、あいかわずの紅い頬で、こくり、と伏し目がちに頷き、呟いた。


「イヴァン、嬉しい……」


 スノウの小さく震える声が俺の耳をくすぐる。俺はその声に重なるように言葉を発した。彼女の左手の薬指で、あの日以来肌身離さず着けている、青い石がきらり、と光ったのが目を掠める。


「そうすれば、俺たちは本当に2人きりになれる。もう少しの辛抱だ。そう思えばこそ、俺もしっかり証人の務めをやりきれるってものさ」


 スノウからゆっくり身を離しながら、俺は多少おどけてそう言った。スノウが今度は黙ったまま再び頷く。


 ……その幸せそうな表情こそが、今の俺を生かしている。

 図らずも生き延びてしまった、この頼りない命を。

 だからこそ、少しでも早く、そして長く、彼女の想いに応えてやらねばと、このままならぬ日々のなか、思うのだ。



 事件は唐突だった。

 その次の朝、俺より早く起きていたスノウが、ネグリジェ姿のまま、その日の電子新聞を持って硬直していた。


「どうした?スノウ?」


 返事はなかった。俺はその震えた手から電子新聞をそっと引き剥がすと、彼女の動揺の原因を紙面に探った。

 探るまでもなかった。紙面の一面に、俺とスノウの顔写真がでかでかと載っていやがる。俺の悪い予感がして、すかさず見出しに目を走らせた。

 そこにはこうあった。


「軍事法廷の重要参考人、イヴァン・ドヴォルグ氏の恋人の衝撃過去」


 そして細かい字で、これでもかという詳細さで、彼女の過去が暴かれていた。

 スノウの娼婦としての「経歴」が微に入り細に入り、面白おかしく記事にされていたのだ。

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