34話 生司馬 大護

 19歳になった信也しんやは学生からニートへとジョブチェンジしていた。


 2年前のあの日、A樹海で信也しんやの腹部は九尾によって貫かれた。

 しかし、腹からこぼれ落ちたのは血でもはらわたでもなく白いもやだった。


 自分が人かどうかもわからない恐怖。腹をつらぬかれ腕を折られ…しまいには心も折れた。


 信也しんやは今まで一切の痛みを味わったことがなかったため、その苦痛は想像を絶するものであろう。徐々に信也しんやの心は、痛みに対する恐怖にむしばまれていった。


 A樹海で気を失った信也しんやが次に目を覚ました時には、郡山家こおりやまけの客間に寝かされていた。


 魑魅魍魎ちみもうりょうに対する恐怖。外界のあらゆる危険リスクに対する恐怖。気づけば信也しんやは一歩も外に出れなくなっていた。


 水姫みずきもそんな信也しんやを気遣ってか軟禁することもなく、あっさりと信也しんやを自宅へと送り届けた。


 帰宅して、しばらくは真依まい信也しんやの様子を見に来ていたが、常に怯えている信也しんやを見ることが耐えられなくなり、次第に距離を置くようになった。


 夏休みが明けるとかなめ信也しんやの自宅に毎日、顔を見せるようになった。信也しんやは後に知ることになるが、この時既に信也しんやの退学の手続きは済まされていた。


毎日、くる日もくる日も自宅に様子を見に来てくれるかなめに対して信也しんやは徐々に心を開くようになった。


 かなめはリンゴのように丸いボブヘアーで、小柄な体を一所懸命に動かし、献身的に信也しんやの身の回りの世話をしてくれている。


そんな彼女を見て信也しんやも悪い気はしていなかった。



 …平穏な日常が続いたある日。

 少しずつの感覚を取り戻していた信也しんやの目の前に黒一色の衣服に包まれた人物が現れた。


 彼の名は生司馬いくしま大護だいご信也しんやの実父にして規律違反者として境界保全機関より捕縛及び処刑命令が下されている。


 信也しんやの部屋のドアを突然開け放ったその男は、黒のニット帽を深く被り感情のこもっていない表情で信也しんやを見下ろしていた。


 信也しんやがくろを殴ったときに視えた黒ずくめの男の映像ヴィジョンと目の前の男が脳内で重なる。

 ※詳しくは「第弐話 月明の校舎を参照下さい」


 そして、今まで得てきた情報と照らし合わせると、そいつの正体が生司馬いくしま大護だいごだと信也しんやが導き出すのにさほど時間は掛からなかった。


今まで無気力だった信也しんやの目に熱が宿る。

今更いまさら、何しに来やがった!」

 信也しんや大護だいごに聞きたいことは山ほどあったが、いざ当人を前にするといろんな感情がごちゃ混ぜになりパニックに陥っていた。


怒る信也しんやとは対象的に大護だいごは感情のこもっていない声であっけらかんと答えた。


「久しぶりだっていうのに、随分ずいぶんな物言いだね。父親が息子の顔を見に来るのに理由がいるのかい?」


「…よく言うぜ。今までろくに顔なんて見せたことないのに!」


「そうだね。私は父親として失格だ。だが今はそんな些末さまつな事はどうでもいい。とりあえずここから離れるよ。支度したくなさい」

 大護だいご信也しんやの気持ちなどお構い無しといった様子で告げる。


 大護だいごの背後で状況が飲み込めていないかなめがあたふたしていた。

「お義父様…、信也しんやくんを連れて行くんですか?」


「そうか…忘れていた。そういえば君もいたね。よければ一緒に来るかい?」


「えっ!?いいんですか?」


「当然だよ。妻が夫の側にいるのは当然じゃないか。それに君も干渉者かんしょうしゃならなおさら大歓迎だよ」


「えっ…、でも…」

かなめは一瞬目を輝かせたが、すぐに何か考え込む素振りを見せる。


「いつからかなめちゃんが嫁になったんだよ!家から出る気なんてさらさらないぜ。もう、放っておいてくれ」


「ご希望に沿いたいのはやまやまなんだが…たった今、監視の者を気絶させたからね。じきに機関の増援が駆けつけてくる。それにこの家は既に売却済みだから、今週中には退去しなければいけないよ」


「はっ?ふざけんな。なに勝手に決めてんだよ!」


「ふざけているのはどっちだい?もうすぐ成人を迎るというのに引き込もってばかりでなく自立したらどうかな」


正論を言われ、返す言葉もなく信也しんやは押し黙る。


「押し問答をしている時間が惜しい。かなめさんと言ったね?必要最低限の荷物だけ鞄に詰めて出立の準備してくれ」


一時は乗り気であったかなめ信也しんやの様子を見て苦言をていす。

「あの…みんなでお出かけできるのは嬉しいんですけど…、信也しんやくんはまだ外に出れるような状態じゃないです」


「大丈夫だよ。そこは任せてくれ。私が治す…だから君は準備を頼むよ」


大護だいごの言葉には不思議と説得力があり、かなめ渋々しぶしぶといった様子で承諾し荷物をまとめだした。


「オレは外に出ないぞ」


「まったく仕方のない愚息ぐそくだ」

“エンパワメント・ブレイブ”


 大護だいごてのひらかざすと信也しんやの胸に上向きの赤い矢印が浮かび上がった。


「いったい何を…」


「恐怖心を緩和できるように勇気の底上げをした」


「とりあえず話は後だ。急いで」


「いやっ…状況を説明してくれよ!」


「そんなことをしている時間は…、思ったより早いね」

 大護だいごがそう言うと、突然部屋の窓ガラスが割れ銃弾の雨が注がれる。


 サイレンサーを装着しているのか銃声はほとんど聞こえず、家具が破損する音だけが部屋中に鳴り響く。


「ぐっ…!」

 容赦なく浴びせられる弾幕に信也しんやはたまらずガードする。


弾は信也しんやの体に弾かれてはいるが、何故かダメージを負っている。


高位次元の鎧が機能していないのか、弾に仕掛けがあるのかは定かではない。


銃撃が止み信也しんやか辺りを見渡すと、部屋の中はヒドイ有り様になっている。穴だらけのベッド、砕け散ったデスク。壁や床にもいくつもの銃撃の痕が残っている。


 そんな中、大護だいご信也しんやの背後で身をかがめていた。

「おい!オレを盾にするな」


「イージスの盾!」


「勝手に名前をつけるな!」


信也しんや…ここは私に任せてかなめさんを連れて逃げなさい。奴らは私が引き受ける」


「引き受けるも何も狙いはお前だろ?オレたちは逃げる必要はねえじゃねえか」


「それはどうかな。信也しんやごと部屋を銃撃した時点で共犯と見なされてるんじゃないのかい?」


「それは…」


信也しんやは撃たれても死なないかもしれないけど、かなめさんが撃たれる可能性もあるんじゃないかな?」


「ああもう!くそっ!」


信也しんやは頭をガシガシと掻いて部屋から飛び出しかなめの元へ向かった。

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