25話 誓願

「なんだよそれ、当主なのに知ってはいけない掟なんて存在するのか?」


 海斗かいとの言葉に、灯浬あかりは真剣な面持おももちで頷く。


「その当主には知らせてはいけない掟を、俺に話すって事は、俺は既に当主では無いってことか」


「左様でございます。正確に言えば当主は長子ちょうしである水姫みずき様に引き継がれました。ただし、海斗かいと様は水姫みずき様が成人の義を迎えるまでは、当主代行として一族を取りまとめて下さい」


「ハッ?ふざけんなよ!アキは郡山家おこりやまけに殺されたようなもんだ。その上、水姫みずきまで一族の犠牲にさせるわけにはいかない」


「そう言われましても…。一族の総会で決まったことですので…」


「そんな重要な話を俺抜きで決めたのか?」


「それは…」

 海斗かいとに気圧され灯浬あかりは言い淀む。


 海斗かいと自身、分家にはそれほど恨みは抱いてはいなかった。死にかけていた海斗かいとを助けてくれたのは分家であり、アキの死も父との確執かくしつが招いた結果である。


 それが分からない程海斗かいとは子どもではない。


 当主命令が絶対で瀑両ばくりょうの命令には誰も逆らえなかった事も承知の上であったし、海斗かいとの暗殺が一族の総意であれば、死にかけている海斗かいとを助けずに止めを刺すはずだと。


 もしかしたら海斗かいとを殺す予定であったが、瀑両ばくりょうが亡くなった事で計画が狂い、一族を立て直す為にやむ無く海斗かいとを当主代行に据えた可能性もあると、海斗かいとは考えた。


 あれこれ思案しあんを巡らせている海斗かいとに対し、灯浬あかりは確認を取る。


海斗かいと様、心中お察し致しますが掟に関して説明してもよろしいでしょうか」


「心中お察しって、キミに何が分かる!」

 喪失感に押し殺されないよう冷静に努めていた海斗かいとであったが、灯浬あかりの心無い一言で怒りが爆発してしまう。


 海斗かいとの怒号で灯浬あかりは怯え身を縮めた。


 そんな彼女の様子を見て海斗かいとはすぐに我に返り、年端もいかない少女に声を荒げてしまった事を反省した。

「怒鳴ってすまない。灯浬あかりちゃんが悪いわけじゃないのに…」


「いえ、私こそ配慮が足らずに申し訳ございません」


「話の腰を折ってすまない。続きを話してくれ」


「はい。本家の長子は母体から生まれ落ちた時点で、親からみずち様を体に受け継ぎます。そして、その時点で当主になることが確約されます。ただし、成人の儀を迎えるまでは前当主がまつりごとを代行する。これが、郡山家こおりやまけの当主に伝えてはいけない掟です」


「それなら、俺は生まれた時には既に当主だったのか…。どうしてこの事は当主に話してはいけないんだ?」


みずち様は宿主の精神面が不安定になると制御できなくなり、暴走するのだと伝えて聞いております」


「歴代の御当主様にはみずち様を宿していることで、不安にさいなまれ、暴走させる人が後を絶たなかったそうで、みずち様をぎょすることは困難を極めていました」


「でも、仮にみずちが宿ってる事を知らされてなくても、人間なんだから精神が不安定になるなることなんて当然あるだろ」


「そうですね。そこで、“誓願せいがん”を立て当主に掟を秘密にすることを条件に、当主の体内に宿るみずち様の周囲に結界を張ったそうです」


って?」


干渉力かんしょうりょくを 伴った願掛けの事です。干渉者かんしょうりょくを介して、代償を支払い願掛けを行います。その代償に見合った、効能を干渉力かんしょうりょくに付与できるのです。干渉者かんしょうしゃの一族は掟に、“誓願せいがん”を掛けることで力を高めてきました。もともとは力の弱い干渉者かんしょうしゃが力を得る為に編み出したものだそうですが」


「なるほど…。けど、当主に秘密にする程度の代償で、みずちを抑え込める程の結界を張れるものなのか?」


「いいえ、気休め程度の結界かと思われます。現に水姫みずき様は暴走し、みずち様を顕現されました。ただ、みずち様の存在を伝えない方が、宿主の精神の安定に繋がることは、これまでの郡山家こおりやまけの歴史で証明されてます」


 海斗かいとは、説明を聞き終えると頭を掻きながら、何やら考え込んでいた。


「その…誓願せいがんとやらを破ったらどうなる?」


「そうですね…。誓願せいがんの内容によりけりですが…。過去に誓願せいがんを破って命を落とした人もいたそうで、わざわざ、そのような危険を冒す人は、干渉者かんしょうしゃであれば、まずいないでしょう」


「なるほど…よくわかったよ。ありがとう」


 瀑両ばくりょうが、家を出ようとする海斗かいとを無理に止めなかったのも、みずちの暴走を恐れていたからであった。水姫みずきが生まれて、みずちの宿主が海斗かいとから水姫みずきに引き継がれたことで強行手段にでたのだ。


 海斗かいとの中で、なんとなくだが、今回の出来事の背景が見えてきた。


「気付けば、こんな時間ですね。今から夕食をご用意を致します。それまで休まれて下さい」


 海斗かいとは自分が目覚めた時間はわからなかったが、客間の窓から見える望月もちづきで夜だと認識できた。


灯浬あかりちゃんは、その歳で料理も出来るのか」


 その言葉を受け、灯浬あかりは、少しムッとした表情に変わった。


「私はもう19歳ですから」

 それだけいい放つと、彼女はそのまま部屋から出てふすまをピシャリと閉めた。


 「マジか、…てっきり中学生ぐらいだと思った…。後で謝っておいた方がいいかな」


「……」

 灯浬あかりと話していたお陰で、何となく気が紛れていた海斗かいとであったが、1人になるとアキを失った悲しみが、一気に心の中に押し寄せてくる。


 海斗かいとは、これまで近しい人の死を幾度となく経験してきた。だが、今回ばかりはアキの死を受け入れることなど、到底できないでいた。


 誰もいない客間で、海斗かいとはしばらく呆然と立ち尽くし、宙を眺めていた。


 

 後日、水姫みずきの治療が済んだとの報告を受け、ようやく面会の許可が降りた。


 海斗かいとは、指定された日時まで、山家こおりやまけの母屋で父の遺品の整理をして待っていた。


 海斗かいとは、父である瀑両ばくりょうの書斎に入り部屋を見渡した。

 本棚には分厚い書籍が敷き詰められていた。


 おもむろに、それを手に取って開く。そこには、漢字だけの文章がズラリと並んでいる。


 漢文の授業をまともに受けていない海斗かいとであったが、何となくだが、戦の戦略について、記載されていることを察した。


「埃を被ってない。手入れが行き届いているな」


 これだけで、瀑両ばくりょうの几帳面さが伺えるのだが、海斗かいとはその事にすら今まで気付いてなかった。


「俺って父上の事、何も知らなかったんだな」


 海斗かいと瀑両ばくりょうは顔を合わせる度に喧嘩をしていたし、そもそも顔を合わせないように海斗かいとは避けていた。


「もう少し、父上と話をしていれば、ここまで関係がこじれることもなかったかもな…」


 今更、後悔しても、どうにもならないことは、海斗かいとだって百も承知だ。


 それでも、アキと父親を喪うという最悪の事態は避けられたかもしれないと思うと、やりきれない気持ちになる。


 後悔の念に駆られながら、何気なく本棚を眺めていると、他の本に比べ、くたびれている黒い冊子が目についた。


 海斗かいとはおもむろにそれを手に取り、パラパラとページをめくった。


「これは…父上の日記か?」


 そこには筆で書かれた達筆な文字で、日記が記されていた。海斗かいとは、その最新のページに目をやった。


 3月25日。一族の総会で海斗かいと及び、その妻の処刑が決定した。一族を存続させる上でみずち様の力は必要不可欠。みずち様が他の一族に渡るような事があれば、郡山家こおりやまけの沽券に関わる。

 当主として愚息の愚行の責任を取らねば。


 3月26日。一族の当主になった時点で私的な感情は捨てた。息子の処刑を決定しなければ、分家の不満も高まり、一族が内部分裂する恐れもある。崇める神を失えば、これを躍起に謀反を起こす者も現れるやもしれん。普通の家に生まれれば、息子との関係もここまでこじれることはなかったかもしれない。このような事を書き留めても詮無きことだが、私の手で始末する事が、父としてできる、せめてもの情けであろうか。


 日記はここで途切れていた。


 父である瀑両ばくりょうの苦悩を知り、海斗かいとは憤りを感じていた。


 「一族ってなんだ!そんなに大事なものなのかよ。家族を犠牲にしてまで存続させる価値ないんたないだろ!」


 海斗かいとは、これ以上、遺品の整理を続ける気にもなれず、日記を放り投げ、母屋を飛び出した。


 本来の目的であった水姫みずきの面会に、海斗かいとは分家である畔家ほとりけの家屋まで赴く。


 畔家ほとりけは郡山総本山のふもとにある直径100m程の湖の側の小屋で生活をしている。


 郡山家こおりやまけでは、この湖で、初めてみずちを顕現させたと言い伝えられている。


 湖の中央まで桟橋が伸びており、そこには黒い布切れを羽織った老婆が、水面に手をかざしていた 。


 水面からは、水の球が浮かび上がっており、その中で水姫みずきが体を丸くして寝ている。

 海斗かいとは老婆に近付き、背後から声を掛けた。


畔婆ほとりばあ水姫みずきの様子はどうだ?」


 老婆は、水球へかざした手はそのままに、海斗かいとの方を振り返った。


「これはこれは、ぼん。お久しゅうございます。当主様なら、あと1時間程で治療が終わりますゆえ。しばしお待ちを」


みずちは水蛇の化身。水さえあれば何度でも顕現する…か」


「そうですじゃ。ワシの干渉力かんしょうりょくの効果も相まって、予想以上に治療が早く済みました」


 程なくして水球から解放された水姫みずきを、海斗かいとは腕に抱き、頬擦りをする。


水姫みずき、すまなかった。俺のせいで危険な目に遭わせてしまった。二度とが起きないようにするから。愚かな父さんを許してくれ」 


 みずちの力に目覚めた水姫みずきの髪の毛は白く変色していた。みずちが顕現すれば水姫みずきの身にも負担が掛かり危険が及ぶ。


 そして、分家の思惑を回避する為に、海斗かいとはとんでもない行動にでた。


 …数日後、分家の取り計らいもあり、海斗かいとは、遅ればせながらも成人の儀を執り行う運びとなる。


 その場には当主である水姫みずきを含めた本家、分家の人間がほぼ全員参加していた。


 海斗かいと水姫みずきを抱えて、用意された壇上にあがり話し始めた。


「本日は私の為に、このような場を設けていただきありがとうございます。突然ですが、この場をお借りして今後の一族の方針を発表します」


「本日を持ちまして郡山家こおりやまけを解体致します。今まで支えて下さった分家の方々ありがとうございました。あとは自由に生きて下さい」


 海斗かいとのとんでもない発言に集まっていた全員がざわつき始めた。そんな様子を意に介さず、海斗かいとは淡々と発言を続けた。


「異論のある方は当主代行の権限で一族から追放します。それでも納得がいかない方は俺が力づくで追い出します。その場合は命の保障はしかねますのでご了承下さい」

 海斗かいとは、これでもかというぐらい満面の笑みで成人の義を締めた。


 そして海斗かいとは、その場で水姫みずきに対して、当主に決して伝えてはいけない掟を伝えたのだ。

 ただ、生後せいご間もない水姫みずきにとっては、何の事かは当然理解はできていない。


 しかし、おきてもとい“誓願せいがん”を無視したことには変わりなく、そんな海斗かいとに失望し分家の人々は一族から離れていった。


 当然、納得出来ない分家の者もいたが、ことごとく海斗かいとに返り討ちにされたのだ。

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