17話 窮地

 信也しんやの腹部からあふれだす白いもやにより九尾の体は弾き飛ばされる。


 くろはその光景をただただ傍観することしかできなかった。


 大気中に満ちる白いもや奔流ほんりゅうは次第に収まり、視界が開けると信也と九尾はうつ伏せに倒れていた。


「しんや!」

 くろが声を掛けるが返事がない。くろの脳裏に“死”の一文字が過る。


「しんや、まい、早く起きて!」


 くろの淡い期待を裏切るように先に起き上がったのは九尾であった。


 九尾は怒りの形相ぎょうそうで信也を睨み付ける。


「うぬは何者じゃ?」

 九尾が信也に問いかけるが反応はない。


「…なんじゃ気絶しとるのか。正体は気になるが厄介なことになる前にわらわの全力をもってほふってくれようぞ」


 九尾の肉体は骨が軋むような不快な音と共に膨張していく。


 体毛がうねり白装束の服は破れ、数メートルはあろうかという八本の尾を持つ妖狐ようこへと変貌を遂げる。


 「真依に尾を削られ一本少ないけど…これが本来の九尾の姿…」

 くろは固唾かたずを飲みその光景に釘付けとなる。


 九尾の妖狐はそのまま信也を食らおうとよだれを垂らしながらいびつな口を開く。


「やめて!」

 くろが言葉で九尾を制する。


「なんじゃけったいな雑霊…心配せずともうぬらも後で喰ろうてやる。そこで大人しく見ちょれ」


 くろが思わず目を反らすと同時に空から水で形成された剣の雨が降り注いだ。


蒼剣そうけん夕立ゆうだち


 無数の剣は九尾の体に容赦なく突き立てられた。


「くろ…遅くなった」


「アンタは…」


 いつの間にかくろの隣には水姫みずきが立っていた。


 優しくささやくその声色とは裏腹に水姫の体は激情で震えていた。


 くろからしてみれば水姫との付き合いは短く、信也とは違い何を考えているのか分かり辛い。そのため何となく苦手意識を持っていたようだ。


 ただ、真依と信也が傷付けられここまで怒りをあらわにしているとこから、他人の為に怒れる人間なんだとくろは水姫への認識を改める。


「これをやったのはお前か!」


「次から次へと馳走ちそうが飛び込んで来るのう。早めにどいつか喰ろうて力を取り戻したいとこじゃが…」


 九尾は水姫と会話をする気などさらさらないようで欲望のままに餌を求めるだけであった。


 水姫が両手で地面を叩くと地表から水泡が涌き出てきた。

 その水は気絶している信也と真依を包み込んだかと思うと、そのまま水姫の後方へと引き寄せられた。


「うおぉぉぉお!」

 続け様に水姫の咆哮ほうこうが樹海に響き渡る。


 それに呼応するように薄暗い樹海がより一層暗くなる。

 空は積乱雲せきらんうんで覆われ次第に雨が降りだしてきた。


 その雨は九尾の結界に遮られることなく樹海を濡らす。


「何が起きてるの?」

 くろは状況を飲みのめないまま空を仰ぐ。


「なんじゃこれは…うぬがやったのか?」

 突然の悪天候に九尾の意識は天へと注がれる。


「天候をねじ曲げるなど、わらわよりよっぽど化け物じみとるではないか」


 九尾は八本の鋭い尾を矢の如く水姫目掛けて放つ。


 しかし、その尾が水姫を貫くことはなかった。

 降りしきる雨が水姫の体に吸い付くようにまとわりつき、信也の体ですら貫いた九尾の尾を弾き飛ばしたのだ。


「いつ助けに来るかわからない相模さがみのオッサンを宛にするほど俺の気は長くはねえ。九尾を仕留める手札は今の俺には…これしかない」


「くろ…すまん」

 それは、これから起こる事態に対しての謝罪なのか間に合わなかった事へと贖罪しょくざいなのか、くろには検討すらつかなかった。


 降り注ぐ雨が意思を持ってるかの如く収束し水姫はの大量の水に呑まれた。


 そして、水姫の華奢な体は別次元の生物へと進化していく。


 淡く白い鱗。四足の屈強な手足から伸びるいかつい爪。極めつけは九尾を見据える爬虫類はちゅうるいのような眼光。


 水の形状が定まると水姫は龍のような生物へと変貌を遂げる。


 その体は九尾よりも一回り大きく水姫の面影は微塵も残っていなかった。


「まさか川嶋河の大虬みつちの類いか!こんな有毒の化け物を体内に宿していたとは…」

 九尾は先ほどのように迂闊には襲いかからず水姫の出方を窺っているようだ。


 対して水姫には理性が感じられず獣のような唸り声をあげている。


 水姫みずきだったモノは白い龍の手を振り降ろす。


 激しい水飛沫みずしぶきと共に九尾の体は軽々と吹き飛ばされた。それと同時に樹海の木々もえぐられる。


「どうにかして、まいとしんやを逃がさないと…」


 吹き飛ばされた九尾も体勢を整え負けじと水姫に食らいつく。


 化け物どうしの闘いに圧倒されるくろ。


 戦況は水姫がやや優勢のようだ。


「グゥゥゥ…尾を一本削られたのが響いてるわね。先に娘子から力を吸収せねば」



 九尾は尾を水姫に絡ませ地面に抑えつける。その隙にくろたちを食らおうと飛び込んできた。


「くっ…」

 くろは死を覚悟し目をつむ


「…あれ?」

 気が付くと真依まい信也しんや燕尾服えんびくふの眼鏡の青年に担がれ九尾の攻撃を回避していた。


 くろの霊体も真依の体に紐付けられている為、引っ張られるように九尾から逃れていた。


「くろ様…お待たせして申し訳ございません」


 くろたちを助けたは郡山家の使用人の間壁まかべであった。


「あなたは確か…みずきのとこの使用人の…。あれ?あなた眼鏡なんて掛けてたかしら?」


間壁まかべです。この眼鏡は私の干渉力の一環です」


「ありがとう助かったわ。でも、みずきが…まだ戦っているの」


「大丈夫ですよくろ様。後は海斗かいと様が対処して下さいますので…ご安心を」


 くろは再び水姫に視線を戻す。水姫は絡み付いた尻尾から抜け出し再び九尾に飛び掛かっていた。


 次の瞬間、水姫の頭上に何者かが飛び乗る。


 その衝撃で化け物へと変わり果てた水姫が地に伏す。


 上に乗っているのは水姫の父親である海斗だ。


「あのお爺さん…いったい、どうやってここまで来たのよ?」


覆水不辺ふくすいふへん

 海斗は右手で暴れる水姫の頭上から掌底を打ち込む。


 すると白龍の体が崩れ落ち、形成された龍の肉体は水へと還る。


後に残ったのは人の形に戻った水姫のみであった。

 水姫は気絶しているのか地面に倒れたまま起き上がる気配はない。


「しばらく、右手は使えんのう」

 海斗の右手はだらりと垂れ下がっていた。


「危ない!」

 間壁に抱えられた真依もとい、くろが叫ぶ。


 隙をついて九尾が海斗へ飛び掛かる。

 しかし、次の瞬間には九尾の巨体が一回転して、投げ飛ばされる。


「凄い…」

 くろが驚きのあまりあっけにとられていると

 間壁が説明を入れる。


「海斗様は内干渉ないかんしょうにより、自身の体内の水分を操作し強靭きょうじんな肉体を得ています。また、海斗様は外干渉がいかんしょうの扱いにも長けていまして、自身の体表を循環するように水を纏っているのです。体表の水で相手の攻撃を受け流し、攻撃は矛と化します」


 そして間壁は解説を終えると信也と真依を抱えたまま一瞬の内に倒れている水姫も合せて回収して、再び九尾から距離を置いた。


「間壁…子どもたちを頼む」

 海斗がそう告げると間壁はかしこまりましたとだけ返事をして、真依、信也、水姫を抱えその場から撤退した。

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