7話 郡山家当主

 青く澄んだ空。辺りには濃い緑が生い茂っている。

 森にこだまするのは小鳥のさえずりでも虫の鳴き声でもなく、信也しんやの背中が地面に擦れる音だけであった。


「おいジジイ。いい加減、離しやがれ!」

 信也は何故か水姫の父親である海斗かいとに引きずり回されていた。


 小柄な体格からは想像できないような膂力りょりょくで、58.75kgある信也の体をいとも容易く引っ張り続ける。


「ふむ。ここいらでいいじゃろう」 

 郡山家の。海斗は、そこで信也の襟首を引っ張り上げ立たせた。


「ジイさん、いったい何がしてぇんだよ」 


「そうじゃのう、どこから話したものか…。あれはワシがまだ十字軍に参加していた頃の話しじゃ。青龍せいりゅうの討伐に向かい大護だいごさんとはそこで初めて出会ったのじゃ」


 若年性の認知症を患っている海斗は、既に時間の感覚も曖昧で、記憶の混濁こんだくもみられる。


 信也は頭の中でどうやってこの場から逃げ出そうか算段を立てていた。そんな中でも海斗の口は動き続けている。


「…だから、その時の恩を返さねばなるまい。まずは、お主のその奇っ怪な体を調べんといかんの」


 「…きっかい?」

 その言葉が指し示すものは信也の体の異常に水姫の父親が気付いているということだ。


 数分の間、地面を引きずられたというのに信也の体には擦り傷はおろ土埃つちぼこりすら付いてなかったのだ。


 灯浬あかりからの霊視を経て、薄々自身の体の異常性を理解しつつある信也に不意の一撃が入る。


水響芯すいきょうしん

 海斗の掌底が信也のみぞおちを捉える。


「ぐっ…なにしやがる!」


「ふむふむ。なるほどのお。お主の身体にはくさびを打ち込まれとる。ただ、それがお主を守る為のものか、周りの人間をお主から守る為のものか…」


くさびを打ち込んだのは大護か?」

 いつの間にか水姫が信也の隣に立って会話に参加してきた。


「いや…これは大護さんのものではないの。すまぬ…わしにわかるのはここまでじゃ」


「わかった。珍しく郡山こおりやまさんの頭がしっかりしていて助かった」


 どうやら水姫に言わせれば、これでしっかりしている方らしい。


「おい信也、俺はこのまま大護を追う。報酬もいいしな。お前はどうする?」


「オレも親父のことは知りたいけど…」


「お前は得体の知れない力を持つ重要人物だからな。事が済むまではここで軟禁生活を送ってもらう。ただし、協力するなら多少の自由は保証しよう」


 水姫は初めから信也に協力を仰ぐつもりだったのだろう。信也に選択肢を与えてくれているのは、彼なりの優しさなのだろうか。


「協力っていったってなにするんだよ。オレはただの一般人だぞ」


「そうだな…とりあえずお前にできるのは、人質ぐらいかな」


「人質って?」


「お前を餌に大護を誘き寄せるだよ。望み薄だがな」

「郡山さん。大護について詳しく教えてくれ」

 水姫は自身の父のこと郡山さんと呼ぶ。それは勘当されたことへの宛て付けなのか、はたまた心理的距離を表しているのか定かではないが。


「ふむ、どこから話したものか…そうじゃな、あれは桶狭間おけはざまの戦いで今川軍いまがわぐん足軽あしがるとして出陣してたときのことじゃ…」


 混濁を極める海斗の脳内からこれ以上情報を引き出すのは無理と判断したのか、水姫はきびすを返し立ち去ろうとする。


「シンヤ、もう行くぞ。そろそろ昼飯の時間だ」

 水姫は朦朧した父親を放置してその場を離れた。


 信也も話を聞くのは諦め水姫についていく。


「どの道これ以上はお手上げだ。アプリからの通知を待つしかないな。それまでは敷地内でゆっくりしてていいぞ」


「アプリって?」


「国営のスマホのアプリ、“ゴーストハンター”だよ。これに依頼が貼り出される。依頼の達成またはその貢献度によって報酬が支払われる」


「なるほどそんなものがあるのか…ちなみに親父を捕まえるといくら貰えるんだ?」


「3億3千万円かな。規律違反者の懸賞額ではアプリの配信を開始してから過去最高らしいぞ。ちなみにお前を軟禁した時点で2千万は確実に貰える」


 水姫は特に悪びれる様子もなくハニカム。


「こんな軟禁なんて、犯罪まがいの行動で国から金が貰えるとは世も末だな。…ミズキ…オレはこれからどうなるんだ。さすがに父親のせいで罰せられるなんてことはないよな?」


 これからの事で信也の顔に不安の色が浮かぶ。

 信也は強がってはいるがまだ17歳なのだ。


「どうだろうな…。そもそも、大護に息子がいたことも信也と出会うまではわからなかったからな。ま、事実確認も含めて機関からの返答待ちだ。とりあえず郡山家こおりやまけの現当主に話を通しておかないとな」


 水姫も強引に連れてきた事に多少の罪悪感を覚えたのか、心なしか声色が和らいでいた。


「現当主?当主は爺さんじゃないのか…」


「ジジイは隠居して今は義弟おとうと朝水あさみが当主だ」


「へぇ、ミズキに弟なんていたのな。てかいくつだよ?」


「15」


「15歳で当主か、凄いな。そもそもお前の家は何なんだよお寺か?」


「寺じゃなくて神社だ。さっきから質問攻めで疲れた。その話は追々おいおいする」

 水姫はさっさと昼飯を食いに行くぞと言うかわりに後ろ手に手を振り寺の中へと向かっていった。


 先が見えない不安に苛まれながらも信也は境内けいだいへと足を進める。ほんの1日、2日で信也の日常は一変した。


 しばらく神社の本殿の中を進むと、だだっ広い和室に到着した。


 室内では既に真依と灯浬が座しており等間隔に脚付き膳が並べられていた。


「この部屋、いったい何畳あんだ?」

 郡山家の大広間はテニスができそうな広さだと信也が感心しながら部屋中を見回していると、水姫が視線で座るよう促す。


 使用人の間壁まかべが信也たちにお品書きを丁寧に渡す。


 信也は神社の和のイメージと執事服の洋のイメージがマッチしていないことが気になったが、和洋折衷わようせっちゅうとはこの事かと無理矢理納得するのであった。


 食事の大半をカップラーメンで過ごしている信也しんやには縁の無い食べ物ばかりが並んでいた。


「うまそー。いっただきまーす」

 信也が勢いよく食べようとしたところを水姫が制す。


「意地汚い奴だな。食事は当主が食べ終わってからだ。俺らその後にいただくんだよ」


「なんだよそれいつの時代の風習だよ」


「シンヤくんは相変わらず食いしん坊さんだね」

 3人のやり取りを灯浬が微笑ましく眺めていると…。


「今日は珍しく賑やかだね」

 襖が開くと同時に爽やかな声と容姿を兼ね合わせた少年が入室してきた。

 どことなく水姫と雰囲気が似ているが表情は柔らかく、黒い髪が照明に照らされ光沢を帯びている。


「こんにちは。おおよその話は母から伺っているよ。私は郡山家こおりやまけ26代目当主。郡山こおりやま朝水あさみと申します。愚兄が いつもお世話になってます」

 朝水と名乗った少年は丁寧にお辞儀をする。


「誰が愚兄!むしろ俺がお世話してやってるぐらいだ」

 朝水は水姫の憎まれ口を爽やかな笑顔で流す。


 信也たちも朝水あさみに習いぎこちなく自己紹介を済ませる。


「せっかくのお客人なので皆で食べましょう」


 朝水は歳の割りに落ち着いている。信也は常識もなく中身のない自分が何だか気恥ずかしくなり顔を伏せた。


 一通り食事を終えると朝水は本題に入る。

「とりあえず生司馬いくしまさんと竹取たけとりさんは干渉力かんしょうりょくの使い方を覚えた方がいい」


 既に朝水の思惑通りに事態が動かされていたことなど、この時の信也たちは知るよしもなかった。


「母上の話では竹取さんも素養があるんですよね。僕が手解きしますよ」

 朝水は爽やか笑顔で、とんでもないことを言い出した。


 これに対して水姫は猛反発する。

「お前何言ってんだ!敵意がないとはいえ、規律違反者の息子だろ。これ以上、力を付けて万が一のことがあったらどうする。それに竹取たけとりさんもこっちの世界に巻き込む気か?正気の沙汰とは思えん」


 水姫の怒りなど意に介さないといった様子で朝水は穏やかな口調で反論する。


「どうしてだい?そもそも竹取さんをここまで連れて来たのは兄さんだ。既に巻き込まれているよ」


「それに、どう選択するかは竹取さん次第だ。特殊な守護霊が憑いてるなら力の使い方を覚えておいて損はないだろ。昨夜みたいに、今後、悪霊の被害を受けないとも限らないし。自衛のすべぐらい身につけていた方がいいよ」


「だとしても…」


「それに信也さんは良い人だよ。今後、協力を仰ぐにしても、最低限、戦えるようになっておいた方がいい。危険な目に合う可能性も高いし。もし万が一にでも、信也さんが国家の敵になるようであれば、当家が責任をもって対処しますよ」


 朝水の表情は穏やかなままだが目は本気だ。


「そうかよ。勝手にしろ」

 口論の勝敗は朝水あさみに軍配が上がり、水姫みずきは不機嫌そうに部屋を出ていった。


「水姫さん、お待ち下さい」

 灯浬もその後を追って部屋を出る。


「すみません。皆様にはお見苦しいところをお見せしました。…では改めてお訊きします。どうせ時間もありますし、その間に干渉力の扱い方を覚えませんか?ただ…竹取さんは、別に軟禁されているわけではありませんので、私からくろさんへの聞き取りが終わればすぐにでも帰れますよ」


「オレはオレ自身のことを知りたい。それに父親のことも。だから少しでも真実に近付けるような力が欲しい。教えてくれ」

 これは信也の本心だ。一方的に巻き込まれ、流されてここにやって来たが、得体の知れない力を抱えて不安に苛まれながら生きるよりは真実を知りたいと本気で思っている。


「私もなんたらりょくってうのを教えてほしい。くろちゃんとも永い付き合いになりそうだし。それに…」

 そこで真依は信也を横目で見て言い淀む。


「それに?」

 朝見が見透かすような笑みを浮かべ続きを促す。


「これ以上は乙女の秘密です」


「おい、真依はバカ言ってないで家に帰れよ。みずから進んで、危ない目に合う必要は無いだろ」

 乙女の秘密の部分が気になる信也であったが、真依まで大護関連の巻き添えを食らう必要はないと止めに掛かかる。


「ねぇシンヤくん。朝水さんが言ってくれた通り、これは私の選択でもあるの。私が決めるわ」


 ここまで食い下がる真依をは初めて見た信也は気圧され、渋々しぶしぶ承諾する。

「わかったよ。ただし、危険な状況になる前に家に帰れよ」


「そのときはシンヤくんが守ってくれるんでしょ?」

 真依はイタズラっぽく笑ってみせた。


「お二人の気持ちは、よく分かりました。ではさっそく、取り掛かりましょう」

 朝水が頃合いを見計らい結論をまとめにかかる。


「取り掛かりましょうって今から?」


「ええ。こう見えて、私も忙しい身なので…。それに、いつ干渉力が必要になるかわかりませんから、早いほうがいいでしょう」


 こうして信也と真依は干渉力の扱いを学ぶのだった。

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