2話 月明の校舎
「いま何時だ…?」
信也は部屋の電気を点ける。デジタル時計の画面には1時と表示されていた。
何か飲もうと起き上がる信也であったが、体はまだ眠ってるようで足取りがおぼつかない。
ふらつきながらも階段を降り一階のキッキンへと向かった。
コップを用意するのが面倒で蛇口から出る水道の水を直接口に流し込む。
余程喉が渇いていたのか水を飲む度に喉が小気味良い音を立てている。
「変な時間に目が覚めたな」
徐々に意識が覚醒してきた信也は二度寝する気にはなれず、日課の深夜徘徊もといジョギングをしようと支度をする。
ジャージに着替えた信也はそのまま夜の世界へと飛び出した。
信也の住んでいるN町は人口が4000人程度の小さな町だ。
町役場の周辺には大型ショッピングモールが建っていて、それなりに賑わっているが一歩郊外に出ると、隣家まで数百メートルは離れているド田舎である。
自宅近辺は街灯も少ない為、夜間に出歩く人は滅多にいない。
今晩は月明かりに照らされやけに明るい夜だ。
昼間の出来事もあり何故かやたらと学校が気になっている信也は、ジョギングがてらに寄ってみることにした。
「
改めて考えても昼間の出来事は夢ではないかと思ってしまう。
あれこれ考えているうちにS高校の前まで到着していた。何気なく校舎を見やると、信也の目に異様な光景が映る。
外は月明かりに照らされ、電灯がいらないくらい明るい。
それにも関わらず学校の校舎だけが周囲の空間から切り離されているように薄黒く
「なんだこれ。学校がぼやけて見える。これ…オレの目がおかしいわけじゃないよな…」
信也が何度、目を
「きゃああああああ」
その時、つんざくような悲鳴が校舎から響く。
それが聴こえるやいなや信也は校舎の玄関先まで駆けた。
信也は直感で昼間の出来事と関係があると察した。近付けば近付くほど校舎全体を包む薄黒い靄が現実のものであると確信する。
「この靄…触れて大丈夫か?」
信也なりに警戒はしていたが、それでも目の前の異常事態に対する好奇心が勝り思いきって手で触れてみた。
しかし、その異様な見た目とは裏腹に黒い靄からは何の感触も得られない。
「……なんともないな」
信也は多少は
普段は用務員が施錠しているのに校舎の玄関の扉に鍵は掛かってなかった。この事を気には止めつつも信也は悲鳴の主を探す。
1階の廊下で辺りを見回すが人影はなく校内は静寂に包まれていた。校舎は三階建てで学生棟と実習棟の二棟しかない。
外から見ると黒い靄が掛かっていたが、校内には月明かりが差し込んでいる。視界は良好で懐中電灯の灯りも必要ないくらいだ。
信也の頭の中は、この異常事態の割には冷静だ。
周囲の状況をつぶさに観察しつつ悲鳴の主を探すべく校内の探索を続けた。
校内では霊の姿を一向に捉えることができないが、信也は異様な気配を感じ取っていた。
「1階には何もいない…」
信也は足早に階段を上がり2階に着く。周囲には信也の足音だけが
あれ…?
2階廊下の中間あたりまで行くと、パジャマ姿の少女が踞まっていた。
信也は目の前の何かを冷静に分析する。悲鳴の主か、悲鳴の原因となったそのものなのか、警戒しながらゆっくりとパジャマ姿の少女へと近付いていく。
怪談のお約束みたいにベタな展開だな…。
信也は目の前の少女が霊であることに気付く。拍子抜けだなと思いつつも、近寄っていくと少女のパジャマの柄が目に入る。
ピンク色の可愛らしいパジャマに、
リーゼントヘアーの
信也がこの世に生を受けてはや17年。様々な霊を見てきたがパジャマを着た幽霊と対面したのは始めてであった。
声を掛けようと近付くと、少女の幽霊は信也の存在に気が付く。
その幽霊は突然、信也に向かって抱きついてきた。
「ジンヤぐ~ん。ごわがっだよ~」
幽霊に対してある程度、経験豊富な信也だがこの訳のわからない状況にはさすがに驚愕する。
「まてまて、何で幽霊がオレの名前を知ってんだよ」
信也は多少パニックに陥りながらも、抱きつく幽霊を体から引き剥がし顔を覗き込んだ。
驚くことにその幽霊は信也のよく知る人物だった。
泣き顔でぐしゃぐしゃになっていたが、それは紛れもなく真依の顔だった。
「真依、何でこんなとこにいるんだ!それにどうして幽霊になってんだよ」
状況が飲み込めず、信也はついつい詰問口調になる。
「わだじにもわがんないよ~。それに私は幽霊なんかじゃないよ。ただ家で寝てただけなのに」
真依はそう言い張るが、体は明らかに霊体である。幼い頃から幽霊を見てきた信也が幽霊と人間を見間違うはずがない。
「きゃあああああ!」
再び悲鳴が聞こえた直後、ガラスが割れるような音が鳴り響いた。
「いったいなにが起きてるんだ。ここにいるのは真依だけじゃないのか?」
「真依、とりあえずここから出るぞ!」
信也はこの異様な事態に何かを察知していた。嫌な予感がすると、このままここにいてはいけないと本能がそう告げている。
泣き崩れている真依の手を引き、そのまま走り出す。
しばらく走り続ける二人であったが…。
「おかしい! どうしてだ!さっきからいくら走っても階段にたどり着けない」
S高校の廊下の全長は100m足らずである。
走れば10数秒程で端に行き着くにも関わらず、信也たちがどれだけ進もうが前方は暗闇に包まれており端に行き着くことはなかった。
ついに2人の息が切れその場に倒れ込む。
「ぜぇ、ぜぇ」
幽霊に息切れがあるのかという疑問を挟む余裕もなく、信也はある違和感に気付く。それは明らかに自分たちの呼吸以外に音が聞こえてきたからだ。
木目の廊下の床を、箒で掃くような音が幾重にも聴こえてくる。信也はゆっくりと音のする方に目を向けた。そして驚きの光景に思わず言葉を失う。
そこにいたのは昼間に教室内に侵入してきた
黒髪の少女の霊であった。
長く伸びた黒髪が壁や天井まで張り巡らされており、明らかな敵意を持って信也たちに迫ってきている。
真依も黒髪の霊の存在に気付いたようで、恐怖のあまり腰を抜かしその場にへたり込む。
信也が人のような姿を微かに視界に捉え目を凝らすと、黒髪の少女の霊が女子生徒を蛇のようにうねる長い髪で捕えている事に気付く。
信也は考える前に言葉を発していた。
「おい、その子をどうするつもりだ!」
黒髪の霊は言葉を返す代わりに卑しい笑みを浮かべるだけであった。
「この野郎!」
信也は怒りを
いや正確には信也はそもそも恐怖心を抱いたこがこれまで無かったのだ。
信也の突進に合わせ黒髪の霊は勢い良く髪を伸ばす。
「うお!」
信也は反射的に目を瞑り
…しかし、いくら待てど髪が信也に届くことは無かった。
「…あれっ?なんともない」
信也が目を開くと、自身の体からうっすらと白い霧のようなものがでており、それに遮られ体に巻き付こうとしている髪との間に数cmほどの隙間が空いていた。
髪は信也の体に届いておらず、触れようとしたそばから溶けるように霧散していく。
昼間の出来事と重なり、信也は黒髪の少女の霊の髪が自分には効かないのではと直感的に理解する。
これには黒髪の少女の霊の顔もも心なしか驚きの表情に変わっていた。
「なんでかは知らんが、なんともないみたいだな」
信也はその隙に黒髪の霊へと間合いを詰め、髪に埋もれた女性を引き剥がそうと試みる。
信也が髪の毛の中に手を突っ込むと、先程と同様に髪が触れようとしたそばから消え去っていく。
そのまま捕らえられた女子生徒を掴み引き剥がす。
そして、すぐさま真依が座り込んでいる位置まで跳び退いた。
「おい!大丈夫か?」
信也が女子生徒に声を掛けるが、彼女は意識を失っているようで反応はない。
そのまま肩を揺さぶり続けると、その女子生徒が目を覚まし、今にも消え入りそうな声で言葉を発した。
「…
女性の意識は朦朧としており、そう呟くと再び意識を失った。
そこで信也はあることに気付く。捕らえられていた女子生徒もまた、真依と同様に
「この子、同じクラスの
腰を抜かしていた真依が、四つん這いで助けた女子生徒の顔を覗きこんでいる。
「よかった…。息はしてるみたい 」
真依は安堵の表情を浮かべる。
霊体が息をしているという表現に疑問を感じる信也であったが、それを指摘している余裕はなかった。
「知り合いか?この子も霊体なんだけど…」
「ヴォォォォォォ」
信也の言葉が遮られ怒号が廊下に響き渡る。
黒髪の霊は憤慨しており、先程とは比べものにならない毛量で廊下を埋めつくしていた。
信也がそれに気付いたと同時に、黒髪の霊が津波の如く大量の髪を伸ばしてきた。
やばいと思った時には時すでに遅く、信也たちの眼前に髪の毛の波が押し寄せていた。
反射的に信也は目を瞑る。
すると何かが弾けるような音が廊下に鳴り響く。
その音がしてからどれくらいの時間がたっだろう。実際はほんの数秒だったかもしれないが、信也にはお湯を入れたカップ麺を待つぐらい長い時間に感じられた。
それでも髪が信也の元に押し寄せることはなかった。ゆっくりを
「間一髪だったな。捕らえられてるのはお前らで最後か」
聞き慣れない声に信也は記憶を辿るが、それでも聞き慣れないという表現を訂正するには至らなかった。
声の主を視認すべく信也は背後を振り向く。
そこにはどこか見覚えのある白髪の少年が立っていた。
「お前は…」
「
信也が喋るのと同時に真依が名前を呼ぶ。
「真依、よく転校生の名前なんか覚えていたな」
「逆にシンヤくんは何で覚えてないの?朝、ちゃんと自己紹介してたでしょ」
「それはだな…」
名前が難しくて頭に入ってこなかったとは、さすがに言えない信也であった。
「それより転校生、なんでこんなとこにいるんだよ」
信也は話を逸らすように水姫を問い詰める。
「それはこっちの
「人間なんだから生身で当たり前だろ。それに、結界ってなんだよ!」
訳のわからない問いかけに信也は苛つく。
「ヴォォォォォォ!」
自分だけ
「そうだな。こんなことしている場合じゃなかった」
水姫はそう言うと指を鳴らす。
そこで、さっきの破裂音は指パッチンの音かと信也は理解する。
直後、廊下の木目から水泡が噴き出してきた。
水泡は宙に浮き、収束していく。
“
水姫は中二病全開の技名を叫び、そのまま狙いを定めるように指を向けると、
水泡が弾丸の如く一斉に黒髪の少女の霊を目掛け飛んでいく。
「グギァァァ」
水の弾丸が黒髪の少女の霊を貫く。
黒髪の少女の霊は一瞬怯んだが、すぐに髪で風穴を塞ぎ元通りになる。
「やはり器からの供給を絶たないと厳しいか…。
お前、昼間に黒髪の霊を払いのけてた奴だろ?
確か…信也とかいったな。俺が力の元を絶ってくるから少し時間を稼げ」
水姫は命令口調で信也に向かって叫ぶ。
「時間を稼ぐって…とうすればいいんだよ!」
そう言いながらも、信也は黒髪の少女の霊に対して臨戦態勢をとる。
「1分だけでいい。無理なら逃げろ」
「よく分らんがさっさと行けよ。1分だろうが1時間だろうが稼いでやる」
信也はアドレナリンが出ているせいか闘志を燃やし意気込む。現状があまりにも現実離れしていて内心、夢じゃないかとも思い始めていた。
それに、信也はもともと恐怖に対して鈍感であった。幽霊に対する恐れは一切感じていない。
水姫は再び指を鳴らし、水弾で窓ガラスを割る。そのまま
「真依!お前はその要とかいう子を連れて逃げろ」
「無理だよ…要ちゃん気を失っているみたいだし、私じゃ抱えれないよ。それに腰が抜けちゃって…てへ」
真依はこんな状況にも関わらず、舌を出しておどけてみせる。
極限状態での真依の反応に少し苛つきを覚えた信也であったが、そんな場合ではないとかぶりを振る。
再び黒髪の少女の霊が髪を伸ばしてきた。
先程よりも更に毛量が多く、押し寄せた黒髪の波に信也たちは呑まれた。
「くそっ!なんて密度だ」
それでも信也の体に髪の波は届いていない。だが髪の密度が高すぎて体が思うように動かせないでいた。
ふと、信也にの中に周囲の髪から何となく哀愁が伝わってきた。こんな状況にも関わらず、信也は黒髪の少女の霊に対して少し興味を抱いてしまう。
この少女の霊…。普段はポツンと木の幹に腰掛けているだけなのに、今はどうしてこんなに禍々しいオーラを放っているんだ。
しかし、そんな興味を払いのけるように真依の悶え苦しむ声えが聞こえる。
信也が振り向くと真依と要が大量の黒髪に呑まれていた。
信也の中で焦りが募る。
「くそっ、一体どうすれば…」
そんな時、校庭から地響きがした。直後に黒髪の霊が怯み髪の勢いが衰える。
信也はその隙を逃さず、白い
「おらっ!」
そのまま右ストレートを黒髪の霊の
黒髪の霊の深い哀しみに興味を持ったせいか、
拳が霊の頬に触れた瞬間、信也の中に、おぼろげだが不思議な映像が流れ込んできた。
突然、信也の視界がホワイトアウトする。
視界が戻ると、そこには可愛らしい黒髪の少女が立っていた。
長く艷やかな黒髪で、格好はどこか古めかしく昭和を感じさせる
そこで映像が切り替わる。
今度は大きな松の木が見えてきた。
信也は校庭に植わっている松の木と同じだとすぐに理解した。
その根下で少女と少女の両親らしき人たちが、他愛ない会話をしながら弁当を食べている。
再び映像が切り替わる。
場面は一転して、視界が真っ赤に染まった。
辺りを見渡すと一面は火の海に包まれている。
そんな中でもあの松の木は堂々とそびえ立っていた。 そして、その根本には衣服がボロボロに焼けただれた少女が寄りかかっている。
…少女はそのまま動かなくなった。
これは黒髪の少女の霊の記憶。
…再び信也の視界が真っ白になる。
気が付くと信也は松の木の根本に立っていた。今度は少女の視点になっている。
突然、信也の前に顔が隠れるほど深く帽子を被った黒服の男が現れた。
「君を解放しよう」
男は訳のわからない言葉を放ち、黒服の男は信也の胸を手で貫いた。
するとどうしようもない哀しみと怒りが込み上げてくる。
抑えられない感情に呑み込まれ、信也の意識は遠退いていった。
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