ボーダレス

那須儒一

黒との邂逅

1話 黒髪

 7月上旬。梅雨も過ぎ去り少しずつ暑さが顔を覗かせるようになった。


  学生で賑わう教室の片隅で一人の少年が机の上に突っ伏していた。

 彼の名は生司馬いくしま信也しんや。幽霊が見える事を除けばごく普通の高校生だ。


 ごく普通の定義を議論しだすと話が先に進まないためここでは割愛させていただく。

 それぞれの考える普通の定義に当て嵌めていただきたい。


 教室内では昨夜、放送された月9ドラマの最終回の話題で持ち切りだ。そんな喧騒の中でも起きる素振りすら見せない信也の耳におっとりとした穏やかな声が届く。


「おはよ!シンヤくん。昨晩も深夜徘徊してたの?」

 寝ぼけまなこで顔を上げた信也の横には、首を傾げている垂れ目の少女が立っていた。


「なんだ竹取たけとりか…深夜徘徊とは人聞きが悪い。日課のランニングだ」


「ランニングも立派な深夜徘徊だよ」


 このおっとりとした口調で話す少女の名は、竹取たけとり 真依まい。信也に話し掛ける数少ないクラスメイトの一人だ。


 信也と真依は今月の席替えでたまたま隣になり、たまたま話すようになった。それ以上それ以下でもない関係だ。


 私立S高校は1学年1クラスしか存在せず、信也が在席している2年生は30名前後しかいない。

 1年生の時から顔ぶれはほとんど変わらないのに信也が会話するのは竹取ぐらいのものだった。


 信也と真依がいつものように他愛の無い会話を繰り広げていると、開け放たれた窓から初夏の涼風が流れ込む。

 風に揺られ、真依の長い髪がなびく。ウェーブかがった栗色の髪から漂うフローラルの香りが信也の鼻を撫でる。


 フローラルの香りが何か分からない信也の隣で、それ以上によく分からない真依が小刻みに震えていた。

「シンヤくんが深夜徘徊…。深夜…。しんや…。プッ、クスクス」


 「お前は相変わらずだな…」


 真依は出会って数秒で分かる子だ。

 誰にでも愛嬌を振り撒き、一見クラスでも人気があるように思えるが、独特な世界観を持っているせいで信也とはまた違った意味で浮いている。


 孤立している者同士、仲良くなったのは必然かもしれない。


 そのまま会話を続けていると、始礼のチャイムが鳴り響く。


 同時に、長い年月を重ねて劣化した教室の扉が、木の軋む独特な不快音を立てながら開け放たれた。


 教室に入ってきたのは紺のジャージ姿の中年男性、藁科わらしなだ。


 信也たちの担任である藁科は体格も、顔も声も大きい霊長類だ。絵に描いたような熱血教師である。


 ちなみに体育教師ではなく、担当は家庭科。

 がっしりとした体格に反して女子力が高いのだが、ギャップ萌えという言葉は藁科には適用されなかったようで、女子生徒からの評判はかんばしくない。


 藁科は校舎中に響き渡る大声でに恒例の説教が始まった。


「おい、お前らいつまでも騒いでないで、早く席に着け。チャイムが鳴っとるぞ。ルールを守れんやつは大人になって必ず苦労することになるぞ。 そもそも何でルールが必要なのかというとだなetcエトセトラ…」


 どうして教師という人種は長々と説教をするのが好きなのだろうか。信也は半ば呆れたような冷めた目で藁科を見ていたが、その背後の見慣れない人物が目に留まる。


 藁科の存在感に呑まれ見落としていたが、開け放たれた教室の扉の外に白髪はくはつの少年が立っていた。


 目つきは鋭く輪郭は細い。美形といっても差し支えない顔立ちだ。そして、白髪の少年の眉間には深いシワが寄せられていた。


 藁科が教室前の少年を放置したまま説教を続けていると、白髪の少年が咳払いをした。

 それに気付いた藁科はようやく彼の紹介を始めた。


「おう、すまんすまん。今日は皆に新しい仲間を紹介する。まずは自己紹介をしてくれ」


「…郡山こおりやま 水姫みずき

 ご紹介に預かった新しい仲間とやらは、険しい表情で端的に名前だけを告げる。


 名前も、性格も難しそうな奴が転校してきたと信也は心の中で呟く。


 水姫の自己紹介で、藁科の指導心が再燃する。

「おい自己紹介はそれだけか?名前を言うだけが自己紹介じゃないぞ。趣味や、挨拶をすることによって今後のより良い人間関係をだなetcエトセトラ…」


「お話を遮るようで申し訳ありませんが、そろそろ1限目の授業が始まりますよ」

 さすがに他のクラスメイトもうんざりしており、それを察した学級委員長が藁科の長談義を遮った。


「もうこんな時間か。今日はこのくらいにしておいてやる。おっと、そう言えば一つお前らに伝達事項がある。最近、ここいらで季節にそぐわない黒コートを羽織った不審者が目撃されている」


「夜間の外出や、人気の無いところに行くのは控えて放課後は集団で帰宅するように。部活動も休止するそうだ。実害はでていないが、何かあってからでは遅いからな」


 夏に黒コートという変質者しかコーディネートしないような装いの不審者情報によりクラス内は少しざわついたが、それをかき消すように藁科は水姫に声を掛けた。


「郡山、とりあえず後ろの空いてる席に座ってくれ」

 特に返事をすることもなく水姫は隅の席へと向かった。 


 信也の目の前に水姫が差し掛かった時、互いにが合う。


「よっ…よう」

 咄嗟に何か話そうと思った信也であったが、上手く言葉がでずに気まずい空気が流れる。


 信也の言葉に対して一瞬止まった水姫あったが、特に返事をするわけでもなく、すぐに目を逸し自身の席へと向かった。


 なんだよ愛想のない奴。信也は心の中で愚痴をこぼす。


 日は高く登り昼休みに突入する。 


 いつも通り信也はカップ麺を携え屋上へと向かう。学校の売店には電気ポットが置いてあり、カップ麺も販売している。


 市販品より安価な為、信也は校内の売店で購入するようにしている。


 このような食生活であるにも関わらず、例年の健康診断に引っ掛からないのは若さ故か。


 屋上への扉には“立ち入り禁止”の札が掛かっているが、そんなものは気にしない信也であった。

 補足しておくが、気にしていないだけで決して“立ち入り禁止”の意味が理解出来なかったからではない。


 錆びついた屋上の重たい扉が、重ねてきた年月を感じさせる金属音をたてながら開く。

 屋上に出ると空から伸びる陽射しが信也の視界を白に染める。


 よくやく視界が定まり屋上のフェンス越しから校庭を見下ろすと、隅に植わっている一本の大きな松の木が信也の目に留まる。


 その松の木は全長20メートル程の長さで戦前から植わっているいわく付きの代物だ。

 松の周辺は昼間だというのに薄暗く鬱蒼としている。生徒はおろか教師ですら近づこうとはしない。


 松の木の根元には黒髪の少女の霊が一日中、座り込んでいるが、特に実害はなく“呪いの木”として、生徒たちの間で七不思議の一つに認定されている程度のものだ。


 信也は物心ついた頃から幽霊が見えており、以前は人間と幽霊の区別がつかず話し掛けることもあったが、今でははっきり区別できるようになっていた。


 信也が何気なく松の木を眺めていると、普段いるはずの黒髪の少女の霊がいないことに気付く。


  不思議に思い、首をかしげていると白髪の生徒が松の木に近付くのが見える。 

 その足取りは、迷って辿り着いたというよりは、明らかに松の木を目的として向かっているようだ。


「あれは…今日来た転校生だよな。何であんなとこにいるんだ?」


 信也は不審に思いながらも、それ以上考える事はしなかった。 

  

 昼休みを終え自分のクラスへ向かう途中、信也の気分は少し憂鬱になっていた。


 その原因は言うまでもなく、午後一番にある藁科による家庭科の授業だ。 クラスに戻るとエプロン姿の藁科が入室してきた。


 ガチムチジャージエプロンというより新たな属性を生み出した藁科を見て信也はある違和感を覚える。


 それは奇抜な風体ふうていに対してではなく、背後に潜む黒い人影に気付いたからだ。


 よく目を凝らすとその人影は、昭和を感じさせる古めかしい制服姿で、華奢きゃしゃな少女であった。


 信也はその姿を見てすぐに松の木の少女の霊だと気付く。


 どうして教室に、藁科について来ているのか疑問に感じた信也であったが、どれだけ考えても納得のいく答えに辿り着くことはなかった。


 黒髪の少女の霊は異様な雰囲気をかもし出しており、すり足で教室内を彷徨うろつきだす。


 黒髪の霊が歩く度に長い黒髪が地面に引きずられ、足跡の代わりにすすけた汚れが床に残されていた。


 どうして松の木の幽霊が教室に?

 今までこんなことなかったのに…。

 信也はこの異常事態についていけず、少女の霊をつい目で追ってしまう。


 よほど信也の挙動が不審だったのか藁科が声を掛ける。

「おい信也、目を丸くしてどうした。

 俺の顔があまりにも男前過ぎてビックリしたか」


 いつもなら藁科の冗談にツッコミをいれる信也であったが、今はそんな余裕もなく目線は黒髪の霊へと釘付けになっている。


「…おい信也、本当に大丈夫か?何だか顔色も悪いぞ」

 信也は藁科の声掛けにも反応せず、そのまま黒髪の霊から目を離せずにいた。


 他のクラスメイトは見えてないようで、黒髪の霊が目の前を通っても誰一人として見向きもしない。


 徘徊を続けていた黒髪の霊が、ふと1人の女子生徒の前で立ち止まる。


 すると突然、黒い髪が伸び女子生徒の手首に巻き付いた。そして、巻き付いた黒髪がみるみるインクのように肌に染み込んでいく。


 黒髪が女子生徒の手からほどけ落ちると、手首に線状の腕輪のような黒い痣だけが残されていた。


 その女子生徒は特に気にする素振りもなく、そのまま授業を受け続けている。


 黒髪の霊は再び生徒を品定めをするように、教室内での徘徊を続けた。


 そして、少女の霊はついに信也の隣に座る真依の目の前で足を止める。そして、他の女子生徒と同様に黒髪を真依の手首に巻き付けた 。


「止めろ!」

 あまりの出来事にパニックに陥った信也が、咄嗟に素手で真依の腕に巻き付いた髪の毛を払い退ける。


 すると少女の霊は一瞬、信也を睨み煙のように消えていった。


「おい信也どうした!お前本当に大丈夫か?」

 藁科が普段は見せないような表情で心配そうに信也を見ている。


「すんません。なんでもないっす。ちょっと寝ぼけてました…」

 そう言葉を吐き出すので精一杯だった。


「そうか…少し疲れているかもしれんな。夜更かしはせずに今晩は早めに寝なさい」


 藁科が珍しく信也を気遣う。それだけ信也の様子がおかしかったのかもしれない。


 それから午後の授業も終了し終礼が終わる。

 しかし、信也は自分の席に座ったまま呆けていた。


「シンヤくんどうしたの?もうみんな帰ったよ」

 気が付くと、ぼんやりとしている信也の制服の袖を真依が引っ張っていた。


「竹取、腕は何ともないのか?」

 信也は真依の腕を掴んで、まじまじと観察する。


 真依の腕には、黒髪の少女の霊に付けられた黒い痣が腕輪のように浮かび上がっていた。


「えっ…どうしたの急に?何ともないよ」

 真依は信也の突然の行動に困惑しながらも、鼻をならしながらガッツポーズをしてみせた。


「シンヤくんこそ大丈夫?今日はいつも以上に変だったよ」


「いつも以上って…。普段から変なのかよ」


「うん!シンヤくんは変なのが普通だからね」


「変なのが普通ってなんだよ。哲学か?」


「哲学って言葉が哲学だよね」


 信也は真依との言葉遊びにより、言語の深みへと誘われていく。


 信也はそんな思考を切り替えるべく、強引に話題を変えた。

「それよりも、もうこんな時間か…。家も近所だしたまには一緒に帰るか?」

 昼間の出来事もあり、信也は無性むしょうに真依のことが心配になっていた。


「やっぱり、今日のシンヤくんは変だよ」

 真依は自身の目尻を両手で出る限り吊り上げて、いいぶかしげに信也を見つめる。


「そうか?24時間営業で変な竹取だけには言われたくないな」


「いいや、私は8時間までしか働きません。時間外労働はしない主義だからね」


 よく分からない方向に話が脱線しており、予想の斜め上を行く返しをしてくる真依を見て、だんだんと信也は心配するのが馬鹿らしくなってきた。


 そんなやり取りをしながら信也たちは家路に就く。


 外は夕焼けに照らされていた。周囲には誰もおらずに信也はどことなく物寂しさを感じてしまう。


 そんな空気に耐えきれず適当な話題を切り出した。

「そういえば、竹取って初対面からオレのこと名前で呼んでたよな。他の奴はみんな苗字で呼んでるのに何でだ?」


「それはね。ええっと…」

 真依は、何故か頬を赤らめ言いよどむ。


 そんな真依を見て、信也の鼓動が高鳴なる。

 普段は天然過ぎて異性として意識もしてなかったが、急に女の子らしい仕草をしてみせたので、不覚にも胸キュンした信也であった。


 しかし、そんな信也の幻想を打ち砕く返答が真依から返ってきた。

「それはね…昔飼っていたゲンゴロウの名前がシンヤくんだったの。だからね、ついつい名前で呼んでしまって…」


 信也は数秒前の感情を改め、真依ごときにときめいた事を恥じる。


 名前で呼んでいた理由がゲンゴロウだったとは思いもよらない信也であった。おおよそ年頃の女子が飼うようなペットではない。


 これは信也の偏見であるため、必ずしもゲンゴロウを飼っている少女を批判する意味合いはないのでご了承下さい。


「もしかして…隣の席になって気さくに話し掛けてきたのは…」


「そうだよ。シンヤくんの名前を知って、なんだか親近感が湧いちゃって」


「やっぱり…それならオレも竹取じゃなく真依って呼ぶからな!」


「えっ…別にいいけど… 。やっぱり今日のシンヤくんは変だね」


 意味不明な会話が続きながらも、気が付くと信也の家の前まで到着していた。

 背伸びして手を振る真依を背に、信也も後ろ手に軽く手を振り自宅の玄関を開いた。


 信也は部屋に入ると、そのまま自身のベッドへダイブした。


 昼間の強烈な体験もあったせいか、そのまま深い眠りに就いた。

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