第3話 クライマックス

「プライ、カミロ、遅れてすまない……!」


 アルドがガダロとザミでもらった皮袋を引っ提げてメルロ区の入り口に着くと、先に集まっていたプライとカミロが振り返った。


「アルド殿、お疲れさまでございます。おおお、すごい大荷物でございますな! そのご様子ですと、食料集めが上手くいかれたようでございますな」


 目元をほころばせるプライに、アルドは皮袋を持った手を持ち上げてみせる。


「ああ。このゼルベリヤ大陸から海を隔てたところにガルレア大陸っていう陸地があるんだけど、そこに住む人たちから食べ物をわけてもらってきたんだ。こっちの山菜炊き込み御飯は山ノ国ガダロの人たちから、こっちの船乗りの潮騒煮込みは海ノ国ザミの人たちからわけてもらったよ」


「これは、すごい量ですね……! こんなにお恵みをいただけるとは、遠い大陸の人たちの優しさと、神の恵みに感謝いたします」


 カミロが両手を組んで神に祈りを捧げる。アルドがそんなカミロの姿にほほ笑んでいると、メルロ区へと続く坂道の下からふたりの女の子が坂を駆け上がってくる姿が見えた。


(ん? あれは――……)


「あら、アルドなのだわ!」


「遅かったじゃないの、アルド。待ちくたびれたわよ」


 元気に坂を駆け上がってきたのは、プライやカミロと同じゲヴュルツ教会の神官であるチルリルとメリナだった。


 アルドは、嬉しそうに駆け寄ってきてくれたチルリルとメリナに、背を屈めて笑顔を向ける。


「チルリル、メリナ! ふたりも来てくれたのか」


 チルリルがえっへんと胸を張った。


「プライから話は聞いたのだわ。上官として、プライやカミロの奉仕活動に力を貸すのは当然のことなのだわ!」


「そうね。私も副祭として、メルロ区の現状のことは気になっていたし、炊き出しをやるのなら私がいたほうが自由にやりやすいでしょう? ある程度のことは、私がいれば許可を出しやすいもの」


 メリナが、ふっと髪を後ろに払いながらほほ笑む。


「なるほど。ふたりはオレたちのことが心配で力を貸しにきてくれたんだな。ありがとう、チルリル、メリナ」


 アルドが満面の笑顔でふたりの頭に片手ずつ乗せると、チルリルとメリナが気恥しそうに顔を赤くして憤慨した。


「もう、アルド! チルリルを子ども扱いしないでほしいのだわ!」


「そのとおりよ。次に私の頭をなでなでしたら潰すわよ!」


「はいはい。ふたりとも偉いな。ふたりにきてもらえて本当に心強いよ」


 チルリルとメリナの言い分を聞いているのかいないのか、アルドはあいかわらず笑いながらふたりの頭をなでなでしている。


 その光景を見守っていたカミロが、アルドたちの仲睦まじい様子に優しく目を細めた。


「アルド殿とチルリル殿、それからメリナ殿は、とても仲がよろしいのですね! 見ていてほほ笑ましいです」


「ああ。チルリルとメリナとは、いろいろと一緒に行動することが多いからな」


 チルリルやメリナたちと一緒にゼルベリヤ大陸を旅したりと、自分はゲヴュルツ教会のみんなと深い関わりがあるのだ。


 プライがそんなアルドに目をほころばせて笑いかける。


「アルド殿は、本当に顔が広くていらっしゃいますな。皆、そんなアルド殿のことをとても頼りにしているのですぞ、カミロ殿」


 そう言って、プライはアルドに向き直る。


「アルド殿、あらためてお礼申し上げますが、こんなにもたくさんの食料を集めてくださってありがとうございます。アルド殿にお頼みして、本当に助かりましたぞ。メルロ区の長老には炊き出しの許可をいただいてまいりましたので、さっそく準備にとりかかりましょう」


 そうして、アルドとプライ、チルリルとメリナ、カミロの五人はメルロ区へと続く坂を下りていく。


 メルロ区は、ゲヴュルツ教会本部へ資源を回すため、自分たちの意思で質素な暮らしをしている集落だ。そのため、集落全体はどちらかというと薄汚れた雰囲気で、野ざらしの古びた布をテントのように広げてそこで寝泊まりしている状況だった。


 とても豊かな暮らしとはいえないけれども、メルロ区の人たちは自分たちから進んでこの生活をしているため、暮らしは質素だけれども、希望を見失わない切実な輝きが集落中に満ちているように感じられた。


 副祭や助祭であるメリナやチルリルがメルロ区に入ると、自然と目立ってしまい、アルドたちのところにメルロ区の人たちがわいわいと集まってきてくれた。


「メリナ様、チルリル様! わざわざこんな辺境の集落まで足を運んでくださり、ありがとうございます……! おふたりのお元気なお姿を拝見できまして、とても光栄です」


 メルロ区の年老いた老人がメリナとチルリルの前に膝をついて祈りを捧げる。


 その光景を見守りながら、アルドは隣のプライにそっと耳打ちした。


「メリナとチルリルは、メルロ区の人たちにすごく信頼されてるんだな」


 プライが、膝をついた老人に、同じように膝をついてほほ笑みかけているメリナとチルリルを見つめながら答える。


「そうですな。お二人とも教会本部の高位の神官であられますし、それになによりメルロ区を気にかけておられて、自分たちの配分を減らして配給を回したりしておられますからな」


「そうなのか! 二人とも、立派なんだな」


 アルドは感心してメリナとチルリルをもう一度見つめた。


 二人とも、しっかりと聖職者としての責務を果たしているのだ。メルロ区の人びとに囲まれて笑っているメリナとチルリルの横顔が、とても神々しく、そして誇らしくアルドは感じた。


 そんな中、メルロ区の小さな女の子がアルドとプライのところにやってきて、プライの祭服をちょいちょいと引っ張った。


「プライのおじ様! おじ様も来てくれるなんて嬉しい! また一緒に遊ぼうね!」


 えへへ、と嬉しそうに笑う女の子に、プライが背丈を屈めてその頭に手を乗せる。


「そうだな。元気そうでよかった。その後、変わりはないか?」


「うん! 暮らしは大変だけど、でも、つらくはないよ。だって、今日みたいにプライおじ様が遊びにきてくれるもん。わたし、プライおじ様だーいすきっ!」


 プライに懐いている女の子の様子を見て、アルドはプライと同じように背を屈める。


「へえ、プライもメルロ区の人たちに好かれてるんだな!」


「うん! プライのおじ様は、いつもメルロ区を気にかけてくれるの。ときどき一緒に遊んでくれるから、メルロ区の子どもたちは、みんなプライのおじ様が大好きなんだよ!」


 両手をめいっぱい広げて、女の子が頬を紅潮させながら嬉しそうに笑う。


 アルドは、隣のプライの肩をぽんと叩いた。


「プライはすごいな。子どもたちにこんなにも好かれて」


「いえいえ、私は私にできることをしているまでなのです。私の行いが、少しでも彼らの生きる糧になればいいと思いましてな」


 女の子の頭をなでながら、彼女を見つめるプライはとても優しい目をしていた。


(メリナもチルリルも、そしてプライも、みんな素晴らしい神官さんなんだな)


 アルドが誇らしく思っていると、メルロ区で宿屋を経営している女将さんがやってきて、カミロの姿を見て驚きに目を見開きながら震える片手を伸ばした。


「あれ、カミロ……? あんた、カミロじゃないかい……?」


 カミロはその手をそっと両手で握りながら、女将さんに笑顔を向ける。


「はい。ただいま戻りました、女将さん。また会えて嬉しいです」


「ああ、ああ、やっぱりそうなのかい。大きくなったねえ。あんたがこの集落にいた頃は、まだちっちゃい男の子だったのにねえ」


 女将さんが目に涙を潤ませて言うと、それを聞いた集落の人たちが次々にカミロの周りに集まっていく。


「カミロ……? あの、東に住んでいたカミロかい?」


「こりゃまた、立派になって……! 神官様になったのかい?」


「メルロ区から神官になった者が出るなんて誇らしいねえ!」


 わいわいわい、と住民たちに囲まれて、カミロは嬉しそうに後ろ頭をかいた。


「ありがとうございます……! 私が独り立ちできたのも、みんなが、小さいころ体の弱かった僕が本部に移り住むことになったときに温かく送り出してくださったおかげです。本当に、ありがとうございます……!」


 メルロ区の住民たちから次々と激励をかけてもらったカミロは、涙を拭いながら何度も何度も頭を下げている。


 そんな素直で真っ直ぐなカミロを、住民たちはみんな笑顔を浮かべて見守っていた。


(――……よかったな、カミロ)


 アルドが、カミロとそれを囲んでいる住民たちを一歩離れたところから見つめていると、カミロがふとアルドのほうに顔を向けた。


「みなさん、今日はお礼を兼ねまして、みなさんに炊き出しの贈り物をさせてください。あそこにいらっしゃるアルド殿や、メリナ殿やチルリル殿、プライ殿が、僕のわがままを聞いてくださって、炊き出しの準備を手伝ってくださいました。特にアルド殿は、海を渡り、遠くの大陸にある国からたくさんの食べ物をいただいてきてくださったんです」


 カミロの言葉に、メルロ区の住民がいっせいにアルドに驚きの視線を向ける。


 アルドは一歩前に出て、両手に抱えているガダロとザミの名物を軽く持ち上げた。


「カミロの言うとおり、この食べ物は、海の向こうの国の人たちが、ぜひメルロ区のみんなに食べてほしいって譲ってくれたものなんだ。こっちの山菜の炊き込み御飯は山ノ国ガダロのみんなから、こっちの船乗りの潮騒煮込みは海ノ国ザミのみんなからだ。ぜひ、メルロ区のみんなに味わってほしい」


 山菜の炊き込み御飯はおにぎりになっていて、船乗りの潮騒煮込みは小さな壺入りに分けられている。アルドはそれを、カミロと一緒にメルロ区のみんなに配った。


 山菜の炊き込み御飯のおにぎりを一口食べた住民が、美味しさに目を見開く。


「これは……おいしいな! 食べたことのない味だ。海の向こうの大陸には、おいしい山菜がたくさん生えているんだな」


「どれどれ、私も一口……」


 プライもおにぎりを受け取って、がぶり、と大口でかぶりつく。その途端、おいしさからか、プライに電撃が走った。


「う、うまい……! 山菜の優しい味が、体中に染みわたっていくようです! 味つけもほんのりとしょっぱくて食が進みますな!」


「そりゃよかった。こっちの潮騒煮込みはどうだ?」


 アルドはプライの言葉に嬉しそうに笑ってから、近くにいたメリナとチルリルに壺入り煮込みを手渡す。


 チルリルは小さい木製のスプーンで煮込みをすくって口に運ぶと――プライと同じように、驚きから大きく後ろにのけ反った。


「お、おいしい―――なのだわっ! 魚介のスープが濃厚で、複雑な味がするのだわ!」


「あら、本当ね。たくさんの魚介を一緒に煮込むと、深い味わいになるのね」


 メリナも、煮込みに入っていた白身魚をぱく、と口に運びながら顔をほころばせる。


 チルリルとメリナの感想を聞いたメルロ区の人たちも、次々と魚介のスープを飲んでは、「おいしい、おいしい」と喜んでくれた。


 その他にもメリナ達が用意してくれた固焼きのパンを配ったり、塩漬け肉を配ったりと炊き出しが盛り上がっているところで、後からやってきたメルロ区の長老が、そっとアルドの肩を叩いた。


「旅の剣士殿、私はこのメルロ区の長老にございます。本日は、このような素晴らしいお恵みをくださり、ありがとうございます」


 白髪の年老いたお爺さんに恭しく頭を下げられて、アルドは慌てて首を振る。


「いや、オレの力なんて微々たるもので……。そもそも、この企画はメルロ区出身のカミロがいたからこそできたことなんだ。カミロが、自分を快く本部に送り出したメルロ区のみんなにお礼がしたいって言ったのがきっかけだったからな。でも、オレでもできることがあってよかったよ」


 アルドが照れながら言うと、長老は目を細めてほほ笑んだ。


「ありがとうございます。カミロは、幼いころこのメルロ区に母親とふたりで住んでおりましてな、体の弱い子だったので、幼少期に本部のほうへ移り住んでいったのです。それがこうして立派に神官となって元気な姿を見せてくれるとは、私も、そして他の皆も彼のことを誇りに思います。それに――」


 長老は、メルロ区の人たちと何事かを話しているメリナとチルリル、プライを順々に見やる。


「メリナ殿、チルリル殿、プライ殿もお力を貸してくださったのですな。本当に、ありがたいことです。やはり、毎日の神への祈りを忘れなければ、神はいつでも私たちを見ていてくださるのですな」


 山菜の炊き込み御飯や船乗りの潮騒煮込みをおいしそうに頬張るメルロ区の男の子や女の子、そしてそれを優しく見守る親たちを眺めながら、長老が目の端に涙を滲ませる。


(――……よかった、喜んでもらえたみたいだな)


 自分の持つ自由自在にいろいろな大陸を渡り歩ける力が人々の役に立てて嬉しい――アルドはあらためてそう思う。


 世界を救けるだけでなく、海を越えて、大陸と大陸の人びとを繋げることもまた、自分の役目なのかもしれない。大陸を越え、時を超え、この世界に生きるすべての人びとを結びつけることができるのは、時空を超える力を持った自分だけなのだ。


(この力を、この世界に生きる人々を救うため、そしてこの世界を救けるために使っていけたらいいよな)


 アルドは、誰に見せるわけでもなく、ぐっと下で拳を握る。


 古代ガルレア大陸の山ノ国ガダロと海ノ国ザミの人びとの温かさを、このゼルベリヤ大陸のメルロ区の人びとに伝えられたのは、とても嬉しかった。


「カミロ、カミロや。ひとつ頼んでいいかの?」


 長老が手招きをして、カミロが「はい」と返事をしながら駆け寄ってくる。


「どうしました、長老様?」


「いや、せっかくおまえが神官になって戻ってきてくれたのだ、おまえに、ひとつ説法をしてもらいたいと思っての」


 長老の提案に、カミロは少し驚いて後ろにのけ反る。


「い、いえ、長老、ここには副祭のメリナ殿と助祭のチルリル殿もいらっしゃるのですよ!? それなのに、まだ神官見習いの僕が説法をするなど……っ」


 おろおろおろと、とんでもないとばかりにカミロは顔の前で手を振っている。


「説法……?」


 首をかしげたアルドに、後ろからやってきたメリナが代わりに答える。


「説法は、神官職にある者が、信徒たちの前で教義を説き聞かせることよ。神官が人びとの前に出て神に祈りを捧げて、人びとがそれを唱和する、と思ってもらえればいいわ」


「へえ、いろいろな儀式があるんだな」


 アルドは、隣にやってきたメリナに答えて、次いでカミロに視線を向ける。


「カミロ、せっかくだしやらせてもらったらいいんじゃないか? 大変なことだったりするのか?」


「あ、いえ、僕でもなんとかできることなのですが……、ただ、説法は高位の神官が行うものですので、メリナ殿とチルリル殿、プライ殿がいらっしゃる前で、見習いの僕が前に出るというのも……」


 申しわけなさそうにしているカミロに、今度はチルリルが両手を腰に当てて言う。


「カミロ! そんなこと、遠慮するところではないのだわ! カミロはこのメルロ区の出身なのだから、みんなに恩返しをするためにも、説法すべきなのだわ!」


「チルリル殿のおっしゃるとおりですぞ。カミロ殿が立派になられたことを、メルロ区の皆に見せて差し上げてくだされ。それが一番の恩返しなのではありませんか?」


 プライの励ましに、カミロは、はっと目を見開く。


 アルドも納得して腕を組んだ。


(そうだよな。チルリルやプライの言うとおり、カミロが立派に成長したことを集落のみんなに見せるのが一番喜んでもらえそうだよな)


 アルドやメリナ、チルリルやプライが励ましの視線をカミロに向けると、彼は意を決したふうにうなずいた。


「わかりました……! 説法のお役目、ぜひ僕に請け負わせてください」


 そうして――


 人びとの前に出たカミロは、両手を大仰に広げて、神への祈りを捧げる。


 メルロ区のみんなに神の恵みがありますように。


 神が、私たちの罪を赦し、悪からお救いくださるように――。


 カミロの静かな祈りの声が、素朴で質素なメルロ区に響き渡る。


 空の雲が割れてそこから一筋の光が差し込み――それに照らし出されたカミロの姿は、光の輪郭に覆われて、まるで神の使いそのものにアルドには見えた。



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