第2話 ミドル
BC2万年、ゼルベリヤ大陸から海を渡ったところに、ガルレア大陸という自然に恵まれた陸地がある。そこには、山ノ国ガダロという古代の国があった。
ガダロは山の懐に抱かれた国で、集落を吹き抜ける山風が家のあちこちに飾られた赤い風車を回して、集落を歩いているとカラカラという小気味の良い音が耳に心地よく入ってくる。土くれの道には落ち葉が積もっていて、その葉っぱが山風に舞いあげられて花吹雪のように集落の空へと舞っていた。
また、ガダロは風車の他にも土偶づくりが盛んな国で、集落の至るところに動く土偶がいることも特徴だった。
そんなガダロにやってきたアルドは、集落の宿屋の前でいったん足を止めていた。
「――……食料について聞くなら、まずは宿屋がいいよな」
宿屋は宿泊客に食事をまかなうところが多いから、ガダロの食料についても詳しいかもしれない。
そう判断したアルドは、高床式の建築で造られた目の前の宿屋を見上げた。
ガダロの家はすべて高床住居で、家の床面を地表面よりも高い位置に造っている。どこも三角屋根の木製の家で、それが立ち並ぶ温かみのある家並みが、ガダロの赤い風車と相まってなんともいえない素朴な風景を作り出していた。
アルドが入り口の梯子を上って宿屋に入ると、木や草のいい匂いのする山小屋風の室内が出迎えてくれた。
アルドは木の床をぎしぎしと音を立てて歩きながら、カウンターに立っている宿屋の女将さんに歩み寄る。
女将さんは、ベージュの綿の服に赤い刺繍の入ったガダロ特有の服を着ていて、艶やかな黒髪を後ろでひとつにまとめていた。
やってきたアルドに気づくなり、女将さんは日に焼けた健康そうな顔を元気よくほころばせる。
「あら、旅のお客さんかい? 山ノ国ガダロへようこそ! 休んでいくかい?」
カウンター越しに女将さんと向き合ったアルドは、軽く首を横に振った。
「いや、じつは今日は泊まりにきたんじゃなくて、ちょっと女将さんに相談があってきたんだ」
「おや、そうなのかい? いい男の相談ならなんだって構わないよ。で、あたしに相談ってのはなんなんだい?」
女将さんはアルドの人あたりの良さが気に入ったらしく、気前よく豪快に笑った。
アルドは後ろ頭をかきながら言う。
「そのいい男ってのはよくわからないけど、じつは――」
アルドは、女将さんにカミロの事情を説明する。
「――というわけで、ここから遠く離れた、海の向こうにある国の人たちが食べ物に困っててさ、なんとかできないかと思って女将さんに相談にきたんだ。ガダロにはおいしい山菜がたくさんあるから、それを海の向こうの人たちに届けることができたら、みんな元気になってくれるんじゃないかって思ってさ」
アルドの話を、女将さんはうんうんとうなずきながら聞いてくれた。
そうしてひと通りアルドの話を聞き終えると、女将さんは張り切ったふうに腕まくりをする。
「なんだ、そんなことならお安い御用じゃないか! あんたの言うとおり、ガダロは山菜が有名だからねえ。むしろあたしからお礼を言わせておくれよ。あたしたちの国を頼ってくれてありがとねえ」
女将さんは両手を大きく広げてそう言ってから、考えるふうに顎に人差し指を当てる。
「そうさねえ、それじゃあ、この宿で旅人の人に振舞ってるガダロ名物の山菜の炊き込み御飯を用意しようじゃないか。他の手の空いていそうな連中も集めて、たっぷりこしらえてあげるさね」
力こぶを作ってみせる女将さんに、アルドはぱっと顔を輝かせる。
「本当か! ありがとう、女将さん! 恩に着るよ」
「なあに、礼には及ばないさ。いい男の頼みとくれば、断れないからねえ」
女将さんは、冗談めかして言ってから、声を立てて笑った。
(――……本当に、人の優しさってあったかいよな)
自分も、困っている人がいたら、女将さんのようにすぐに手を差し伸べられる人になりたい。誰かに向けた優しさは、人から人へと連鎖して、きっといつか自分に返ってくるものだと思うから。
女将さんが、腰に両手を当てて大きな胸を張った。
「冗談はさておき、なんというかねえ、海の向こうのお国のことなんざ、あたしたちには想像することしかできないが、その人たちがどこの誰であろうが困っている人がいるなら助けるのは人として当然のことだと思うのさ。ふふふ、あたしたちガダロの料理で喜んでもらえるなんて腕が鳴るってもんさね!」
あたしたちに任せておきな、と女将さんは勝ち気に笑ってみせる。
女将さんの言葉が、じんと胸に沁みわたるようだった。
(世界は繋がっている――……本当、そのとおりだよな)
自分も、遠く離れた人たちのことを想えるようになりたいと思う。海を越えて、山を越えて、大陸を越えて、時空を超えて。
アルドは、女将さんに向かって真っすぐに頭を下げる。
「女将さん、本当に助かるよ。それで、オレだけ頼みごとをするっていうのもなんだから、なにかオレにも手伝えそうなことはないか? 料理はあんまり得意じゃないけど、その代わり剣の腕には自信があるんだ」
「そうかい? なんだか申しわけないねえ。それじゃあ……」
「――女将さんっ、いるかい!?」
女将さんがそう言いかけたとき、ガダロの服装をしたひとりの親父さんが宿屋に飛び込んできた。よほど急いできたのか、親父さんは、はあはあと肩で息をしている。
(なにか、あったのか……!?)
その尋常ではない様子にアルドが息を呑んでいると、女将さんもさきほどまでの笑顔をなくして表情を強張らせた。
「ど、どうしたんだい!? そんなに慌てて、なにかあったのかい!?」
親父さんは女将さんとアルドに駆け寄る。
「それが、大変なんだよ……! 女将さんの娘さんがいるだろ、彼女が近所の娘さんと一緒にホキシの森で山菜を採ってたらしいんだが、そのときに魔物に襲われたみてぇなんだ! いま、その近所の娘さんが慌ててガダロに帰ってきたんで事情を聞いたんだが、どうやら女将さんの娘さんは、その子を逃がすために囮になって魔物のところに残ったらしいんだ! 早く助けに行かねぇと、女将さんの娘さんが怪我をしちまうかもしれねぇ……!」
「なんだってッ……!?」
女将さんは真っ青になりながら、自分の口を押えてかたかたと震えている。
涙ぐんでいる女将さんを横目に見て、アルドは腰の剣の柄に手を乗せた。
(ホキシの森の魔物か、オレなら女将さんの娘さんを助けられるかもしれない……!)
アルドは女将さんを安心させるように、そっと女将さんの肩に手を置く。
「女将さん、ここはオレに任せてくれないか? オレが娘さんを助けに行ってくる! 無事に連れて帰れるように全力を尽くさせてもらうよ」
自分はそんじょそこらの魔物には後れを取らない自信がある。
いままでさんざん鍛えてきた剣の腕を、ここで誰かを守るために活かすのだ。
勇ましく言うアルドに、女将さんはすがるように泣き崩れた。
「ああ、ああ、ありがとうねえ……! どうか娘のことをよろしく頼むよ!」
「ああ、きっと大丈夫だ! 女将さんは安心して待っててくれ!」
宿屋を飛び出そうとしたアルドに、親父さんが声を投げかける。
「剣士さん、俺が娘さんのいる場所を把握してるから、案内させてくれ!」
「ああ、ありがとう!」
先に走り出した親父さんの背中を追って、アルドも宿屋の梯子を飛び降りてホキシの森へと一目散に駆ける。
(どうか無事でいてくれ――……!)
間に合ってくれ、とアルドは強く願いながらホキシの森に飛び込んだ。
ホキシの森は、木々の枝がうねるように生い茂る、人の手の入っていない原生林だ。頭上の枝葉の間から木洩れ日がちらちらと降り注いで、地面にまだら模様を作っている。
湿気で湿った草を踏みしめて走っていると、道案内で前を走る親父さんが足を止めずに振り向いた。
「剣士さん、もう少しだ……! 逃げてきた娘さんの話だと、たしかこのあたりに――……」
「きゃああああっ!」
親父さんがそう言いかけたところで、女性の悲鳴と、それに被るようにして魔物の雄たけびが森中に響き渡った。
アルドは即座に腰の剣を抜き払うと、親父さんの前に飛び出す。
「親父さん、これ以上は危ない! 親父さんは先にガダロに戻っててくれ! この先はオレが見てくる!」
「おお、すまねえ! 剣士さん、頼んだぜ……!」
アルドが親父さんにうなずいて前方に駆け出すと――やがて木々の切れ目が見えて、少し開けた場所に出た。そこに、大木に手と足の生えた大樹の魔物と、その魔物の足もとに尻もちをついている小柄な女性の姿がある。
(あの人が宿屋の女将さんの娘さんか……!?)
親父さんに案内してもらった場所なのだから、おそらく間違いないだろう。
(よかった、なんとか間に合ったな……!)
遠目だけれど、宿屋の娘さんは怪我を負っていないように見える。それに安堵したアルドは、抜き身の剣を持ったまま娘さんを庇うように魔物の前に躍り出た。
ずざ、と足を踏みしめてその場に留まってから、娘さんを背中に庇って、眼前に長剣を構える。
「あんた、怪我はないか!? 助けに来たから安心してくれ!」
アルドはそう女性に声をかけると、腰を低くして魔物めがけて駆け出す。
「――魔物め、オレが相手だ!!」
――グォオオオオッ!
獲物を狩る瞬間を邪魔されたからか、大樹の魔物が威嚇の声をあげる。
助けに入ったアルドに、娘さんはすばやく状況を理解して、後ろに下がりながら声を張り上げる。
「剣士様、お気をつけください! あの魔物が出す花粉を吸ってしまうと、急な眠気に襲われてしまうんです……! そうすると身動きが取れなくなってしまいます!」
娘さんの的確なアドバイスに、アルドは唇の端を持ち上げて笑みながら、少しだけ振り返った。
「わかった、ありがとう、気をつけさせてもらうよ! あんたは安全なところまで逃げてくれ!」
うなずく娘さんを視界の隅で捉えてから、アルドは目の前にそびえる魔物を見据えた。
大樹の魔物は、後ろに大きくのけ反ると、前に首を戻す反動でさきほど娘さんの言っていた花粉を思いっきり放ってきた。ピンク色の花粉が、辺り一面にぼわんと広がる。
けれども、事前に花粉の攻撃を推測していたアルドは、地面を強く蹴って魔物の頭上に飛び上がり、足元に飛散した花粉の直撃をまぬがれる。
急に視界からいなくなったアルドに、魔物は戸惑ったふうに周囲を見渡した。
「遅い……! これで最後だ!!」
魔物の額にアルドの陰が落ちて、魔物がはっとして頭上を見上げる。
魔物の見開いた目の中に、剣を大きく振りかぶったアルドの姿が映り込む。
アルドは落下の衝撃に合わせて、魔物の脳天めがけて剣を力いっぱい振り下ろした。
―― 一刀両断!
魔物は、アルドの一閃によって幹の胴体を真っ二つに割られ、断末魔の奇声をあげながら消滅する。
そのまま軽やかに地面に着地したアルドは、ふう、と額の汗を拭いながら剣の腰の鞘にしまった。そうして後方に避難していた娘さんを振り返る。
「あんた、怪我はないか? なんとか間に合ってよかったよ。あんたが宿屋の女将さんの娘さんで間違いないかな?」
問いかけると、女性は身を隠していた草陰から出てきて、小走りにアルドに駆け寄った。
「は、はい……! 助けてくださってありがとうございます、剣士様! あの、剣士様がおっしゃるとおり、私がその宿屋の娘で間違いないのですが、もしかして剣士様は母をご存知なのですか……?」
宿屋を経営している母親から自分のことを聞いたと思ったのだろう。女性の質問に、アルドは短くうなずいた。
「ああ。オレ、宿屋の女将さんに頼まれてあんたを助けにきたんだ。とにかく、怪我がなくてよかったよ。あんたの友だちの娘さんも無事みたいだから安心してくれ」
「本当ですか! あの子も無事で本当によかったです……! まさかホキシの森で、あんなにも強い魔物に襲われるとは思いませんでした。次からは、気をつけます」
「それがいいかもな。魔物はいつ襲ってくるかわからないから、気をつけるに越したことはないかもしれない。それにしても、友だちを守るために魔物の前に飛び出せるなんて、あんたは勇気があるんだな」
「え……?」
アルドが何気なく言った台詞に、宿屋の娘さんが弾かれたように赤くなる。
「い、いえ、そんなことはっ……! 私なんかよりも、見ず知らずの私のことを助けに来てくださった剣士様のほうが勇気があって、お、お優しいです!」
「そうかな。そう言ってもらえると嬉しいよ、ありがとな。それじゃあ、女将さんも心配してると思うから、ガダロに帰ろうか。くれぐれもオレのそばを離れないようにな」
「は、はい、ありがとうございます……!」
アルドが何気なく言った言葉に、娘さんは真っ赤になってうつむく。
前を歩き出すアルドの背中を、娘さんは憧れのまなざしで見つめていた。
「ほら、これだけあれば足りるかい? 遠慮しないで、たんと持っていっておくれ」
そうして無事に娘さんを連れてガダロに戻ってきたアルドは――宿屋の女将さんから、皮袋に山のように詰められたガダロ名物山菜の炊き込み御飯を受け取っていた。
女将さんは、アルドと一緒に帰ってきた娘さんを泣きながら抱きしめると、そのお礼とばかりにガダロ中の人びとに声をかけて炊き込み御飯をこしらえてくれたのだ。
メルロ区で配りやすいようにと、御飯はひとつひとつ葉でくるんでおにぎりの形状にまとめてくれていた。
そうして――
炊き込み御飯の入ったずっしりと重い皮袋を背負ったアルドは、ガダロの門の前で別れのときを迎えていた。
「本当にありがとうねえ、剣士様! 何度お礼を言っても言い足りないくらいだよ。少しでも、あたしらの作った郷土料理が海の向こうにいる人びとのお役に立てると嬉しいよ」
見送りに来てくれた女将さんが、アルドの肩を景気づけにばしんっと叩く。
あいたたた、とアルドは顔をしかめながら笑った。
「いろいろとありがとな、女将さん。こんなにたくさん炊き込み御飯を用意してくれて、ガダロのみんなにも感謝しなくちゃな」
「ああ、それくらいいいってことさ。あんたはあたしの娘を助けてくれた命の恩人だからねえ。ガダロのみんなでお礼をするのは当然のことだよ」
「そうか。そう言ってもらえると頑張った甲斐があるよ」
重ね重ねありがとな、とアルドが女将さんにもう一度お礼を言ってガダロの門を出ようとすると、去っていくアルドの背中に女将さんが声を投げかけた。
「ああ、ちょっと待っておくれ、剣士様! 娘が剣士様に渡したいものがあるって言ってたんだ。そろそろ来ると思うんだけれど――」
女将さんが集落のほうを振り返ると、遠くから手を振りながら走ってくる女性の姿が見えてきた。
「ま、待ってください―――っ!」
その女性――宿屋の娘さんは、女将さんと、足を止めたアルドのところへ駆け寄ると、はあはあと肩で息をしながら勢いよく頭を下げた。
「お、遅れてごめんなさい……! 準備をしていたら、思ったより時間がかかってしまって……! 間に合ってよかったです」
宿屋の娘さんはそう言うと、両手で持っていた木製の箱をアルドに差し出した。
「あ、あの、これ、剣士様のために私がこしらえたお弁当です……! よかったら、剣士様に食べてもらえたら嬉しいです……!」
娘さんは耳まで真っ赤になって必死にお弁当を差し出してくれている。
アルドは一瞬きょとんとしたあと、満面の笑顔でそのお弁当を大切に受け取った。
「おお、ありがとな! 大事に食べさせてもらうよ。女将さんの娘さんが作ったお弁当か、きっとおいしいんだろうな。楽しみだ」
「え、あ、ありがとうございます……!」
アルドが素直な感想を言うと、娘さんは感激したのか、口もとに手を当てて涙ぐんでいる。女将さんが、よかったねえ、とささやきながら、そんな娘さんの頭にぽんと手を乗せていた。
アルドはお弁当を皮袋にしまって、女将さんと娘さんに片手を上げる。
「それじゃあ、また近くに寄ることがあったら、顔を出させてもらうよ」
「そうしてくれるかい? あんたが来てくれると、この子も喜ぶんでねえ」
「お、お母さん……!」
にやにやと笑いながら言う女将さんに、娘さんが真っ赤になって言い返している。
アルドはそんな親子の仲睦まじい様子に明るく笑いながら、ガダロを後にした。
次の目的地は、海ノ国ザミだ。
海ノ国ザミは、山ノ国ガダロと同じ古代ガルレア大陸にある国で、入り江の海沿いにある南国の集落だ。
白砂の上に貝殻の家が立ち並ぶ南の国ならではの景観で、赤色の大きな花びらを咲かせた花や、ピンク色のサンゴ礁が集落のあちこちを彩る可愛らしい場所だった。
ガダロに寄ったその足でザミまでやってきたアルドは、じりじりと照りつける太陽を、額に手をかざして眩しそうに見上げた。
「ふう、ザミはいつ来ても熱いな……!」
立っているだけで額にじわじわと汗がにじんでくる。
額の汗を腕でぬぐっていると、どこかで誰かがわらべ歌を唄っているのか、素朴な歌声が遠くに聞こえていた。空を見上げれば、海鳥の鳴き交わす声がして、白い砂浜に目を向ければ、打ち寄せる波の音が聞こえる。
心地よい風景にアルドはリラックスして伸びをしてから、きょろきょろと周囲を見渡した。
「……さてと、新鮮な魚介のことは、誰に聞けばいいかな」
近くで漁をしている漁師に声をかけてみればいいのか、それともガダロと同じように宿屋の女将さんに聞いてみたほうがいいのか……。
腕を組んで思案していると、アルドの傍らに立てられていた巻き藁人形がおそるおそる声をかけていた。
「……あああ、あの、お兄さん、なにか困ったことでもあったの……? ぼぼぼ、僕でよかったら、そ、相談にのるけれど……」
「ん?」
アルドが巻き藁人形のほうへ視線を向けると、白い砂浜に長い棒を刺し、その周りに藁を俵状に巻き束ね、胸もとに斧の突き刺さった巻き藁人形が気持ちよさそうに海風に吹かれていた。
ガダロで土偶に魂が宿っていたように、ザミでは巻き藁人形に魂が宿ってこうして会話をすることができるのだ。何度もザミに来ていてもう慣れっこのアルドは、話しかけてくれた巻き藁人形に驚くこともなく笑顔で歩み寄った。
「ありがとう、助かるよ。おまえ、名前は?」
「お、斧坂……。胸もとに、斧が刺さってるから……」
「ああ、なるほどな……。それじゃあ斧坂、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、この辺りで新鮮な魚介を買えそうなところはないかな? 海の向こうの国の人たちが食べ物に困ってて、その人たちに分けてあげられないかと思ってさ」
アルドの言葉に、斧坂は巻き藁で作られた表情は変わらないけれど、なんとか力になれないかといったふうに話しだす。
「そうなんだ……。海の向こうの国か、ど、どんなところなんだろう……。ぼ、僕だったら、潮に流されれば運が良ければたどり着けるかな?」
「ど、どうだろう……。たどり着くまえに、ふやけちゃうような気もするけどな」
「そ、そ、そうかも……。海の向こうの国、あ、憧れるな。と、ともかく、海の向こうの国の人たち、大変なんだね。ザミのおいしい魚介を食べたら、き、きっと、その人たち、元気になるね」
「そうだよな。なんとかして、ザミの魚介を海の向こうの人たちに届けられないかな」
斧坂は、うーん、と悩むような声を出す。
「よよよ、よかったら、奥の海辺にいる船乗りさんを、訪ねてみるといいと思う。か、彼らのところには、朝一番で採れた新鮮なお魚や貝なんかがたくさん集まるから」
そうか、とアルドはぽんと手を叩く。
新鮮な魚介のことなら、プロである船乗りさんに聞くのが一番良さそうだ。
「なるほど、さすが斧坂、ザミで暮らして長いおまえに聞いてよかったよ。ありがとな」
「う、うん……! 困ったことがあったら、ぼぼぼ、僕でよかったら、またいつでも声をかけてね。僕は、いつでもここにいるから」
「ああ! 頼りにしてるよ、斧坂!」
アルドが笑顔で手を振りながら言うと、斧坂が、やはり巻き藁でできた顔に変化はないけれど、どこか照れたように嬉しそうに笑ったように見えた。
(――よし! ザミの海沿いにいる船乗りの人に聞いてみよう)
アルドは白い砂浜を踏みしめて、海岸沿いへと急ぐ。
(船乗りの人、どこにいるだろう。海岸までくれば会えるかと思ったけど……あ!)
砂浜の端のほうで小型の帆船の手入れをしている船乗りの親父さんを見つけて、アルドはそちらに目を向けた。あまり急いでいる様子はないから、自分が声をかけても大丈夫そうだろう。
そう判断したアルドは、白い砂浜を踏みしめて船乗りの親父さんに歩み寄る。
「おおい、そこの船乗りの親父さん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど、相談にのってもらってもいいかな?」
帆船の甲板でロープをまとめていた船乗りの親父さんは、アルドを見下ろして、白い歯をにかっと見せて笑った。
「おお、なんだい、兄ちゃん? 俺の船に興味でもあるのかい?」
「ええと、船っていうか、どんな海産物が採れてるのか見せてもらいたくてさ。それで、もしよかったら採れた魚介を少しだけ買い取らせてもらいたいんだ」
「ふうん? そりゃかまわねぇが、兄ちゃん、なにか事情でもあるのかい? 俺でよければ話聞くぜ」
船乗りの親父さんは軽やかに甲板から砂浜に降り立って、アルドに歩み寄る。
(そうか。親父さんに事情を伝えれば、なにかいいアイディアをくれるかもしれないな)
そう思ったアルドは、船乗りの親父さんにカミロやメルロ区のことを説明する。
アルドの話をひと通り聞き終えた親父さんは、腕を組んでうんうんとうなずいた。
「ほう、海の向こうの国の人たちが困ってんのか。俺は船乗りだが、海を越えるほど遠くまでは行ったことはねぇなあ。未知の大陸ってのは男のロマンだよな」
親父さんはしみじみと言ってから、アルドに向かって歯を見せて笑う。
「事情はわかった! たとえ住んでる場所は違っても、海はどこまでもひとつに繋がってるってもんだ。海の向こうの国の人たちが困ってんのなら、一端の船乗りとして手助けさせてもらわねぇとな。大船に乗ったつもりで俺に任せときな、兄ちゃん」
「ははは、大船か! 船乗りの親父さんにぴったりだな!」
アルドと親父さんは、声を立てて笑いあう。
親父さんが、ふと思いついたように、ぽんと手を叩いた。
「――そうだ! 兄ちゃん、よかったらこれから俺の船で釣りに行かねぇかい?」
「え?」
「いやな、魚介を用意させてもらうのは簡単なんだが、少し自分で釣ったもんがあったほうが、海の向こうの人たちにお渡しするのに箔がつくと思ってな。兄ちゃんに、俺の船に乗ってみてもらいてぇってのもあるんだけどよ」
(たしかに、親父さんの言うとおりだな)
メルロ区の人たちにザミの新鮮な魚介を食べてもらうときに、自分自身で採ったものがあったほうが、より気持ちも込められるというものだろう。
アルドは親父さんの言葉にうなずいた。
「わかった! ぜひ、親父さんの船に乗せてもらえたら嬉しいよ。釣りの手ほどきもしてもらえたらありがないな」
「ははは、任せとけ! 兄ちゃんは腕っぷしが強そうだから、いい釣り師になれるだろうよ」
そうして船に乗り込んだアルドと親父さんは――親父さん自慢の帆船に乗って、ザミの海の沖合へと漕ぎだしていく。
どこまでも続く青々とした空と、そこに浮かぶ白い入道雲。
太陽の光がさんさんと海に降り注いで、水平線まで続く海をきらきらと燦然と輝かせている。
「へええ、すごく綺麗な景色だな!」
自分の時代にも海はあったけれど、古代の海はまた格別に美しい。
甲板に立って雄大な光景に見惚れているアルドに、親父さんが嬉しそうに笑った。
「そうだろうそうだろう! 俺ぁ、ザミの海は特別綺麗だと思ってんだ。あまり人の手が入っていねぇから水が綺麗だし、サンゴ礁もたくさんあるんだぜ。ほら、船から覗けば見えるだろう?」
親父さんが海面を指をさして、アルドは甲板から水の中を覗いてみる。
たしかに、透き通った深い青の海の底にはサンゴ礁の影がゆらゆらと揺れていて、その間を何匹もの魚の影が横切っていった。
(こんなに綺麗な海で採れる海産物は、きっとおいしいだろうな)
ガダロの山菜の炊き込み御飯に、ザミの新鮮な海産物――きっとメルロ区のみんなに喜んでもらえるだろう。
船が十分な沖合に出たところで、親父さんがいったん船を停泊させた。
「よし、この辺で良さそうだな。兄ちゃん、準備はいいか? さっそく釣りを始めようぜ。ここいらの魚を釣るには、釣り竿はこれを使って、エサはこれをつけると食いつきがよくてな――」
そんなこんなで、アルドと親父さんは、わきあいあいと釣りを楽しむ。
(楽しいな! オレや親父さんの釣った新鮮な魚をメルロ区のみんなに届けることで、メルロ区のみんなにもザミのことを気に入ってもらえるといいよな)
たとえ住んでいる場所は違っても、海はどこまでもひとつに繋がっている――親父さんの言葉のとおり、大陸を越えて、人びとの優しさを伝えられたらいいなと、アルドは思うのだった。
そうしてアルドと親父さんは思いっきり海釣りを楽しんでから、ザミへと帰り着いた。
ザミに着くなり、親父さんは宿屋の女将さんをやっている妻と協力して『船乗りの潮騒煮込み』をこしらえてくれた。
親父さんたちは、メルロ区の人たちに配りやすいようにと、潮騒煮込みを小さな壺に小分けに詰めてアルドに渡してくれた。作りたてのスープは、親父さんや女将さんの気持ちの込められた温かいものだった。
そうしてザミの出入り口まで見送りにきてくれた親父さんは――旅立つアルドに、日に焼けた精悍な笑みを向けた。
「元気でな、兄ちゃん! またいつでも遊びにきてくれよな。兄ちゃんとの海釣り、楽しかったぜ!」
「ああ! オレもまた親父さんと一緒に釣りにいけたら嬉しいよ。親父さんにもっと釣りの手ほどきをしてもらわないとな」
「ああ、任せとけ! 次はもっと大物を釣りにいこうな!」
大きく手を振ってくれる親父さんに手を振り返して、アルドはザミを後にする。
アルドの両手には、ガダロでもらった山菜の炊き込み御飯と、ザミでもらった船乗りの潮騒煮込みが、たっぷりと抱えられていた。
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