95話 飛べた魔女はただの嫁

 ……な、泣いた。泣いた。王子が、泣いた。

 私は王子が泣く姿に、ピシッと固まる。だって、今まで私がどんなことを言っても、怒りはしても泣いた事などなかったのだ。

 一体今の会話の何がいけなかったのか。


「あ、あの……えっと」

 こういう時になにを言えばいいのか分からない。

 だって、【王子】が泣くなんて思わなかった。ずっと昔から彼はとても強い人間だった。誰かに何か言われても、笑ってそれを跳ね返してしまえるような人間だったのだ。

 お菓子をあげれば泣き止むだろうか?

 美女軍団がいたら泣き止むのだろうか?

 それとももふもふ軍団なら?

 色々考えては見たけれど、どの案も王子を喜ばせる案になりそうもない。そもそも、何に対して泣いているのかも分からない。


 かといって、泣かないで下さいとも言えない。

 だって、感情を殺すのはとても苦しいことだから。

 大丈夫かなんて聞けない。

 だって、大丈夫でないから人は泣くのだ。

「お、王子……その……。私に、何かできる事ありますか?」

「えっ?」

「い、いえ。その。あの。い、今なら、大安売りで出張悪い魔女しますよ? 出来る事は限られてますけど」

 私は引きこもりなので、できることなんてほぼない。悪い魔女としても、できることはお菓子をあげてぷっくぷくにするぐらいだ。


「なら……帰って来てくれ」

 そう言って王子は、私に向かって両手を広げた。

 ……えっ。ハグ待ちですか? マジですか?

 確かにアニマルセラピーは心の傷をいやすけれど、今の私には大きな問題があった。

「あ、あの。今の私、汁まみれの子豚なんですが」

 破滅させられない為に、一生懸命ダンスを踊っていたのだ。かなりの豚汁が出ている。

「いい。気にしない」

 いや、気にして欲しい。気にして欲しいけれど、しゅんとした顔を見た瞬間、私は向こう側の世界へ飛び込んだ。

 まあいいか。

 気にしないと言ったのは王子だ。そして、王子は嘘はつかない。


「お帰り」

「……ただいま」

 王子の元へ飛べば、彼は私をギュッと抱きしめた。王子は筋肉質だからか、いつだって温かい。

 とても……居心地がいい。

 でも抱きしめられ続けると、気恥ずかしくて、私はジタバタと暴れた。

「お、王子、放して下さい」

「嫌だ」

「駄々っ子モードはいいですから。見せたいものがあるんです」

「……何だ?」

 とっさの思い付きでいい訳すれば、王子は渋々といった様子で、私に回していた腕を外した。

 さて、何を見せればいいのだろう。この場には、医学書もなければ、餅つき機も洗濯機のセンちゃんもない。さっきまで私は踊っていたので異界の戦利品は何も持ってきてないのだ。そもそも、大物はネットで買う予定だったし。


「えっと。実は、私、異界で豚化しまして……」

「は?」

 王子の声が一音下がった。その声に対して、私は急いで首を振る。破滅フラグは、いらない。

「で、でも。今は豚じゃないですよね? ほら、適正体重まで戻したんです。その間の証拠品がこれです」

 私は大急ぎで、自分の動画を見せる。私が取り寄せたタブレットには、必死に飛び跳ね踊る世にも奇妙な子豚が映っていた。

 何だか一杯コメントが付いているけれど、知らない言葉も多いな。まあ、いいか。


「だから……もう、私は一人でも痩せられるんです」

 異界のアニソンに合わせて有酸素運動。更に人目にさらすの方法で、私は自力でやせる事が出来る。

 いつだって、異界に渡れる。王子の手を煩わせる必要はない。

 そうだ。

 私はもう、この世界を滅ぼすつもりがない――滅ぼす事ができない。


「それでも……それでも、貴方は子豚を飼いますか?」


 王子がどんな選択肢を選んでも、私はこの先も滅ぼせないだろう。

 【大切】が増え過ぎた。

 自分の心には何も残らないと思っていたけれど……ちりも積もればと言う奴だろうか。ポテチ片手に世界が破滅していくのを見られない程度に、沢山の心残りができた。

「飼うわけないだろ」

 王子の言葉に、心臓がギュッと締め付けられたような痛みを感じた。

 久々に感じる痛みだ。

 でも今までの私の行動は、きっと彼に何度もこんな痛みを与えていたのかもしれない。……人に拒絶されるというのは、辛いことだったのを、私は思いだした。

 こんな痛みにさらされ続ければ、そりゃ折角煩わしい事から解放されると分かったなら、同じことを繰り返したりはしないだろう。


「俺はお前を飼いたいんじゃなくて、お前と結婚したいんだ」

「えっ。け、結婚?」

「前から言ってるだろ。お前は婚約者だって。婚約者を飼うとか、意味が分からん。何で退化してるんだ。前進あるのみ」

 そうだ。確かに王子は、いつだって私を婚約者と呼んだ。

 豚でも、子豚でも、魔女でもなかった。


「……俺と、結婚を前提に婚約して下さい」

 いつだって彼は婚約者だと言うけれど、私はずっと婚約を拒んでいたからなぁ。法的には国が婚約者だと決めているけれど。

 それでも私がちゃんと自分の意志で踏み出せるように、これは仕切り直しだ。


 王子は膝を地面につけ、私の手を握り、真っ直ぐ私の顔を見た。

 宝石のような瞳はとても綺麗で……嘘なんてこれっぽちもなくて。

 そうだ。彼は嘘なんてつかないのだと、思いだした。

 空気を読まないけれど、ずっと、ずっと、ずっと、大好きな【クリス】は正直で真っ直ぐだった。


「うん」


 飛べなかった魔女は、ただの嫁になろうと決めた。

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