第2話 飛べない魔女はただの娘

「あんな豚と婚約させられて、第二王子様が可哀想だわ」

 建国の祝賀会でそんな声が聞こえてきた俺は、にっこり王子スマイルを顔に張り付けた。そしてつかつかつかと、そんな冗談を言うご令嬢の元へ行く。


「やあ。僕の事呼んだかい?」

「えっ。あ、あの。お、王子殿下」

「ここでは目をつぶるけど、一応僕は王子だから、むやみに君の方から呼ばないでね? あと、僕の大事な婚約者もだよ? 彼女は身分こそ君より低いかもしれないけれど、世界を救える聖女なんだからね? それとも、皆で仲良く死ぬかい?」

 優しく、優しく諭したつもりだが、ご令嬢は今にも泣きそうだ。でも俺はその事に心が微塵も動かない。だって、俺の一番大切な婚約者は、もう泣く事さえ忘れてしまったのだ。

「いい? 見逃すのは一度だけだよ? 君のお父様が仕事を首になったら大変だろう? それに次に会う時、君の顔がちゃんと体に付いたのままで会いたいしね」

 君の顔がちゃんと体についたまま、つまりはギロチンで首と体がサヨナラしてなければいいねという意味だけれど、ちゃんと通じただろうか? 仕事を首になると上手くかけ合わせたつもりだけれど。

 ご令嬢は顔を青白くしてカタカタ震えていた。

 あまり脅し過ぎると兄上からおしかりを受けるからほどほどにしなければと思う。でも婚約者に関しては別だ。逆に言えば、婚約者の事に触れれば逆鱗だと周りが覚えた方が良い。


 俺がその場を立ち去ると、何処で見ていたのか、兄上と義姉上がやってきた。兄上が眉間に皺を寄せているので、確実に俺の話していたのを聞いていたのだろう。

「……ほどほどにしろよ」

 どうやら怒ってはいないらしい。なら良かった。俺も兄上と一戦交えたいわけではない。

「分かってますよ。でも、いい加減もうすぐ滅ぶかどうかの審判を受けようとしている事に、皆気が付いた方がいいと思うんですよ。予言の魔女の言葉は絶対ですから」

 この国というか、この世界には一定数の魔女と魔法使いがいる。魔女と魔法使いは生まれつき異能を持つものの総称だ。かくいう俺と兄上も魔法使いだ。通り名はないというか、異能が何かを国民に隠しているけれど。

 あえて隠しているのは手の内を見せない方が便利だからだ。

 義姉上は【癒しの魔女】という通り名を持った傷などを癒す異能を持っている。公爵令嬢である事と、兄上に何かあった時に助けられるという事で、王太子である兄上の婚約者となった。未来の王妃としても、攻撃性がなく神聖性を感じさせる能力なので、丁度いい。


 そして俺の婚約者は先ほど豚と陰口を言われていた少女で【異界渡りの魔女】だった。今日はいつもの如く引きこもっているので、俺の隣には居ない。でも居なくて良かったと心底思う。

 あんな言葉、聞かせたくない。

「建国の祝賀会ですから、皆少々羽目を外しているだけですわよ。世界中、誰もが【予言の魔女】の言葉に怯えているのは確かなのですから。学園でも、もう世界は終わりだとしっかり勉学に励めない子も増えていますし」

 予言の魔女は、つい最近、この世界で疫病が蔓延して人間が滅びると予言した。

「馬鹿ですね。本当に、皆馬鹿だ。疫病で人間はすぐには死ねないのだから、苦しみもがきながらも生きなければならないというのに」

 隕石が落ちて来たとか、地震がおきたとか、嵐が起こったとは違うのだ。疫病が流行り、徐々に人間は数を減らし、やがて死に絶えるという予言なのだ。今すぐに死ぬわけではないし、全てが死に絶えるにしても数年の年月がかかるだろう。

 まあきっと、疫病が流行り始めればパニックを起こすだろうけど。そうすれば、もう国が国として機能しないかもしれない。


「婚約者の様子はどうなんだ?」

「相変わらず、世界を拒絶してますよ。……いっそ彼女が望むままに世界が滅んでもいいかなと、ちょっと思えてきます」

「祝賀会でそういう不穏な発言をするんじゃない」

「だって、誰がこの事態を引き起こしたと思っているんです?」

 俺の少しだけ大きな声に、皆が目をそらす。

 皆心当たりがあるのだ。何故こんな事になったのか。

 予言が出るまで【異界渡りの魔女】が世界の運命を左右する立場になるなんて誰も思っていなかった。だから彼女は魔女である前に、ただの一人の少女だったにも関わらず、苦しい立場に追い込まれてしまった。


「もしも助かりたいなら、俺の婚約に何も言わない事ですよ」

 俺はあの時助けられなかった少女を助けたい。ただそれだけだ。世界なんて本当は二の次だ。都合がいいから世界を助けると言っているに過ぎない。

 自分だけの世界に閉じこもり、必死に誰も恨まないようにしている少女を俺は思い起こした。



◇◆◇◆◇◆



 【異界渡りの魔女】がその能力を発現したのは、いつだったのか分からない。彼女は幼い時から時折人の前から姿を消すこともあったが、すぐにあらわれていた。たぶん魔女なのだろうと皆が思っていたが、その能力が何なのかは分からなかった。

 少しだけ少女が大きくなった時、初めて彼女は異界の物をこちらの世界に持ってきた。

「おかあさん、お菓子一緒に食べよう。おいしいんだよ」

 

 見た事もない袋に入ったお菓子を手にしている我が子を見た両親はとても驚いたそうだ。

 娘の拙い説明を聞く限り、娘は異世界へ何度も行っているらしい。異界へ行く途中の通路が【いんたーねっと】または【うえぶ】などと呼ばれる場所で、そこで物が売買できるらしい。しかし買うには異界のお金がいるため、うえぶで何かかしらを売り、そのお金で買ったそうだ。

 商品はうえぶに手を突っこめば買う事ができるが、一度異界に赴いて見知った物しかうえぶ上に出てこないらしい。そして異界への出口はあまり広くないそうで、四角い枠からいつも出入りしているそうだ。


 何かの対価がなければ得られないが、しかし対価さえあれば厳しい冬でも食料を手に入れる事ができる。

 両親はなんて素晴らしい能力だと、少女を褒めたそうだ。少女は両親に褒められてとても嬉しがっていた。

 そんな些細な幸せが狂い始めたのはいつだったのか。誰もが苦しむ冬でも、食べ物に困っていない隣人を見て、その理由を尋ねたものがいた。彼女のいた地域は村社会だ。下手に隠し事をすれば村八分にされやっていけなくなる。だから両親は尋ねられるままに、娘の能力を話してしまった。

 娘の存在が、自慢だったというのもあるだろう。二人は娘を愛していた。

 勿論食料が手に入ると分かった村人たちは、村の為にその能力を使うように頼んだ。娘も頼られれば嬉しかったので断らなかった。


 最初はそれで済んだ。

 しかし次第にその噂は広まった。そして異界の物を際限なく欲しがられるようになった。しかし何かを売らなければ、お金が得られないので、際限なく出し続ける事などできない。

 ならば金をやると言われたが、こちらの世界の金が異界で価値があるわけもなく、少女は途方に暮れた。まだ幼い少女にはどうしたらより高く、より多くの人に物を買って貰えるのかも分からない。だから稼げるのはほんのわずかなお金なのだ。

 見かねた両親が異界の物を渡す事ができないのだと頭を下げた。少女はその姿を見てとても悲しかったそうだ。

 そうするうちに、彼女の家は村八分されるようになってしまった。出し惜しみをしていると思われたのだ。

 村八分されると、生活はとても苦しくなる。ものを売ってもらえず、更に嫌がらせもされる。しかし学のない農民である彼女の家族には出ていくという選択肢はなかった。どうしたらいいのか分からない。

 そうこうしているうちに、両親は立て続けに流行り病で亡くなった。

 少女のみ助かったのは、医者にも見てもらえぬ両親を何とか助けたいと異界へ渡ったからだ。しかし少女も病に侵されており、異界で保護入院となってしまった。体調が戻り大人の目をかいくぐって元の世界に戻った時に少女が見たのは、既に死んでしまった両親だった。

 少女は泣いた。

 世界を恨んだ。

 でも少女が泣こうが恨もうが両親は死んでしまった。


 少女は孤児となり、施設にあずけられる事となった。少女の能力を知っている村人は、少女の能力を惜しんだが、深い恨みにかられている少女を懐柔できるものはいなかった。

 施設に入った少女は、そこで【予言の魔女】と出会ったそうだ。【予言の魔女】は、この時はまだ少女が世界の運命を決める鍵だとは知らなかったそうだ。でも出会い、それなりに仲良くなった。

 そしてお互いの能力を使って、【かぶとりひき】というものを始め、少女は一気に異界の大金を手に入れれるようになった。お金さえ手に入れば、知っている異界の物ならば無制限に買える。

 彼女の異界渡りの能力はとても有名になった。

 異界の文明はこちらよりはるかに高く、更に食料が常に手に入るというのは、とてつもない能力なのだ。貴族が何とか自分の方に少女を取り込めないだろうかと考えている最中に、第二王子、つまり俺との婚約の話が浮上した。


 【異界渡りの魔女】は今の所世界には彼女だけだ。そしてその能力は様々な可能性を秘めている。第一王子の婚約者は決定していたので、俺に話が回ってきた。

 ただし少女はただの平民の孤児だ。王子との婚約には様々な反発が入った。でもそんなのはどうでもいいと思っていた俺は、少女に会いに行った。

 少女はかなり気難しい子供だった。彼女のこれまでの人生を振り返れば当たり前だけれど、俺にはまだそこまでの想像力が備わっていなかった。劇的に空気が読めなかったともいえる。

 だからウザがられようが何だろうが、俺は少女に話しかけ、時に口喧嘩し、時に馬鹿な遊びをし、友達となった。ある意味、この空気の読めてない感がいい方に動いたようだ。


 そして仲良くなったころには、俺は彼女が好きになっていた。婚約の話も出ていたし、結婚するものだとばかり思っていた。

 でも世の中そんなに上手くいかなかった。

 やはり貴族でもない子供が王子と結婚など認められないという話が出た。それは王子である俺と娘を結婚させたいという思惑から、少女を自分の方へ取り込みたいという思惑まで様々な利害が絡んだためだ。

 最終的に俺は国が落ち着くまで一度国外へ留学させられることになった。少女から離されるのは辛かったけれど、【予言の魔女】が少女の隣にいるからと安心していた。


 でも俺が異国の学校を卒業し戻ってきた時、少女は引きこもってしまっていた。

 彼女が唯一気を許していた【予言の魔女】は少女から引き離され、王家で半軟禁状態の生活を送っていた。そして独りぼっちとなって心が弱っていた【異界渡りの魔女】に、俺との結婚を良しとしない貴族が、心無い言葉を浴びせたそうだ。

 元々農民で、守ってくれる両親もいない少女は、誰にも助けを求められなかった。さらに友人も俺と【予言の魔女】しかいなかったのに……そのどちらも彼女の傍には居なかった。

 少女に心無い言葉を吐いた馬鹿共が貴族としてそれなりの権力を持っていたのも悪かった。誰も少女に手を差し伸べなかった。

 どれだけ彼女は絶望したのだろう。


 俺が彼女に会いに行った時は、もう知っている少女はいなかった。

 姿形の問題ではない。確かに彼女は異界の物をやけ食いして運動もせずに引きこもっていたのでとてもふくよかな体型になっていた。豚と言われるだけはある。でも俺が悲しくて仕方がなかったのは、彼女の心が壊れてしまっていた事だ。

 俺が出会った当時の彼女は、とてもひねくれていたけれど、まだ色んな感情を持っていた。そして優しさを持っていた。ギリギリ彼女は人間だった。

 でも今の彼女は、違う。積極的に誰かを害そうとはしていないけれど、誰も受け入れないし助けようともしない。目の前で誰かが死にかけても何もしないような魔女になっていた。

 そんな時【予言の魔女】が予言した。もうすぐ疫病が流行る事を。そしてその疫病の薬は作る事ができず、異界からとってくるしかないと。それができなければ、疫病によりこの世界全ての人間が死に絶えるであろうと。


「ええー。嫌ですよー。私豚なんで、お金も要りませんし、勝手にしてやって下さい、ブヒ」

 心の凍った彼女は、誰に何を言われようとも、薬を取りにいかなかった。

「そもそも、豚になっちゃったんで、異界に渡れないんですよね。あははははは。お取り寄せできるのは、私の知っているものだけなんで、薬は無理無理。諦めて下さい。大丈夫、皆で死ねば怖くないですって」

 口調は軽い。

 でも内容は重い。

 

 人間が生き残れるかどうかは彼女の意志だけだ。でも彼女はもう何もする気がなくなっていた。

 彼女を脅したくても、自分の命さえどうでもよくなっている少女を脅す事など不可能だ。拷問にかける? 拷問した所で、彼女が痩せて異界に逃げればこちらは追いようがない。

「そりゃ、優しい両親がいたら、世界を助けなきゃと思ったでしょうね。でも居ないですもん。あははははは。寂しい娘なんですよ。だーれも、この世界で助けたい人がいないようなね」

 村人が謝ろうとも、貴族が謝ろうとも、何も彼女の中に響かない。

 

「アンタが駄目ならきっともうこの世界は駄目って事なんだろうね」

 【予言の魔女】に呼びだされた俺は、少女を助けてやって欲しいと頼まれた。彼女が本当に辛かった時に引きはがされてしまい、何もできなかったと【予言の魔女】は嘆いた。

「俺は彼女を助けたい」

 世界がどうとか、人類がどうとか、そういうのはどうでもいい。……いや、どうでもいいとまでは言えないけれど、それでも俺はただ目の前の彼女を救いたかった。

「うん。アンタならきっと助けてくれると信じてる。だからアンタが動きやすいようにしてあげるね」

 そして【予言の魔女】は【異界渡りの魔女】が恋できれば何とかなるという、コメントを発表した。彼女は予言とは言わなかった。これは【予言の魔女】の希望でしかない。

 彼女もあの憐れな少女を助けたいのだ。俺達は利害関係もあったけれど、あの幼い日、確かに友達だったのだ。 


「お前、またクッキー食いやがって!! 馬鹿、本当に馬鹿っ!!」

「うっ。何故、それを。隠ぺい工作は完璧だと思ったのに」

「パッケージのかけらが床に落ちてるんだよ、馬鹿。マジで馬鹿。クッキーなんてカロリーの暴挙だろ。どんだけバターつかっていると思っているんだ?!」

 俺は王から許可が出た日から、毎日少女に会いに行った。会いに行って、会話して、飯を作るだけだ。

 彼女は友達だった俺の事を忘れてしまったようだ。……俺は、守ってやれなかったのだから仕方がない。

 なのでとりあえず、痩せろと言う。だってあのままじゃ、マジで病気になる。世界が亡ぶ前に、彼女が死んでしまう。


「ふっ。甘いわ。蜂蜜より甘い。何と異世界には低カロリーのクッキーもあるのよ」

「ちなみに今食べたのは?」

「勿論普通のクッキー」

「やっぱり、ただの脂肪の塊じゃねーか!!」

 とりあえず、彼女の口調は軽快だ。恨み言一つ出てこない。異常に食べ物への執着はあるけれど、それは初めて異界の食べ物を取り寄せた時に両親に喜ばれた記憶がそうしているのではないかと思う。食べるのが好きというのも間違ってはいないだろうけど。


「ほ、ほら。でも、見てよ、このダイエット器具。これをやれば、クッキーの一袋や二袋、すぐに消費できるって」

「できるか、馬鹿。いいか、お前の一袋って言うのは、二十ニ枚入りのものを指してるだろ。二袋で四十四枚」

「四と四で幸せね」

「馬鹿。そういう話じゃない。一枚約五十カロリーだから、全部で二千二百カロリー。それを消費するのにどれだけの動きが必要だと思うんだ? ああ?」

「王子様は賢いわねぇ」

 くっそ。

 本当に、くっそ。

 確実にこっちをおちょくっているのが分かる。たぶんコイツなりに俺を試しているのだろう。虐待された子供が、相手の出方を伺うように。


 分かってる。そこまで追い詰めたのは俺達だ。世界VS【異界渡りの魔女】だなんて思わせてしまったのは、これまでの事があったからだ。

 こいつが許せないというなら、俺は正直滅んでもいいと思ってる。でもあの日、先に手を放してしまったのは俺だ。だから今度は絶対放さない。もう、間違えない。婚約は一生破棄しない。

「いい加減、俺の飯だけで我慢しろ! 本当に、そのままじゃ死ぬからな!! 絶対、そんなの許さないからな、馬鹿っ!!」

 許されなくてもいい。

 だけど、どうか、どうか、彼女の心の傷が癒えて、また動き出しますように。彼女は魔女である前に、一人のか弱い娘なのだから。

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