第8話 コーティングジュースを食べる

小さな頃、テレビ番組の1コーナーで人工イクラを作っているのを見た。科学者に扮したタレントがトマトジュースと何らかの材料を混ぜたものをスポイトで吸い上げ、ビーカーに張られた水の中にポツポツと落としていく。すると水の中に落ちた水滴は球形のまま凝固しイクラのような見た目に変わった。

この映像に興味を示した幼い私は、数日後に父に頼んで人工イクラを作ってもらおうとした。しかし残念なことに幼い私は番組中に出てきた言葉が殆ど理解できていなかった為、全く作り方を把握していなかった。

当時はインターネットなど殆ど普及しておらず、わからないことを気軽に調べることができなかった。家の近くに本屋はあったが、残念ながら幼い私も読書の習慣が無い父親も本の探し方がわからなかった。

私達はゼラチンなどを用いて人工イクラを作ろうと励んだが、結局できたのはただのゼリーだった。

父は言った。


「何か作りたい時はメモしておかないと」


黒牟田初郎8歳。字はギリギリ書けるが大人の話す言葉は殆どわからなかった頃だ。




そんな経験のある私だが、32歳になった年にとうとう人工イクラと相見えた。正確に言えば人工イクラでなく『コーティングジュース』という物体だ。買い物の際に立ち寄った輸入品店で、食品包装用フィルムで封をされた小さなカップに詰められたそれを見つけた。原産地は台湾で色は赤、黃、緑、紫、オレンジの5色でそれぞれ味が違うらしい。

前々から女性YouTuberが自身の動画で食べているのを見て気になっていたが、地元に売ってあるとは思わなかった。感動した私は陳列棚に並んでいた5色のコーティングジュースの中から1つ、鮮やかな緑色の物を購入した。


帰宅して手洗いとうがいを済ませた後、私はすぐさま机の上にティッシュを敷き、コーティングジュースのパッケージを開封した。中には何らかの液体に漬けられた緑色の粒がミチミチとひしめき合っており、消臭ビーズとか小学校で女子が集めていたビーズとかそういったものに見えてくる。

でもこれ、一応は食べ物なんだよな。私はスプーン(黒牟田家はプラスチック一択)で恐る恐る粒を掬い取り、口に運んでみた。そして笑ってしまった。

噛む前から甘すぎる。ドがつくほど甘い。どうやら粒を漬けていた液体はシロップらしい。ものすごく甘い。

続いて粒本体を噛んでみて、更に笑ってしまった。プチッと粒の膜が破れて、中からとろみのある甘い液体が流れ出る。完全にイクラだ。甘いイクラだ。


これこそ私が幼い頃に思い描いていた人工イクラだよと半ば感激しながらイクラもといコーティングジュースを食べ進め、ふとジュースのフレーバーが何なのかと疑問を抱いた。ただ甘いだけではない、何か食べたことのある味がするのだ。フルーツキャンディなどに含まれていそうな、甘いながらにフルーティな味が。

私はシロップがこぼれないように気をつけながらカップを目の高さまで持ち上げ、成分表示を読んだ。そこに書かれていたのは『キウイ』の文字。

それだ。キウイフレーバーを名乗るグミや飴などを食べた時に感じられる人工的なキウイの味。それを滅茶苦茶に甘くしたものだ。


イクラの食感がするキウイジュースなのか、キウイの味がするイクラなのか、脳がバグを起こしたような感覚に目眩を覚えつつカップの半分ほどを食べ進めたところで、玄関からドアの音と「ただいまー!」という声が聞こえた。


「あれ、ボバじゃん!かわいー!」


ボバって何だ。声の主─同居人の秋沢圭佑の口にした感想に戸惑いつつ「食べる?」とコーティングジュースを差し出すと、秋沢は輝くような笑顔で「ありがとう!」と言ってコーティングジュースを受け取り台所に向かった。

ところでボバって何だ。スマホで検索をかけてみると、どうやらポッピングボバはコーティングジュースの別名らしい。巷の若者達は"コーティングジュース"よりも"ポッピングボバ"の方が呼び慣れているのだろうか。


「ボバ、ボバ…言いにくくね?ボバ…」


『ボバ』と連呼する私の横で、コーティングジュースとサイダーの入ったブランデーグラスを持った秋沢が自撮りに興じていた。

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