第122話

祖父が入院している病院へ向かう日。

明の心に迷いが生まれた。



122



フローラ

終業時間



「愛野主任!!いたぁぁぁ」


エレベーターに乗り込んだ明。

そして一階へのボタンを押す直前、明を呼ぶ声がフロア中に響いた。

エレベーターまで一直線の廊下に、営業部の部下の姿。

明に大きく手を振りながら走って寄ってくる部下に、明は階数ボタンを押す前に【閉】ボタンを連打する。


「ちょちょちょと!!待って〜〜〜」


部下の叫びに、ゆっくり閉まっていくエレベーターの扉。

だが明の狙いは虚しく、完全に閉まる前に部下の手がそれを阻止した。


「そのまま挟まってしまえばいいのに・・・」


そんな呟きを漏らす上司に、部下は「そんな怖いこと、言わないでくださいっすよ〜〜」と言いながら開いた扉に体を滑り込ませる。


「商品企画部に顔を出したら居ないし、休憩所に居たって聞いて慌てて向かったら・・・居ないし・・・・」


「何なんだよ」


面倒くさそうな表情の明は、諦めたようにため息を吐いて一階へのボタンを押した。


「何なんだよじゃないっすよ〜。3日間営業部に顔を出さないから、主任のデスクの上が差し入れの山で、俺のデスクまで雪崩起きちゃったんですから。これ、今日持って帰ってください」


「・・・・・・・」


そう言って男が差し出した紙袋を、無言で見つめる明。


「お前にやる」


「いやいやいやいや。主任のファンからの差し入れもあるから、それは流石にマズイっす」


「うっせぇ〜な〜。黙ってりゃわかりゃしねぇ〜って」


「バレた時が怖いんで無理っす」


「チッ・・・チンコの小せぇ男だな」


「それは否定出来ない・・・」


「今日は、持って帰るのは無理だ」


「どこか寄るんすか?そう言えば・・・最近終業時間になってもすぐに帰らない時ありますよね。休憩所で一服してから帰るみたいな・・・・あ!もしかして、誰か待ってるんすか〜〜?って事はあの噂は本当なんすか!?恋人出来たって。もう社内の女子たちが噂してますっすよ。最近よく笑顔を見せるようになったのは、いい人が出来たからだって〜」


「すかすかすかすか、うっせぇ〜〜なぁ」


おしゃべりな部下の話にうんざり顔の明。

そこへ漸く一階にエレベーターは到着し、明は開放されたとばかりにすぐに降りる。

案の定、部下は諦めずに明の後を追い掛け「持って帰って~~~」と袋を押し付けてくる。


「無理だって」


「俺も無理っす。部長に持って帰らせるように、言われてるっすから!」


大股でエントランスを横切る2人。

周りに居る社員たちは何事かと、視線を向ける。

注目を浴びようとも、明はその紙袋は受け取れないのだ。

外では白田が車を停めて待っている。

最初の差し入れ騒動で、あれだけ大騒ぎした恋人。

実はそれからも差し入れはあるものの、白田には見つからないように処分していた。

処分と言っても捨てるわけではない。

父が好きなお菓子は持ち帰り、商品券類は懐に、後は商品企画部の女性達に配っていた。

外に出て広場に差し掛かっても、部下は諦めない。

広場を抜けて遊歩道を過ぎれば、白田の車が停まっている。

正直、この場面は恋人に見せたくない・・・・


「あのなぁ、俺はこれから病院に行くんだ」


差し入れの袋を受け取りたくない明は、足を止めて部下に向き合った。


「どこか悪いんでんすか?」


「見舞いだ、見舞い」


「あっなら、お見舞いに丁度いいじゃないっすか。はい、差し入れ」


「食えねぇ〜よ。これから一生何も食えねぇ〜んだよ」


そう自分で口にした途端、胸に重いモノがのしかかる。

思わず顔を顰めた明に、ゆるゆるだった部下の表情も引き締まる。


「え・・・そんなに悪いんでんすか・・・・」


「・・・・・兎に角、手ぶらで行きたいんだ。手間掛けるけど、これは商品企画部のオレのデスクの上に置いておいてくれ。好きなの数個持って帰っていいから。それならバレないだろう」


「はい・・・解りました」


「じゃな」


「お疲れ様っした!!」


部下にひらりと手を振り、広場を歩き出す明。

視界に捉えている、車道に停まっている白田の車。

そこへ向かって、真っ直ぐ突き進む。

「これから一生何も食えねぇ〜んだよ」

そう先程言った自分の言葉が、未だ胸を圧迫する程に重く感じる。

祖父とはいえ、顔もあまり覚えてない。

殆ど家に居なかった相手に、他人の様な感情しかなかった。

そう思っていたのに・・・・いざ【死】を自覚した瞬間、祖父に対して不憫だと初めて感じた。

娘を亡くし、息子まで家を出て・・・10年近く祖母と大きな家で2人きり。

明からみて、到底幸せな人生を歩んでいたように感じない。

そして意識のないまま、息を引き取る・・・・そう思えば、胸にこみ上げてくるものがある。


「明?」


白田の声で、明ははっと意識を戻す。

明はいつの間にか白田の車の脇に突っ立っていた。

いつからそうしていたのか解らないが、わざわざ車から降りた男が心配そうな表情で明の隣に佇んでいる。


「どうしたの?気分が悪い?」


明の顔を覗き込む白田に、明は心配掛けまいと表情を和らげる。


「ちげ〜よ。腹が減り過ぎただけ。ほら、行くぞ」


少々無理がある言い訳と共に、明は助手席の扉を開けた。

白田は少しの間の後「そう、なら早く用事を終わらせてご飯食べに行こう」と言いながら、助手席に座った明を確認して扉をパタンと閉めた。


病院の前だけ・・・・昨日はいい提案だと思っていた。

だが、いざ直前になるとそれで良いのか・・・明の中で迷いが生まれた。



123へ続く

部下の話し方が、統一出来てないっす。

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