第119話

新宿2丁目を取り巻く闇。

その事を一通り聞いた竜一は、暗黙のルールを受け入れられずにいた。



119



伊切ステーキ



食べ終えた食器はすでにテーブルから無くなり、その代わり湯気が立つ珈琲カップが二つ置かれている。

空っぽだった胃もご馳走に満足している中、丁度明が苛立っていた訳も理解できたところだ。

いや、全てを理解出来たわけではない・・・

小説やドラマでありそうな悪行が、今でも野放しのままなのが納得出来ない。


「その枇杷って男が、暴力団関係者だって間違いないんだな」


「誰も警戒しないリーマンの三人組。逆三角形体格のうすらハゲとチビのくちびるオバケ、そして高身長痩せ型のメガネ。エバラが言ってた特徴と一致してる」


「そこまで解ってんなら、後は警察に任せりゃいいんじゃねぇ〜か。その為にそのエバラっていう刑事は動いてんだろ?」


「警察は動かない」


「はぁ!?何でだ!?未成年売春に薬つけに人身売買だぞ!?」


「バカか、声を落とせ」


少し前まで大声で喚いていた男が、今は竜一の声量を注意する。

話す内容が内容なだけに、聞かれるとまずいのだろう。


「あのなぁ・・・世の中白黒ハッキリは出来ねぇ〜んだよ。ブラックな所に警察は関与出来ても、グレーゾーンは無理なんだ」


「意味わかんねぇ〜」


「グレーな場所も世の中には必要なんだよ。体を売る事でしか生きられない人間もいるし、そのお陰で余計な犯罪を犯す人間も減る。警察だって目を瞑らなくちゃいけない事だってあるんだよ。そうやって世の中バランス取ってんだ、理解しろ」


「康気が巻き込まれそうになってんだろ!?薬打たれて、強制売春させられたら!!」


「だから、声を落とせ!!!脳筋!!!」


お互い苛立ちげに声を荒げ、室内を反響する。

テーブルを挟んで睨み合う2人に、案の定出入口に泣きそうな顔の店員が立っていた。


「わりぃ・・・あと少しで終わるから」


今度は明が店員に軽い謝罪をし、少し待ての意味で手のひらを見せる。

納得してるのか曖昧な表情の店員は、力なく頷くと廊下へと姿を消した。

店員が去ったのを見届け、再び口を開く明。


「いいか全部真実とは限らない、噂がてんこ盛りに盛られてる可能性だってあるんだ・・・」


「なら、枇杷の目的は何なんだよ。売春以外に何がある・・・人身売買・・」


「売買するならもっと見栄えのいいヤツを狙うだろう、俺みたいな」


「買い手も若い方が良いに決まってんだろう」


「あぁぁ?喧嘩売ってんのか?」


前のめりになって、睨んでくる明。

こうなっては話が進まない・・・・竜一は話を逸した事を反省した。


「冗談だ・・・・話を続けろ」


「人身売買はまずありえない。枇杷と食事の日に行方不明になれば、真っ先に疑われて、親や友人が動くだろう。それは向こうも厄介だと思うはずだ」


「・・・・・・・・・」


「ここからはエバラから口止めされてる事だ」


ここで一度言葉を切る明。

そしてはぁと一つため息をつくと、声のトーンを下げて話し始めた。


「少し前から、暴力団の内部で抗争が起きてる。勝敗の決まり次第で、二丁目事情も大きく変わる・・・だからエバラは、内部の状況を色々調べてる」


「・・・・・・犯罪まがいの事を見逃して、暴力団の行く末が気になるなんて・・・呆れた話だな」


「言っただろ、結果次第で2丁目を拠り所にしてた人間が、追い出される可能性もあるんだぞ。そうなったら雅も雛山も、自分で居られる場所を失うんだ」


「・・・・・・・」


「内部の抗争で、奴らは今まで通り商売ができなくなった。だけど資金は必要。だから外部で金を調達する人間が、二丁目に繰り出してきてる」


「それが枇杷か?」


「エバラから聞いた抗争の噂が流れだした時期と、枇杷がフスカルに現れた時期が同じだ。勿論フスカル以外の店にも、顔を出しているようだけどな」


「その資金源に、康気が狙われてるのか?」


「エバラが言うには、ネットで荒稼ぎしているらしい。裏ビデオってやつだ。出演しているのがどうも素人臭いとよ。色んな店で声かけまくって、誘い出してんだろうよ」


「あいつが・・・・裏ビデオに・・・」


顔を顰めてそう呟く竜一。

思わずカメラが向けられたベッドの上で、組み敷かれている雛山を想像してしまう。

だがすぐに、頭に浮かんだシーンを振り払うかの様に頭を振った。


「今、想像しただろ」


ニヤリと笑いながら、竜一に指をさす明。

竜一はすぐに相手の指をパシリと払い「やかましい!!」と言い返した。


「雅が雛に言わないのは、最初に言った通り・・・雛が枇杷に対して警戒心丸出しにするのが、目に見えているからだ」


「その枇杷を出禁にできねぇ〜のかよ」


「だから・・・そんな事してみろ、奴らに目をつけられて二丁目に居られなくなる。暴力団だと気づいたとしても、気づかないふりする事が暗黙のルールになってんだよ」


「はぁ・・・・・・頭いてぇ・・・」


「時には悪を無視しなきゃねんね〜時だってあんだよ。法律だってそうだろう、人を殺したら罰せられる・・・・だけど絶対じゃない。もし戦争になれば、敵国の人間をより多く殺すと表彰される。そう考えれば、世の中矛盾だらけだ」


「・・・・・・・・」


竜一は、眉間にシワを寄せてそれ以上何も言えなくなる。

明の言わんとしている事はわかる。

だが解りたくないと思う自分も居る。

そんな事が罷り通るのかと、怒りが込みあがってくる。

そして・・・目の前の明も、すんなり暗黙のルールを受け入れている事にも腹が立つ。

昔はまだ善悪を理解して動いていた気がする。

物を盗んだり破壊したりはしていたが、無関係な人間に暴力を振るったりはしなかった。

弱者イジメを嫌い、困っている人間には黙って手を差し伸べる・・・・不器用ながらそんな優しさを持っていた。


「何だよ、まだ納得できねぇ〜のかよ」


黙り込んだ竜一に、呆れた顔の明。


「・・・・お前も変わったな。あの時のお前は、白黒ハッキリしてただろうが」


「はっ・・・当たり前だろう、もう大人だぞ。子供の時みたいに、誰かに尻拭いはしてもらえねぇ〜んだよ。問題起こせば、迷惑掛ける人がいるんだから。目を瞑る事も必要だ」


「・・・そうだけどよ」


「お前だってそうだろう。お前が変に首を突っ込んで、何かあってみろ。独り身とは言え唯一の姉弟の麗子がいる。それにオレだって・・・・雛だって泣くかもしんね〜ぞ。守られてる子供の時とは違う、大人になれば守る側にならなきゃなんね〜んだぞ」


守る側・・・・

明のその言葉が、妙にシックリきた。

大切な人を守る為に、見て見ぬ振りも必要なのだと思えば、納得出来なかった事がストンと胸に落ちた。

明が変わってしまったのではない・・・・大人として、必然的に変わらなきゃならなかった。

今では守るべき家族や恋人が居る明。

それらを守る為には、悪事を見逃す必要性を知っている。

なのに・・・・自分は、今でも1人で勝手に生きている感覚になっていた。

今大切なのは暴力団の悪事ではなく、雛山をどう守るかだ・・・・

その事に気づいた竜一は、胸の中のモヤモヤが晴れて妙に気持が軽くなった。

そして険しかった表情から、泣きそうな表情に作り変える。


「お前が・・・・・そんな事言うようになったなんてな・・・。馬鹿みたいに口開けてアーケード練り歩いてたお前が・・・・時は残酷だな・・・」


「おい、誰が馬鹿みたいに口開けてたって!?」


「お前だお前っ」


個室に充満していたピリピリしていた空気が、緩く温かいモノへと変わる。

2人は肩の力を抜き、脱力気味に背凭れに体を預けた。


「で、俺は何をすればいいんだ?」


明がここに自分を誘った目的・・・・

ジムに通い続けている雛山の様子を見て欲しいと、最初は言っていたが・・・・本音はそうじゃない。

そう感じて竜一は、明に問いかけた。

その言葉を待っていたかのように、明はテーブルに肘をつけて竜一に体を寄せる。

そしてニンマリと意地悪な笑みを浮かべた口で、こう言った。


「雛と付き合えよ」


再びとんでもない発言をした相手に、竜一はお約束のようにピシリと固まった。



120へ続く

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