第100話

興信所の事を弁護士に依頼してから、数日が経った。

もう番犬の出番は無くなったのに、明はモエを返せずにいた。



100



愛野宅

明自室



エアコンが効いて暖かな部屋。

この部屋の主はソファの下のカーペットに寝っ転がりながら、女性用の雑誌を広げている。

そして恋人の家に遊びに来た白田は、ソファに座り隣で寝そべっているモエの頭を撫でていた。

予定もない平日の夜。

月末までフスカルの出勤日を減らした明は、ジムに行かない日はほぼ恋人と過ごしていた。

特に2人で何をするわけでもなく本を読んだり、持ち帰った仕事をしたり、一緒に映画を見たりして過ごしている。

例え別々の事をしていても、一緒に居られるこの空間はホッできて心地良く感じれた。


「ねぇ、明。一つ訊いてもいい?」


「ん」


「一応番犬で預かってるのに、部屋に入れててもいいのかな?」


あ・・・そうだった・・・

明は白田にいい忘れていた事を思い出し、顔を上げて男を見上げる。


「・・・・・もう、こいつ返してよくなった」


「明・・・・」


名前を呼ぶ白田。

だがその後の言葉が出てこない。

張り付いている笑顔が、なんとも不気味に見える。


「そういう事は、ちゃんと言っておいてよ」


そう言われると思ってた・・・

色々と心配かけていた相手に、リアルタイムで報告をしなかった事に少しばかり反省。


「いつから?」


「一昨日の昼、弁護士から連絡があった」


弁護士事務所から着信があったのは、一昨日の朝方。

昼休憩に折り返しの電話をすると、「全ての興信所に、愛野さんと関わらないようにと誓約書を書いてもらいました」と報告をもらった。

そして社長のお墨付きの弁護士だけあって、都内全ての興信所に明が関わる依頼は一切受けないようにと根回しする徹底ぶり。

これで安心して、外を練り歩けるようになった。

だからその日に即、白田に外食しようと誘ったのだが・・・


「明・・・」


再び言葉を止める白田。

口元は笑みを浮かべているのに、目が笑っていない。

そんな男の表情から、しら〜〜と視線を外す。

一緒に居たのに、何故言わない・・・と男がそう言わずとも感じ取れた。


「はぁ・・・・」


白田のため息が耳に届き、小言を言うのを諦めたなと明は細く笑う。


「なら何で、モエちゃんはまだ預かってるの?」


「まだ、預かっててもいいって言われたから」


「ほら、やっぱり情が移った」


白田はソファから腰を上げ、明の横に胡座をかいて座る。


「永く居れば居るほど、離れがたくなるよ?」


「・・・・・・・」


わざわざ傍に来てまでそう言う男に、明は雑誌から顔を上げて相手を横目で見た。

もう・・・既に離れがたいです・・・

と意味を込めて。

そんな明の気持ちを読んだのか、男は優しく微笑みかける。

そして手を伸ばし、明の髪に長い指を絡めた。


「流石に人様の愛犬を譲り受けるなんて、無理でしょ?それは明も解ってる筈だけど。踏ん切りがつかないのかな?」


「・・・・・・・」


その通り。

元々動物が欲しいなんて思わなかったし、モエはただの番犬にするつもりだった。

その程度だったのに、余計なことも言わず忠実に傍に居る犬に愛情が湧いた。

もうこの家に番犬は必要なくなったのに、未だモエと別れる決心がつかない。


明は身体を起こして、白田の正面に彼と同じ様に胡座をかく。

そして、ソファの上で大人しくしているモエに視線を向けた。

するとモエは何か用?とばかりに顔を上げて、真っ黒な瞳を明に向けてきた。


「寂しいけど、モエちゃんは返して。新しい犬を飼うのはどう?」


「ん〜〜〜そうじゃないんだ。多分こいつが可愛いのは、ちゃんと躾が行き届いてるからだと思う。ほら、犬特有の構って欲しくて飛び付かれるのオレ苦手なんだよ。1から聞き分けよく躾けるのは・・・オレには無理だ」


「そうか〜〜。じゃ明はどっちかって言うと、犬より猫の方が合ってるのかもね」


「そうかも」


「あっ・・・けど、もう一つ手があるよ?」


「何?」


「保健所から犬を引き取って、モエちゃんの飼い主さんに預けるのは?飼い主さん、確かドッグトレーナーだったよね」


「ん〜〜〜それも有りなのかな・・・」


「お金なら、俺が出すし」


「また出た、俺が出す発言!」


「だって、この子が居なくなって明が寂しい顔するの嫌だし」


「・・・・・・・・」


白田が出してくれた提案に、迷ってしまう。

だが金が絡むとなると、ややこしくなる。

どこまでも金を出したがる男に、軽く頭痛を覚える。

明は胡座をかいたまま前に身体を倒し、トンと男の胸に額を預けた。


「一度、飼い主さんに相談してみようよ。明日にでも一緒に行くよ?」


男の手が明の髪を撫でる。

その手付きは優しく、モエを手放す寂しさを少しでも和らげてくれる。


「ん〜〜〜〜」


はっきりしない明の返事。

だが白田には明の心の内が解っているのか、クスリと笑いそしてつむじに唇を落とした。

気持ちが擽ったくなる様な男のキスに、明は甘えるように男の胸に預けてた額をグリグリと動かす。


興信所の件は片付いたが・・・これで終わったわけではない。

倖田がこれで諦めてくれれば済むだろうが・・・・家に執着する祖母の性格を知っていれば、このまま引き下がらないと予想出来る。

お金を払っても駒が動いてくれないなら、新たな駒を探すか・・・自ら動き出すか。

常に心の片隅にあった倖田の問題。

この問題が全て解決できたら、白田と一緒に居る時間ももっと落ち着けるものになる。

せっかく過去の事を全て話したにも関わらず、未だ残るこの問題に、いつも恋人が気にかけてくれているのは解っていた。


「くぅ〜ん」


膝の上の重みと、モエの鳴き声。

いつの間にかソファから下りたモエは、明と白田の膝の上に前足を乗っけて伏せをしていた。

見上げるつぶらな瞳と目が合う。

まるでモエが心配してくれている様に感じた明は、モエの身体をギュッと抱きしめて。


「やっぱり、返したくねぇ〜〜〜!!」


と決心が揺らいだ。



101へつづく

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