第16話

「可愛い」と思ったままを伝える男に、明は戸惑う。

お互いの存在が少しずつ形を変えていく。



16



スーパーサンフランシスコ前



「何か困ったことがあったら、何でも言うのよぉ〜」


「白田さ〜ん、明君の事宜しくねぇ〜。それとうちの娘、彼氏募集中だからぁ〜」


スーパーの出入り口まで、お見送りのおばちゃん二人。

白田は手を振っている二人に軽い会釈をし、既に歩き始めている明の背中を追う。

漸く解放された明は、はぁと安堵のため息を吐いた。

だが、安堵するのはまだ早い。

肩を並べて歩く男の事がある。


「んっ」


明は何も持っていない左手を、男に差し出す。


「ん?」


明の差し出した手に、首を傾げてこの手は何?的な仕草を見せる白田。

昼間にあんな事があったのに、心無しか機嫌良さげで口元は優しげに微笑でいる。


「半分持つ」


「大丈夫だよ」


「持つ」


「なら、先に俺の話し聞いてくれる?」


明の申し出を受け入れる前にと、聞いてほしい事があると男は少し明との距離を詰める。

車2台がぎりぎりすれ違えるほどの広さの道路で、なぜ肩が触れ合うほどの距離で歩く必要があるのか・・・

明は距離を詰められた分、横へずれる。

そして男も、またもや距離を詰める。


「もう、何だよ」


どうせ昼間の事だろうと明は予想している。

じゃなかったら、わざわざ人の家まで押し掛けて来ない。

時間が経ったら冷静になり、謝りに来た・・・・そんなところ。

怒鳴った相手は取引先の担当者ときたら、菓子折り持って誠意込めて謝罪するのが筋。

ただ・・・名前呼びでタメ口なのが物凄く引っかかる。


「私服の明、可愛いね」


「!?」


予想の遥か上を行った男の言葉に、明はピシリと固まる。

確かに白田の前では今までスーツだった。

私服OKの部に移動しても、朝から着る服を選ぶのが面倒で結局スーツ。

それに私服といっても、ちゃんとしたメンズモノ。

ただ鍛えても骨が細い明は華奢に見られる為、隠すようにワンサイズ大きな服でそれを誤魔化している。

「可愛い」と言う言葉は、女の子に間違えらていた小学校の時まで散々言われていた。

だが中学になり急に背も伸びて成長期に入れば、自然と疎遠となった。

それが27歳になった今、言われるなんて・・・・・・

こいつバカにしてるのかと、イラっとする明。

それと同時に、顔がカッと赤くなり熱を帯びた感覚を感じた。


「何・・・喧嘩売りにきたの?」


「違う違う、本題はさ・・・・昼間の事を誤りたいんだ」


「ならさっさと謝れよ。何だよ、さっきの。機嫌取りのお世辞のつもりか?」


「ごめん、つい思った事口に出ちゃった。お世辞じゃないよ本心だから」


「なっ!謝る気あるのかよっ・・・おいっ・・・何笑ってんだよ」


街灯の明かりでも明の顔が少し赤くなっているのが、白田には見えている。

それでも口悪く噛み付いてくる明に、白田は肩を震わせて笑う。


「お前なぁ、オレは取引先の担当者だぞ」


「ははははっ、ごめん。けど・・・はははは」


明が何を言おうが、ツボに入った白田は白い歯を見せて笑う。

いつものミント香る笑い方とは違う、子供のように口を開けて笑う男。

明は笑い続ける相手に、ガックリと肩を落とす。


「はぁ・・・何なんだよ・・もうずっと笑ってろよ」


一向に謝罪の言葉を発しない相手を置いていこうと、明は歩くスピードを上げる。


「愛野さん」


ここにきて名字で呼ばた。

今までのトーンとは違う白田の落ち着いた低い声。

明は足を止めて振り向く。

10メートル程離れた場所で4つの袋を手にして立っている白田は、明が振り返るのを確認すると深々と頭を下げた。


「昼間の件、大変申し訳ございませんでした。私の認識不足で愛野さんに酷い言葉を・・・・」


「もういい」


「ですが」


「認識不足も何も、相手がどう思って行動してるかなんて知りようがないんだ」


「知りたいです。愛野さんの事」


「は?」


白田は前へ足を踏み出し、ゆっくりと明の方へ近づく。


「もっと貴方の事が知りたい、もうあんな酷い事を言わないように」


「・・・・・・・」


明の前で足を止める男の表情は、真剣そのもの。

そんな相手に明は喉を引きつらせ、何も言えない。


「もう、愛野さんを傷つけたくない」


白田の視線が、明の包帯を巻かれた右手に落ちる。


「これは、オレが勝手に」


「身体も心も傷つけたくないんです。だから、愛野さんの事沢山教えてください!」


一歩前へ踏み出し距離が縮まる。

少し熱の籠もった男の瞳がぐっと近くなり、明は思わず後ろにのけ反る。


「いやいや・・・なんかお前キャラ変わってない?」


「ほらっ愛野さんもまだ俺の事知らない。俺はこれでも体育会系です」


「知らんがな・・・」


「お互いの事もっと知り合いましょう!だからっ!」


身長180センチ以上の圧をガンガン感じる明。

本当ならばここで男を置いて、家へ全力疾走すれば済む話し。

普段の明ならば、そうするだろう。

だが何故だが、足が動かない。

ミント香る爽やかな男は、今は暑苦しい程の熱気をまとっている。

鬱陶しいこの上ないはずなのに、真っ直ぐぶつけられる感情に不思議と嫌な気持ちが沸かない。


「だから!LINE教えてください!」


「・・・・・・」


ここに来てLINE交換希望。

今日は色々と予想を超えた行動や発言が多い男に、今回は明が振り回された。

明は無言で男の顔をじっと見、やがて何も言わずに背中を向けると自宅に向かって全力で走る。


「ちょっ!!愛野さん!!明!待って!」


夜ご飯を囲む時間帯。

家族団らんの中、外の騒がしさに気づいたある奥様が窓を開けて外を伺うと「LINE教えてください!」と叫ぶ男の声と共に、全力で走り去る男二人の姿。

二人のこの日の出来事は、暫くご近所間で話のネタとなった。



******



愛野宅

台所


8畳程の台所には、四人がけのダイニングテーブルが置かれて小洒落た雰囲気とは皆無。

玄関から続く、長細い廊下の突き当りが台所。

台所までの間に、和室が2つと洗面所の水回りの部屋があった。

外観から見た感じよりも広い家は、女性の気配は皆無。

玄関にはサイズ違いの男物のの靴しかなかった。

そして色んな種類のコンバースの靴が、ディスプレイの様に綺麗に並んでいた。

家に入る時にそれに気がついた白田は、口には出していないが明の好きな物だと頭の中のメモリーに書き込む。


「あぁもう!持って来るなら一言、言えっつ〜の!くそ雅め」


キッチンに立つ白田は、先程から冷蔵庫と格闘している明に苦笑する。

野菜を切り分ける手元は慣れた手付きで、男がよそ見していても間違って包丁で手を切る事はない。

そして明は買ってきた物を冷蔵庫に入れてるのだが、中身が空のはずの冷蔵庫の中は既にパンパンな状態。

数日前から雅の店に置きっぱなしだった食材と、今日買ってきた野菜や肉は入ったものの、牛乳5本がダイニングテーブルに置かれたままで行き先が決まってない。


「無理、入らん。今日一日全部飲み切るか」


「いやいや、流石にお腹壊しちゃうでしょ」


「気合で乗り切る」


真顔で答える明に、白田はぷっと吹き出す。

実は明の気合発言は、今日初めてではない。

「こんなに買って、どうやって持って帰るつもりだったの?」

と白田が聞くと「気合で持って帰る」とこれまた真顔で答えたのだ。

今日一日で、明の新しい顔を沢山見れた気がする。

「もっと貴方の事が知りたい」と伝えた白田に全力で逃げた明だったが、今も運動を欠かせない白田の足は両手に荷物を持っていても明に追いついた。

そのままの勢いで家に上がり込み「ご飯作るから」と押し切り台所に立っている。

シンクに置いてある空のお弁当箱から、お弁当持参派だと知った。

キッチン用品はグレーとオフホワイトで統一されてて、好きな色を知った。

冷蔵庫のホワイトボードのメッセージで、お父さんと2人暮らしだと知った。

そして・・・・・仏間にある写真で、既に母が他界しているのだと知った。

写真に映る女性は明に瓜二つで、雅は母方の弟なんだと知った。

だが・・・LINEはまだ教えてくれない。


ホーロー鍋の中に油をひいて、切った野菜と鳥肉を入れる。

木べらを使って焦がさないように、鍋の中を優しく混ぜる


「何作ってんだ?」


牛乳を入れる事を諦めた明は、白田の隣に立つ。

鍋の中を覗き込む明のつむじに、白田はぐっと胸の奥からこみ上げる何かを堪える。


「ええと・・・クリームシチュー。ほらっ牛乳少しでも消化できるだろ?」


「クリームシチューのルー無いぞ?」


「無くても作れるよ」


「え!?マジで!?」


びっくりした顔で見上げてくる明。

白田は心臓をギュッと掴まれるような衝撃に、明から視線を外す。

今日の私服の明を見た時から、度々動悸が不規則になる時がある。

私服姿の明は、可愛いと思った。

だけどそれは、猫は可愛い、花は綺麗や自然に感じる感覚のようなもので、白田自身はその言葉に裏など無い。

勿論明の事を知りたいと言う感情も、興味があるだけで下心は無い。

なのにだ、明のテリトリーで普段の姿の彼を見ると、甘い疼きが胸の中に広がる。


「どうやって?牛乳ぶちこめばいいのか?」


何かに興味を持った明は、とても可愛いと知った・・・・

そんな新たな発見が、頭の中のメモリーに書き足される。


「明、作り方は後で教えるから。ほらっ出来上がるまで時間かかるから、テレビでも見てゆっくりすれば?じゃないと俺の心臓が持たない」


「はぁ?」


「横でじっと見られると、失敗しそうでさ。だからお願いします愛野さん」


「何だよ〜・・・わぁ〜たよ」


不貞腐れた表情の明は、ブツクサ言いながら廊下へと足を向ける。

あぁまた機嫌を損ねてしまったかなと、白田は少しの後悔。


「白田・・・」


台所の出入り口で足を止める明。

名前を呼ばれて、白田は「ん?」と短い返事を返す。


「ありがとう」


振り向かずに微かに首だけ捻り、それだけ言うと明は完全に台所から姿を消した。

何に対しての「ありがとう」かは定かではないが、白田の心臓に大ダメージを食らわせたのは確かだった。



17へ続く

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