第15話 解放の時

「ふっ、うふふ……くはっ、あははははははははっっ!!――ああ、おかしい!」

 天井を仰ぐ口から甲高い笑い声が響き、爛々とした光がメイドの瞳に宿る。

「そうっ! そうですともっ!! ずっとおかしいと思っておりました! ずっと変だと思っていたのです! わたくしの敬愛する主が、あんなにも素晴らしい御方が、こんなゴロツキ共を屋敷に入れるなぞ!! ああっ、なんておかしいのかしら、なんておかしなことをしていたのかしら、わたくしったら!」

 舞台女優のように高らかに叫んだメイドは、美しいからこそ一層歪になった笑みを紹介状へ向けると、それまでの躊躇いが嘘だったようにあっさりと火へかざした。

 みるみる燃え上がり、黒く変色していく紹介状。

 その様を柔らかな笑みでうっとり眺めては、伝ってくる火が指を舐める前に手を離す。残りが宙を舞いながら燃え尽き、消し炭が床に落ちたなら、黒い靴で踏みつける。執拗に、何度も何度も打ちつける。異様な笑い声を弾ませながら。

「な、なんだ、アイツ……なんなんだよっ!?」

「わ、分かるわけねぇだろ。おいっ、今のうちにガキ連れてずらかるぞ!」

「んーっ!!」

 狂ったようなメイドの動きに狼狽えた一人が叫び、これにより我に返ったもう一人がクレオの襟首を掴む。だが、クレオを縛る縄は椅子ごと巻かれており、どれだけ引っ張っても外れることはない。

「クソッ! 誰だ、椅子に縛りつけた奴は!」

「お前だろうが! もういい、椅子ごと運ぶぞ!」

 悪態をつく男へ、もう一人の男が叫びながら椅子へ手を伸ばす。

「ルクスさん、クレオさんが!」

 メイドの変わり様にばかり気を取られていたヘキサは、形振り構わない男たちのやり取りを見て、咄嗟にルクスを呼んだ。

 しかし、すぐさま反応したのはルクスではなく、

「ぐあっ!?」

「がっ!?」

 男たちそれぞれの足元から蛇腹状の石柱が伸びたかと思えば、バランスを崩した身体を打ちつける。

「クレオさん!」

 先の男ほど飛距離はないにせよ、左右に飛ばされた男たち。その間にいる少年を案じてヘキサがルクスの前へ出ようとしたなら、ふらり、メイドが立ち塞がった。顔にはゾッとするほど艶美で陰惨な笑みを携えて。

 何を考えているのか読めないそれにヘキサは身構える。

 と、メイドはぎこちない動きで礼の形を取った。

「ご安心くださいませ。不届き者は排除致しました」

「え……あの……?」

 男たちとの扱いの差に戸惑えば、メイドの顔が悲しそうな微笑みに変わる。

「不格好な礼しか取れず、申し訳ございません。あの者たちの暴挙を許したために、ところどころ動きが鈍いようでして」

「い、いえ、そうではなくて。どうして、その……」

 どう尋ねたものか。

 ヘキサが適した言葉に迷う中、メイドはゆっくりと首を振る。

 その顔は笑ってはいたが陰りを帯びていた。

「あの者たちが主のサインを持ってきた時、わたくしは本当に嬉しかった……。あの方の姿はなくとも、その存在を感じ取れて。それだけを糧に、主のためを思ってアレらに仕えておりました。……主が厭う類いの者ども分かっていながら」

 相づちも何も必要としていない独白。

 メイドに対する男たちの扱いは、一目見ただけでも酷いモノだったが、それすら彼女にとってはどうでも良いことのようだ。ただ、主の存在が感じ取れるなら他には何もいらない――そう受け取れる話しぶりは、不意にヘキサをその瞳に映した。

 美しい色彩に囚われて息が詰まる。

「けれど、貴方が主の許可を得てくると仰って、気づいたのです」

「何を……?」

 問えば伏せられる瞳。

 知らずヘキサは安堵の息をつくが、拭いきれない不安が心音を急かす。

 現状だけならこんな気持ちになる要素はないはずだ。縛られてはいるがクレオはそこにいて、こちらには傷一つなく、男たちは伸びたまま。

 だというのに、いつでも覆されるような心許なさは何なのか。

(あの石柱が原因……。いいえ、脅威ではありますが、やはり大本は……)

 ヘキサが警戒しようとも意に介さず、メイドは物憂げにため息をつく。

「わたくしはあの時、貴方の言葉を受け入れられなかった。それは何故か、考えることさえ放棄しようとして。……ですが、そこで気づきました。受け入れられなかったのも、放棄しようとしたのも、知っていたからだと。主が、わたくしの愛するあの方が、もう、この世のどこにもいないと……」

 思い耽る沈黙――のち、笑う。

「あの方を尊重しているつもりが、知らず、その生を己の平穏に利用してしまった。恐ろしいことです。愚かで、本当に、くだらない」

 吐き捨てる物言いが絶えず象るのは微笑。だが、どこか泣いているように思えた。

「……貴方は、わたくしに気づきを与えてくださった方。どうぞ、あのお子様をお救いくださいませ。わたくしの過ちゆえにここへ連れ去られ、あのように無体な仕打ちまで。お詫びのしようもございませんが、どうか、然るべき医療機関へ何卒」

 再び礼を取るメイド。

 ヘキサは戸惑いながらも、クレオの元へ駆け寄った。

 降りかかった災厄ゆえか、茫然自失だった少年は近づく影に気づくなり暴れ出した。椅子を浮かせるだけの元気があることにはほっとしつつも、痛ましいまでの怯えように、ヘキサは努めて柔らかい声音で言う。

「落ち着いてください。今、外しますから。お母さんが待っていますよ」

「!」

 聞き入れられた「お母さん」に頷き、言葉を重ねる。

「クレオさん、ですよね? 私はヘキサ。貴方のお母様から、貴方を探すよう頼まれた者です。これから縄を外しますから、少しだけ、動かないでいてください」

 コクリ頷いたクレオを認め、ヘキサは右手にナイフを創ると縄へ押し当てた。クレオの鱗肌でも切れなかった縄は、耐刃加工か魔法が付与されているのか、ただ切るだけでも多少時間がかかりそうだ。

「これはっ、なかなか……。ルクスさん、手伝っていただいても――ルクスさん?」

 どこを比較しても自分より力のあるルクスへ助力を乞うべく、振り向いたヘキサは、その姿がメイドと対峙する位置から少しも動いていないことに今更気づいた。

 ルクスさん――もう一度呼ぼうと開きかけた口。

 しかし声となる直前、音もなく隆起した床がメイド共々ルクスの姿を覆い隠す。

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