第14話 帰らぬ人
「てめぇ、何を!?」
焦る男の声も聞かず、ヘキサの動揺も全く知らない様子で、メイドの目が見開かれても無関心にルクスは続けた。
「そして、貴方とこの屋敷は、クロエルの市長クロウ殿に譲渡されております」
「……ウソ」
「ウソではございません。こちらがその証拠となる譲渡書で」
「ウソです!」
ルクスが懐へ手を入れた途端、金切り声が大広間に響き、視界が揺れる。
ルクスとメイド、自由の利かないクレオを除いた全員が耳を塞いだ。
「では、コレは!? この、紹介状のサインはどうなります!? このインクはつい最近書かれたもの、この筆跡は間違いなくわたくしの主のモノです! わたくしがあの方の筆跡を見間違えるなどありえません!」
(紹介状……ああ、だから彼女は彼らを屋敷に)
聞き取れた内容に疑問の答えを得たヘキサは、音量には頭を抱えながらも、いたたまれない気持ちになる。彼女の主はもういない。となれば指し示すところは一つ。
「偽物でしょうな。筆跡は誰でも閲覧可能な資料の中にありましたから、そこから真似れば可能でしょう。世の中には、それを生業にしている者もいるそうですから」
「い、言いがかりだ!」
食ってかかったのはメイドに近づいていた男だ。
耳へのダメージが残っているのだろう、片目を瞑り耳は塞いだまま、震えるもう一方の手でメイドが取り出した紹介状を指差した。
「これは、本物だ! どう見たってそうだろう!? だ、第一、そんな資料、俺たちが見つけたって証拠でもあんのか!? どこにあるかも知らねぇってのに!!」
「さあ? 貴方がたの行動なぞ知ったことではありませんが……。本物か偽物か、調べる方法は簡単ですよ」
譲渡書を取り出したルクスは、もう一方の手に炎を宿すと近い男へ指を弾く。
「ぁっちぃ!!?」
避けることもできずに炎が当たった男は、大袈裟なくらいに叫び、小さな火が灯る腕を大きく振る。ルクスはメイドの目にその光景が映ったことを確認すると、今度は炎を纏う手で譲渡書を持った。
「これは写しだそうですが燃えることはありません。クロエルでは公文書などの書類には、そういう魔法をかける決まりがあるそうです」
「そのような話は聞いた憶えが」
「ああ、もしかすると以前はなかったのかも知れません。ですが、今は違う。その紹介状が正式な手順で最近書かれた本物であるというなら、決まりに則り、この書類と同じく燃えることはないでしょう。そうでなくとも貴方の元主――失礼、主は、とても頭が良い種族と聞きました。ならば、ご自身の紹介状を何の守りもなく他人に預ける真似はされないのでは?」
ルクスの「元主」発言には憎悪も露わに睨みつけたメイドだが、指摘には反論がないようで、炎が消えても焦げ一つない譲渡書を食い入るように見つめる。
次いで、自身の持つ紹介状へ視線を移しては、もう一方の手の平を上へ向けた。メイドの手に紅く淡く色づいた線が浮かび上がったなら、手の平の中心に色が集まり、小さな火が灯る。
「…………」
だが、メイドにできたのはそこまで。
後は生み出した火に紹介状をかざすだけだというのに、震える目と手は動かない。
火を出した以上、紹介状が偽物かもしれないと疑いはあるはずだが、躊躇っているようだ。それは紹介状を信じたいというよりも、燃え尽きてしまったなら否が応でも認めざるを得ないからだろう。
待ち望んでいた主はもう二度と屋敷に――彼女の元には戻らないということを。
そんなメイドの迷いに対し、焚きつけたはずのルクスは静かに見守るのみ。
星詠みの血筋に主従として接してきたゆえに、この場でメイドの気持ちを一番理解できるのはルクスなのかもしれない。ヘキサもそんなルクスの思いを汲むように、メイドの選択を見守ろうとした。
――しかし。
「くっ、そっ、やっと消えた! 何しやがる、この――何してんだ、このアマ!?」
ルクスの炎を消し去ったタイミングでメイドの姿を捉えた男が、苦しめられた腹いせをぶつけるように拳を大きく振りかぶった。
「あっ!」
危ない、と声を上げかけたヘキサ。
思い起こされるのは、男たちの暴力に容赦なく晒され続けていた、か弱い身の上。
だが、駆け出そうとした身体はルクスの腕に止められ、予想していない動きに勢いづいていた身体が磨かれた床を見たなら、玄関ホールで聞いたものより鈍く、重い音が響いた。
「ルクスさんっ! 何、を……?」
非難する声は、その先を見て尻すぼみになる。
「これは、どういう……?」
ヘキサが描いていたのは、男の拳に殴られ倒れ伏すメイド。
為す術のないその姿。
少し前に見た光景は、そういうものだったはずだ。
しかし今、ヘキサの目に映っているのは……。
メイドの位置も格好も、何一つ変わらない。
目を逸らす前から時が止まったようにそこにいる。
それに引き換え――メイドを殴ろうとした男は、そのすぐ横で白目を剥き、鼻と顎から血を垂らして立っていた。正確には、メイドの足元のすぐ横から伸びる、蛇腹状の石柱に顎を砕かれた状態で、その石柱にもたれるようにして。
「っがは……」
遅れた声は男が生きていることを伝えたが、不意を突かれなくとも強烈と分かる一撃は、その意識を完全に持っていったようだ。
ずるりと男の身体が石柱から落ちかける。
と、その前に艶めかしい動きで床に沈んだ石柱が、支えを失い崩れるだけの身体を横合いから鋭く薙いだ。
勢いのまま激突した身体は壁を崩し、この場にいるほとんどの者が青ざめる。
最中、「……ふふふふふ」と女の笑い声が始まった。
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