さよなら風たちの日々 第9章ー1 (連載27)

狩野晃翔《かのうこうしょう》

第27話


              【1】


時は流れた。時はあれから四つの季節を二度繰り返し、さらに冬と春をそれに加えた。

 四月。人々がようやく重いコートを脱ぎ、心さえも何かに誘われたかのように空に羽ばたかせようとする季節。

 街のいたるところで春の足音が聞かれた。そしてときおり降る雨は牙を失い、あの忌まわしい冬を忘れさせるかのように、優しく大地を濡らすのだった。

 ぼくはその日、400cc単気筒のオートバイに乗って、東京葛飾から南房総に向かって走っていた。

 京葉道路を幕張インターで降り、国道14号を経て16号線に入る。よく舗装されたその道路は片側が三車線ずつあり、中央には太いグリーンベルトが設けられている。

 道路の右側に、延々と続く千葉臨海工業地帯。白と赤に塗り分けられた火力発電所の高層煙突。鈍色にびいろに光るパイプラインが、縦横無尽に張り巡らされた石油化学コンビナート。そんな重工業地帯が行けども行けども続いていて、大型トラックやタンクローリーが道路を数珠繋ぎになって行きかっている。その光景は国道127号線と分岐する木更津まで続くのだ。

 ぼくはその道路をキープレフトで走った。スピードメーターは60km前後で揺れている。急ぐ旅ではない。むやみに飛ばす必要はないのだ。

木更津から先の国道127号線は、片側一車線の狭い道となる。黄色にペイントされたセンターラインがいつまでも続き、対向車線にはみ出ることは禁じられている。だからときどきバスに前を塞がれると、オートバイさえも制限速度以下での走行を余儀なくされることになる。

 ぼくのオートバイの前を、ちょうど路線バスが走っていた。ぼくはしばらくのあいだ、その後ろをゆっくり走った。道路が曲がりくねっているから前方がよく見えず、追い越しは危険なのだ。

 道路が直線になると、必ず対向車が何台か現れる。ぼくはその皮肉に舌打ちしながら、またオートバイをバスの陰に隠す。

 それを何度か繰り返すうちに、やがてバスの停留所が見えてきた。バスは左側のフラッシャーを点滅させ、スピードを緩めた。そしてバスのストップランプが点灯する。ぼくはバックミラーで後方の安全を確認してから、シフトペダルを二回踏み下ろした。

 瞬時に跳ね上がるタコメーターの針。そのままフラッシャーを右に出し、ぼくは再度後方を確認してからオートバイを一気に加速させた。マフラーから単気筒独特の排気音が甲高くなり、オートバイは加速を続ける。これがオートバイの醍醐味だ。風圧も高まり、それもライダーをさらに高揚させるのだ。

 黄色いセンターラインをギリギリでパスしてバスの前に出ると、もうぼくの前をさえぎるものは何もなかった。

 ふと気づくと、まわりの緑も増えている。それが嬉しくてぼくは、ややアクセルを大きく開き気味にして、オートバイを走らせた。

 海だ。もうすぐ、海が見えてくるはずなのだ。


               【2】


 反対車線から、数台のオートバイが走ってきた。ぼくは彼らにピースサインを出すのだが、相手からは返事がない。まだ都会に近いから、恥ずかしいのだろうか。それともぼくのオートバイに、気づかないのだろうか。

 ぼくはオートバイをそのまま走らせた。

 風が心地よい。路面から伝わる振動と、エンジンの鼓動が心地よい。それにも増した、自然の中を走る、その感覚が心地よい。

 

 富津を過ぎると突然、海が見えてきた。短いトンネルを出た直後だったから、それはやはり感動だ。

 その海を右側に見ながら走っていくと、オートバイは館山に入った。道路はそこで、左側の旅館街を縫う形とになる。反対側、つまり海側は高さ1m足らずの低い堤防になっていて、その外側に砂浜が続いている。夏はこのあたり一帯が海水浴客で賑わうのだろう。しかし今はシーズンオフなので人も少なく、ボートが裏返しにされ、その白い船底が甲羅干し状態になっているだけだった。

 その市街地を過ぎると、案内標識が見えてきた。直進すると須崎灯台、左折すると国道128号線経由で和田方面に出ることができるとの指示だ。ぼくはためらわず直進し、須崎灯台までオートバイを走らせた。


 その灯台の下にオートバイを停め、エンジンを切る。

 ヘルメットを脱ぎ、潮の香りを感じながら水平線に目を向けると、沖合いには大型貨物船が今まさに太平洋に出て行こうとしているところだった。

 ぼくは少し歩いた。それから途中の自販機で買った缶コーヒーを取り出し、そのコーヒーで一気に喉をうるおした。

 すこし風が強い。首に巻いたバンダナが、せわしなくぼくの鎖骨を打つ。

 けれどもぼくは、それでも動こうとはせず、そのままの姿勢で海を見ていた。

 海。灯台。オートバイ。飽きることのない風景。

 何時間も何位間もそここにいても、決して退屈しない孤高のひととき。


 オートバイ。あれほど憧れ続け、夢にまで見たオートバイ。高校三年のとき、その魅力のとりこになり、一浪のあと大学二年生になってようやく手に入れたオートバイ。

 父は大学に入ればオートバイを許す、とは言った。しかし大学に入ればオートバイを買ってやるとは言わなかった。だからぼくはアルバイトによってお金を貯め、運転免許証とオートバイを手に入れなければならなかったのだ。

 あのあと、ぼくは何度かは気になる女の子と出会った。しかし実らなかった。ときめく女性は決まって背が低くて華奢で、髪を長く伸ばしている女の子だった。

 ぼくは意識のどこかで、ヒロミに似た女性を追い求めていたのだろうか。





                           《この物語 続きます》



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

さよなら風たちの日々 第9章ー1 (連載27) 狩野晃翔《かのうこうしょう》 @akeey7

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ