第3話

「てっめぇ……!!」

 剣を振り抜いた体制の団長に、俺は力任せに剣を叩きつける。首を狙った一振り。その俺の一撃を団長は、負傷を覚悟した上でか腕で受けてから背後に飛び退った。

「くっ……流石にこの傷で受けるには重いな……。だが厄介な神聖術は潰させてもらった、これで──」

「おい!! 大丈夫か!?」

 剣を構えながら、団長の言葉を遮って俺は横目にウリアに視線を送る。地面に横を向いて倒れたウリアの背中は、大きく縦一文字に切り裂かれていた。

「ごめん、イドリス……。やられちゃった」

「ちょっと待ってろ。さっさと片付けて手当してやるから」

 バッサリと切り裂かれた傷口からは血が止めどなく流れ出して、彼女の服にどんどんと広がっていく。服も大きく引き裂かれ、その隙間から彼女の灰色のはずの翼もこぼれ落ちるように地面に力なく伏せられている。

 可愛いと目を輝かせていた服も、飛び跳ねるくらいに気に入っていたケープも、そして美しい灰色の翼も。そのどれもが彼女の血で赤く染められていく。その全てを踏みにじるかのように、赤い血で汚されていく。

「私は、大丈夫……だから。イドリス、は……大丈夫?」

 震える声で彼女は言った。けどそんなはずがない。あの時、俺の家に落ちてきたときよりも遥かに深く大きな傷を負っているんだ。それなのにどうして、この少女は俺を気遣うような声色で、そんな言葉を口にするのか。

「俺の心配なんかしてる場合じゃねぇだろ!! めちゃくちゃ血だらけじゃねぇか……」

「イドリスが無事なら、良かった……」

「なに、を」

 そう言って少女は笑う。心から安堵したように、自分が背中を斬られ膨大な血を流しているというのに、目の前にいる俺の無事を知って。そんな彼女に、俺は何の言葉もかけられなかった。 

「で、も……。そんなに血、出てるんだ……。お洋服、ダメになっちゃうのは、嫌だな……。せっかくイドリス、が……買ってくれたのに」

 血がどれだけ出ているかなんてのも分からないのに、俺の言葉で初めて気が付くほどなのに。それなのにウリアが悲しそうに言ったのは、そんな言葉だった。

「服なんて気にしてる場合じゃないだろ……。また街に寄ったら買ってやるから、俺が殺す前に死ぬんじゃねぇ」

「ほんと……? ふふ、楽しみ……だな」

「天使なら、その程度では死にはしない」

 冷たい声が俺たちの間に割り込んできて、俺はゆっくりと視線を動かす。そこにいたのは砕けた鎧を真っ赤に染めて、にも関わらずさっきまでと変わらない構えで立つ団長だった。

「……どういう意味だ」

「文字通りの意味だ。天使は神聖武器とは言え、一回斬りつけた程度では死にはしない。元天使でも、それは恐らく変わらないだろう」

 確かに俺の部屋に落ちてきた時に負っていたはずの傷も、一日も経たずに完治していた。だとしたら、この傷もウリアにとっては致命傷ではないのかもしれない。けどそれは、きっと恐らくの次元の話だ。

「ならてめぇをさっさと倒して、それから手当すれば間に合うってことだな」

「まあそうなるな。だが一人で私を倒せるかな? 一撃入れた報酬に教えてやるが、君がその天使と話している間にこの傷も癒えたぞ」

「そう言えば、聞いたことがあるわ……。天使を何人も倒した剣士が、物凄い再生力を持ってたって……」

「ほう、天使まで噂が広がっているとは思わなかったな。それにもう何年も、天使とは手合わせしていないはずだが」

「天使を殺せる人間なん、て……少ないから。だから噂は残りやすいのよ……」

「そうか、覚えておこう。それで? どうするんだ?」

 相変わらずも余裕ぶった表情で、団長は俺に問いかけてくる。それで? どうするかだって? そんなこと、考えるまでもなく決まってる。

「再生するってんなら、首でも落としてそれから潰してやるよ」

「ぜひ試してくれたまえ」

「舐めんじゃねぇ!!」

 一息で距離を詰めて、そのままの勢いで斬りかかる。この広い草原で、しかもお互いに使うのは剣。ウリアの支援もアテにできなくなった以上、下手な小細工は通用しない。小細工が通用しない以上、出来るのは真っ向からの斬り合いだけだ。

 だが剣の腕では遠く及ばず、単純な力も相手の方が上。多少の負傷はすぐに回復し、あれだけの傷もすぐに回復する。俺が奴に勝っている部分なんて、たった一つだけ。

「この速さなら、どうだ……っ!!」

 神聖術を使える。それが俺が唯一、優位に立てていることだ。風のマナを操って、俺は足と腕に纏わせる。ウリアがしていた見様見真似で足元にマナを流し込み、剣を振る腕を風で押す。彼女みたいに上手くなくても、不格好でも構いやしない。

 本来自分が出せる速度を遥かに上回る速度。視界がチカチカと点滅して、限界を超えた挙動に関節が悲鳴を上げる。マナの操作が未熟なせいか、体にかかる負担は計り知れない。だけど、今この男と渡り合うためならば体の限界なぞ知ったことか。

「さっきよりも速くなっているのか。神聖術を身につけるのが随分と早いな」

「それに余裕で追いつくテメェは、なんなんだよ」

「なに、戦い慣れているだけさ」

 何度打ち込んでも手応えがまるでない。文字通りの全速。自分でも信じられないくらいに疾く動いて、自分でも信じられないくらいに鋭く剣を振るう。足を狙い腕を狙い、そしてそれらをフェイントにして首を狙い。だけどその全てをこの男は、容易く防いで見せた。

 剣を振るう腕が重い。大地を駆ける足が鈍い。剣撃の音すらどこか遠くから聞こえてくるような気がする。だけどそれでも、マナの流れだけは今でもハッキリと感じられた。

「時間を稼げばいいと思っていたが、そうも言っていられなさそうだな」

「なら、さっさと終わりにしただろうだ!?」

 出来るものならと、そんな挑発すらこめて叫ぶ。動けている。あの団長を相手についていけている。そんな高揚感が体を満たし、気力が胸の奥から湧き上がってくるのを感じた。このままなら、もしかしてとそう思ってしまった。

「ああ、そうさせてもらう」

 だけど目の前の男は、ただの一言でその全てをふいにする。

「は……?」

 彼が剣を振りかぶったのは分かった。いや、切り払ったことまでは分かったはずだ。だけどそれでどうして、俺の剣がその半ばから消え去っているのか。

 いや、剣を折られたのだ。度重なる戦いで弱まっている部分を的確に狙われた。それを嘆く暇はない。後悔なんてものは切り抜けてからすればいい。今はただ、この剣で出来ることを考えろ。

「悪いが、今度こそ終わりだ」

「まだ終わっちゃ──」

「終わりだよ」

 その言葉と共に団長の剣が翻る。間違いなく、俺の首を寸断する軌道。さっきまで剣の軌道なんてほとんど見えなかったはずなのに、どうしてかその剣はやたらとゆっくりに見えた。

 ──ああ、これが走馬灯ってやつか。静止した時間の中で、そんなことを思う余裕すらあった。避けるのは、間に合わない。俺が背後に飛ぶよりも、あの剣は間違いなく速い。受けるのは、無理だと分かった。この剣は、この男の斬撃に耐えられない。

 淀みなく真っ直ぐに、その剣は真っ直ぐに俺を狙い寸分違わず首を刎ねるだろう。そう思った瞬間、

『ありがとう、イドリス!! 大切にするね!!』

 その瞬間、後ろで倒れ伏している少女の笑顔を思い出した。

 りんごの丸焼きなんて、大して高くもない料理を食べて美味しいと顔をほころばせていた少女。疲れ切った俺の背中に寄り添って、どうしてか幸せそうに微笑んでいた少女。大して高くもない上着を買ってもらっただけで、飛び跳ねるくらいに喜んでいた少女。

 だが黒うさぎのケープも麻のシャツも既に切り裂かれ、今では彼女と一緒に血に沈んでいる。

 怒りが湧いた。自分でも理由の分からない、身を焦がすほどの怒りが胸に灯る。仲間の天使に裏切られ、敵国の中に一人堕とされて、そして唯一持っていた好きな服すらその身と共に切り裂かれて。これ以上、この少女から奪おうというのか。

 最後に残った、自分の命というたった一つのものすらも、この男は奪い取ろうと言うのかと。いずれ少女を殺すと約束した俺は、そんな理不尽な怒りを覚えていた。その約束が、この男としていることと何が違うのかも分からないままに。

「ふざ、けるな……」 

 その言葉を本当に口にしたのかは、自分でも分からなかった。

 怒りで視界が紅く染まる。目の前にあるのは必殺の一撃。避けるのは間に合わず、受けるのも不可能な剣閃。となれば、その剣を振るう大本を断てばいい。 

『こうやるんだよ』

 どこかで聞いたことのある声が聞こえて、そして同時に膨大な情報が脳内に溢れ出した。それはマナだ。あらゆるマナの動きが見える。マナをどう動かせばいいのかが分かる。そして今、自分が何をするべきかがはっきりと分かる。

「てめぇなんかに」

 俺の言葉と共に、風が荒れ狂う。俺はほとんど無意識に、周囲に漂っていた風のマナを無理矢理に掻き集めていた。折れた剣を軸にするように風を抑え込み、剣を鍛えるように圧縮する。イメージするのは、ウリアがやっていた剣を作り出す天使神聖術。

 出来ないとは思わなかった。だって必要な情報は頭の中に全てある。頭の中に響く声が、マナの動かし方を教えてくれる。だとしたら、道筋が見えているのなら後はただ駆け上がるだけだ。

「これ以上、奪わせてたまるかよ!!」

 団長の剣が止まる。受け止めているのは俺の剣ではなく、不思議な白い光の盾だ。今まで一度も、誰にも止められなかった団長の剣が、淡い光の盾に阻まれている。

 だけどそんなものは俺の目には入らない。俺の目に入っているのは、目の前の男の首だけ。折れた剣を振るう。一直線に、その男の首に向けて。しかし彼我の距離は、折れた刃では決して届かぬ彼方にある。

 なので必然、俺が振るった剣は団長の首の遥か手前を素通りして、

「貴様、な──」

 奴がその言葉を言い切る前に、俺の振るった風は団長の胸から上をえぐり取るように切り裂いていた。荒れ狂った暴風が、団長をその血肉諸共吹き飛ばす。まるで突風に触れた落ち葉みたいに、不動に思えた団長の体は丘の向こうへと落ちていった。

「なん、だ……今の」

 自分でも何をしたのかが分からなくて、俺は思わずそう呟く。団長を倒すために、とにかく必死だった。とにかく風のマナを掻き集めて、それを思い切り叩きつけようとしたのは覚えてる。だけど気が付けば俺の手には風の刃が握られていて、そしてそれを見た時に思い出したのは、ウリアの使った剣を生み出す神聖術だった。

 既に手の中に風のマナはなく、周囲を漂っているのは感じられるけど、さっきみたいにハッキリと見ることは出来ない。ただあの瞬間、確かに俺はマナを支配して従わせていた。方向を変えたり、勢いを増すなんてものとは違う。無理矢理に、自分の目的のためにマナの在り様すら変える力。その感覚を俺は思い出そうとして、

「それより……いかねぇと」

 振り返ってから歩き出した。手から剣がこぼれ落ちて地面に地面に落ちる。過ぎた力の代償か、手に全く力が入らない。足もまっすぐに動いてくれなくて、何度もふらつきながら俺はようやくウリアの元にたどり着いた。

「おい、ウリア。起きれるか?」

「ん、イドリス……。無事、だったんだ……」

「ああ。団長は倒した。アレだけの傷だ、もしも再生するにしても時間がかかるはずだ。だから、今のうち……に」

 逃げようと、そう言おうとした瞬間。ぷつんと、自分の中の何かが切れる音がした。膝に力が入らなくなって、俺は無様に地面に倒れ込む。意識はある。だけど俺の体は、どうしたって動いてくれなかった。

「イド、リス……?」

 ウリアの声が、どこか遠くから聞こえる。すぐ近くのはずだ。今さっき、俺は彼女に触れられるくらいに近づいたはず。彼女の呼びかけに答えようとして、だけど声をどうやって出すのかすら今の俺には分からなかった。

「やっぱり怪我を……。って、なに……これ。オドが、ほとんどなくなってる……?」

 自分も大怪我を負っているはずだ。いくら元天使だって、痛みは感じるし流した血がすぐに戻るわけじゃないはず。だけど彼女の声は、俺を心配する色ばかりだった。

「どうしてこんな……。無理に神聖術を使ったって、こんなことになるはずないのに。このままじゃ、イドリスが──」

 死んじゃう。震える声で、そんな言葉が聞こえる。それに、大丈夫だと言いたかった。少し休めば治ると、そんな気休めを返したかった。だけど今の俺にはそんなことすら出来なくて、真っ暗な世界の中で彼女の声だけを聞くしか出来ないまま。

「……ごめん、イドリス。でもこれしか方法が思いつかないの。……だけどもしもこれで私が死んじゃっても、イドリスだけは──」

 そこから先、彼女がなんと言ったのかは聞こえなかった。ただ熱くそして柔らかい感触が唇に触れて、何か熱い雫が頬に当たる。何も見えないのに、何も感じないのに。それが彼女の涙だということだけは、何故だか分かった。

 真っ暗だった世界に光が差し、色がゆっくりと広がっていく。彼女の涙から波紋が広がるように、自分という存在を思い出す。彼女が、俺に触れてくれているのを感じる。唇を通して、なにか熱いものが流れ込んでくるのが分かる。それは空っぽだった俺の胸を満たしていく、命そのものだと思えた。

「イドリス……。イドリス!!」

 彼女の声が聞こえて、俺はゆっくりと目を開く。目の前にあったのは、俺の顔を覗き込んで叫ぶウリアの顔だった。彼女の頬を涙が伝い、俺の頬に落ちる。熱い。火傷してしまいそうなほどに熱い雫が俺の頬を何度も濡らす。

「ウリア……」

 その涙に、俺はそっと手を伸ばす。美しい涙だと思った。だけど彼女の悲しみと引き換えに流されるのなら、きっと何の価値もないと思った。

「イドリス、大丈夫?」

「ああ……。なんとか、お互い死なずに済んだみたい、だな」

「うん……うん!! よかった、イドリス……本当に」

 俺の名を呼んで、ウリアは笑う。やっぱり彼女には笑顔が似合う。だってその笑顔からこぼれる大粒の涙は、さっき見た涙の何倍も美しくて。そして彼女の笑顔は、その更に何倍も綺麗だったから。

「泣くんじゃねぇよ……バカ」

 俺はそう言ってから、上手に出来ているか分からないけど笑った。自然と溢れるままに、今だけはどんな過去もしがらみも関係なく。

 それにウリアもきっと、笑い返してくれたのだと思う。だけど霞む俺も視界は、目の前にいる彼女の表情すら見えなくて。

「けど、悪い。ちょっともうげん、かい……が」

「うん、おやすみイドリス。あとは私が、なんとかするから」

 彼女の言葉の意味も分からないままに。俺は耐えきれず、自分の意識を手放したのだった。

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