第4話
「店員さーん、おかわりー!!」
「注文いいですかー?」
「少々お待ちくださーい!!」
喧々囂々と、そう評するのが相応しい騒がしさ。人々は思い思いにジョッキを傾け、食べて、そして語らう。お酒が入っているからか誰もが大きな声で騒ぐまさしく酒場らしい景色の中で、俺とウリアは情報収集を兼ねて夕食を食べに来ていた。
「いやまあそれ目的ではあるけどよ……。やっぱりマジで騒がしいな、ここは」
「凄いのね……酒場って。人がこんなにたくさんいて、それもこんなに賑やかな場所……私初めて」
なぜか楽しげに周りを見渡しているウリアを見て、俺は内心でため息を吐き出しておく。
昼間に仮眠をとったおかげで、体調はかなり良くなった。起きた時には目の前にウリアの顔があって、寝る前のことを思い出すまで固まることにはなったのだけど……。まあ体が休まったのは確かなのだし、後になってから文句を言っても仕方がない。
「ま、お前からしたら初めてのことだらけだもんな。こういう辛い料理も初めてか?」
俺とウリアの前に置かれているのは、東の国から伝わっていたという赤い木の実を使った肉料理だった。乾燥させて砕いて粉末にして料理にかけると、まるで火を吹きそうになるほど辛くなる。
初めて食べた人は皆一様に驚くことになるのだが、これが不思議とまた食べたくなる味なのだ。最初に食べた時は毒かなにかと思ったのが懐かしい。
「たしかに初めてだけど、そんなに辛いの……?」
「俺は好きだけど、合わない奴には合わないだろうなぁ。味付けはしっかりついてるから、そのまま齧ってもいいしパンと一緒に食べてもいいぞ」
俺が手本を見せるように肉をパンに乗せて食べるのを、ウリアは興味深そうに見ている。それを横目に俺は舌を焼くような辛さを麦酒で流し込み、大きなため息をついた。
「ん、やっぱうめぇ」
「イドリス、凄く美味しそうに食べるのね……」
「実際美味いからな。お前も食べてみろよ」
「うん。パンと一緒に食べるのがいいのよね」
真っ白とは言わないが、今朝食べた黒パンに比べれば焼きたての分柔らかいライ麦パン。それをウリアは手で千切り、それから皿の上に載っていた肉をその上に乗せてからぱくりと、齧りついた。
「ん!! いたひ!!」
ウリアの反応は、まさにてきめんだった。パンと肉を加えたまま目を見開いて、そして椅子から飛び跳ねてしまいそうなくらいに大げさに口元を抑える。
真っ白い肌がみるみるうちに赤くなっていき、それから机の上に置いてあった水に手を伸ばしたウリアは、よっぽど辛かったのかそれを一息で飲み干してしまった。
「はぁ……びっくりしたぁ。舌がまだヒリヒリする……」
「そんなに辛かったか?」
「うん、辛いって言うよりも痛かった……。人って刺激的な食べ物が好きなのね……」
まだ顔が熱いのか、ウリアはパタパタと手のひらで顔を仰ぎながら舌を突き出している。行儀が悪いとは思ったが、この食べ物を初めて食べた人の反応としては定番のものだったからわざと黙っておいた。
「ははっ、まあ慣れてないとそうなるわな。何でも東の国じゃ、これでスープを作ったりもするらしいぜ」
まあ俺も聞いたことがあるだけで、それの料理自体は食べたことがないのだが。
「これをスープに……? 物凄い味になりそうだけど……」
「まあ、めっちゃくちゃ辛いんだろうよ。それよりコレが無理なら、もう少し普通の肉でも食べたらどうだ? もしくは甘いものとかよ」
「甘いもの……。どんなものがあるの?」
首を傾げたウリアは、興味が抑えられないと言った様子で目を輝かせている。天使とは言え、食べ物のことになると食いつきが良くなるのは、まあ同じ生き物だと安心するべきなのだろうか。
そんなことをどこかで考えながら、俺はなんとはなしに店内を見渡す。肉や酒、それに野菜など。周りが頼んでいるのは、ほとんどがそんなものばかりだ。そんな中、離れた席にいる女性が食べているものを見から、俺は店員の声を掛けた。
「すみません、注文良いですか?」
「はい!! 何にいたしましょう」
声を掛けた女性の店員は、元気いっぱいに返事をしてくれる。金色の髪を肩の上辺りで切りそろえて、酒場の制服であろう長いスカートの給仕服を着ている女性。少し前まで棒を持って走り回っていそうな雰囲気の店員に、俺は女性が食べているものを指差しながら尋ねた。
「あの、リンゴの丸焼きってのはいくらですか?」
「あちらはカルコス銅貨一枚です!! ご注文されますか?」
「ああ、お願いします。あとぶどう酒を一杯」
「かしこまりました!!」
店員に小銭をその場で渡し、俺は席に座り直す。ウリアは俺の注文を唖然と聞いていて、それから再び不思議そうに首を傾げた。
「りんごの……丸焼き? りんごを焼くの?」
「ああ。もしかしてこれも食べたことないのか? りんごは焼くと甘さが増して美味しいんだよ。伝統的な料理だぜ、少なくともこっちではな」
まあ由来としては、旅人がうっかり焚き火の中にリンゴを落としてしまって、苦労して拾い上げたものを食べたら美味しかった。というのが元という噂もあるくらいなので、天使の世界で知られてしないのも無理はない。
「へぇ……。果物を焼くのって、あんまりイメージがなかったから」
「ああ、まあそうだろうな。共和国発祥だから、もしかしたら帝国じゃ食べられないかもな」
「そっか……。それで頼んでくれたんだ。優しいのね、イドリス」
「は? 偶然だっての。そもそも向こうに行ったら、そんな暇があるかなんて──」
「お客様、もしかして帝国に向かうんですか?」
分からないと、そう言おうとした俺の言葉は、突然後ろから掛けられた声に遮られていた。振り返れば俺が先程注文したぶどう酒を手に持った、金髪の店員が立っている。その店員は、俺がその問いかけに頷くよりも前にそのぶどう酒を机に置きながらそっと耳打ちをしてくれる。
「実は帝国は少しキナ臭いことになっているみたいですよ。なんでも、国境で小競り合いがあって今は関所から先は商人でも通れなくなってるとか」
「……へぇ、どこでそれを?」
「そこはそれ、企業秘密ってやつです。詳しい話、聞きたいですか?」
「是非ともお願いしたいところですね。もし休憩が近いなら、少しご一緒しませんか?」
俺はポケットから銀貨を一枚取り出して、さり気なく机の上に置く。それをチラリと見た店員さんは、しかしすぐには動かなくて。
「そうですねぇ……。マスターに言えば早めに取らせてくれるかもしれませんけど、最近はこのお店も経営が厳しくってですね? マスターも厳しいんですよねぇ……」
「なるほど。それじゃ追加で麦酒を二つと豚の塩焼きの盛り合わせでも頼みましょうか」
「はい、まいどあり!!」
追加で置いた料理の分のお金を店員は素早く手にとって、それからぶどう酒を置いてからカウンターに一度戻っていく。それから何事かをマスターに話をしてから、身につけていたエプロンを外してこちらに戻ってきた。
「えっと……イドリス?」
「あー、情報提供してもらうんだよ。酒場で注文する時に金を渡したのも、こういうやり取りのためだ」
まあ実は情報提供だけではなく、一晩を買い取ったりにも使われていた名残なのだが、そんなことはこの少女が知る必要はないことだ。見れば流石の手際で椅子と麦酒を持ってきた店員は、俺の隣に椅子を置いてから当たり前みたいにそこに座った。
「いやぁどうも、ごちそうさまです。あ、私はジズって言います。気軽にジズで良いですよ?」
気さくにジズと名乗った少女は、待ちきれないとばかりに手に持った麦酒をこちらに向けてくる。それに俺も合わせるようにして、先程頼んだ葡萄酒のジョッキを軽く合わせて、木が鳴る音を店内に響かせた。
「よろしく、ジズさん。俺はイドリスで、こっちがウリア。あー……まあ腐れ縁というか、ひょんなことから一緒に旅をすることになりまして」
「そうなの。よろしく、ジズ」
「どうもよろしく。あと、事情は詮索しないつもりなんでご安心ください。旅人さんは皆それぞれ事情を抱えているものですから。まあ、こんなべっぴんさんと旅なんて……ただ事じゃないんでしょうけどねぇ」
「はは、まあ」
下手に否定すると怪しまれると、俺はただ話を愛想笑いで受け流した。こういう腹芸は得意とは言い難いが、警備隊の中で上手く立ち回ることに比べれば百倍はマシだ。
「それで、さっきの話なんですけど」
「ああ、はいはい。確か三日前……でしたかね。帝国の連中が国境に兵を集めているって噂が流れたんです。それ自体は珍しいことじゃなかったんですが、それに出てきたのがいつもの警備隊さんじゃなくて、騎士団だったんですよ」
「三日前……。それに騎士団だって?」
おかしい。国境でのいざこざなら、違う警備隊の管轄とは言えまずは俺たちに話が来るはず。なのにそれすらなく、更には騎士団が乗り出してくるなど本来ならばありえない。
「ええ、おかしいでしょ? それで何かあるかなと見張っていたら、昨日いざこざがありましてね。なんでも東にあるブエルの町が半壊して、更にはこの先にある国境で小競り合いが起きたらしいんです」
「そ、それってもしかして……」
「お前は黙ってろ」
言うまでもなく、ブエルの町が半壊したのは俺達のせいだ。だけど少なくとも町の噂では帝国の仕業となっている……ということなのだろう。まあ国に落ちてきた天使がやりましたと噂が広まれば、たちまちパニックが起きるのは目に見えているし妥当ではあるが。
「おや、なにかご存知なんですか?」
好奇心を隠しきれない表情で、ジズは俺とウリアの二人を見比べる。元々噂話が好きでなければこんな情報屋紛いなことなんて出来ないだろうから、まあ彼女の性分なのだろう。とは言え、余計な情報を伝えて上げる必要もないと、俺はハッキリと首を横に振ってから応える。
「いえいえまさか。私たちもブエルの町の噂だけは聞いたことがあっただけですよ。ただまさか往来が止まってるとは……」
何かが繋がっているのだろうか、それともただの偶然か。あるとしたら帝国側。というよりもウリアを狙っていた天使側に何かしらの意図があると見るべきだとは思うが、そこから先はさっぱりだった。
「そうですねぇ。まあ小競り合いとは言っても、騎士団の方々があっさりと片付けたみたいですが。もしかしたら帝国の兵士が入り込んでいるかもと警戒しているみたいです。ブエルの町みたいなことになったら、たまったものではないですからね」
「なるほど。それじゃ、商人の人たちなんかは大変なんじゃ? 向こうに仕入先があったり、逆に向こうに売る商品の流れが滞ってしまうでしょう」
小競り合いを繰り返している帝国と共和国。しかし商人にとっては、金さえ儲かるのならば国家の理念なんてどうでもいいという人間も少なくない。実際、俺も兵士をやっておきながらどうでもいいと思っているし、何より物や情報を行き来させてくれる商人の存在はありがたいものだ。
少なくとも遠方の国々との商売をやり取りしている商人が居なければ、この辛い肉料理は食べられなかったわけなのだから。
「あー、そうですね。なので今この町では商品の値段の上下が激しいんですよ」
「そうなの? 帝国に行けるようになるまで、待ってればいいんじゃない?」
「あはは、そうできたらいいんですけどね。それじゃ商人の方々が餓死してしまいますよ」
ウリアの無邪気な態度に毒を抜かれたのか、ジズは鋭かった目を和らげて楽しげに微笑んだ。それから常識がないウリアに教えるように人差し指を立てながら、得意げにそれよゆらゆらと動かしながら話始める。
「商人の人も、今日食べるものを買うお金は必要でしょう? とは言え商品を食べるわけにもいきません。大体の商人の人は、同じものばかり買いますからね」
「そうなの? いろいろなものを買っておけば、旅しながらでも困らなさそうだけど」
「一気に買ったほうが安く済むんですよ。それに同じものなら運ぶ時に気を付けることも少なくて済むし、いい事づくしだと。まあ商人さんの受け売りですがね」
へぇ……。と興味深そうに頷くウリア。普通に生きていたらこれくらいのことは分かりそうなものだが、やはりウリアには常識というものが少々欠けているらしい。
まあそれは今までの旅で分かっていたのだが、初対面のジズはそうはいなかい。目を輝かせて頷くウリアに、ジズは問われるままに答えを返していく。
「例えばですけど、今の町では保存が利かない食べ物を売る商人が多くって、食べ物の相場は下落し始めています。反対に鉄や布などに変える商人が多くって、そちらは高くなっているんですがね」
「……へぇ。食べ物の相場、下落してるんですね。さっき売上が厳しいとか言ってましたけど……仕入れ値が下がって売る値段がそのままだと、儲かるんじゃないですかね」
「あっ」
ウリアとジズ。二人が話している間に俺はようやく割り込んだ。
その俺の言葉に、流石にしまったと、そう思ったのだろう。ジズは慌てて口を抑えてみるけれど、出してしまった言葉はもう飲み込めない。まあ俺がその情報を知らなかったから、足元を見られたと言うだけの話ではあるけれど、流石にバツは悪いだろう。
「まあいいです、別に騒ぎ立てたりはしないですよ。勉強料と思いましょう」
「あはは……。寛大でありがたいですね」
「騙された方が悪いんですからね。ただもしよかったら、勉強ついでに一つ教えてもらいたいことがあるんですが?」
弱みを先に見せたのはそっちだと、俺は苦笑を固まらせているジズの耳元まで顔を寄せてから言う。
「国境を抜ける方法……知ってるんだろ? 一部の商人の人が使っている道とか。それを教えてくれるだけでいいんだが」
「そっ、それは……」
顔を離すと、ジズは強張らせた顔で何かを考え込んでいるようだった。こういうタイプは単純に損得で動く。そして俺たちが彼女から聞いた情報は、お店が傾いたりは流石にしないだろうが、彼女が漏らしたと知られればマスターにいい思いをされないのは間違いないだろう。
そして幸い周りで俺たちの会話を聞いていた人は居ないようだが、俺が言いふらせば話は違う。
「別に言いふらそうってわけじゃねぇさ。俺たちが、二人だけで使うだけだ。それを教えてくれたらさっきの話は黙ってるさ」
「うーん……いやでもこの話は……」
「それじゃ、また追加で注文するからそれでどうだ?」
「……はぁ、分かりました。ただ絶対に、私が教えたって言わないでくださいよ? 口止めされてるんですから」
「ああ、もちろん約束する。っと、ちょうど料理も来たみたいだな」
他の店員が器用にも豚肉やりんごが載った皿を何枚も持ってきて、そして机の上に並べていく。その最中、その店員が頑張れとでも言うように、ジズの肩を軽く叩いていたのがなんとなく目についた。
「それじゃ改めて食べるとするか。ほら、ウリア」
「ありがと……。でもいいの? 丸々私が貰っても」
「いいんだよ。大手柄だったんだから」
「おお、てがら……?」
俺の言葉の意味が分からなかったのか、ウリアは小さく首を傾げてから、だけど疑問よりも食欲が勝ったのかリンゴの丸焼きにナイフを入れ始めた。程よくオーブンで焼き上げられたリンゴは、切った傍から美味しそうな果汁が溢れ出てきていて、見ているこちらまで食欲が刺激される。
「あ、美味しい……。リンゴって焼くとこんなに甘くなるのね」
「はは、だろ? それじゃゆっくり食べててくれ。もし足りないようだったら、もう一個注文してもいいからな」
「本当に!? やった。ありがとう、イドリス」
ウリアはそう言うと、夢中で皿の上のリンゴを切り分けて口に運んでいく。それをチラリと見てから俺は、ジズの方に向き直って口を開いた。
「んじゃ、こっちはゆっくり肉でも食べながら道でも教えてもらうとするか。それでいいだろ?」
「まあ、教えるって言っちゃっいましたからねぇ……。それじゃ一度しか言わないので、聞き逃さないでくださいね。まずはですね、西に少し戻ったところにある森の……」
騒がしい酒場で、俺は彼女の話を聞き逃さないように慎重に聞いていく。彼女の教えてくれた道筋は、到底一人ではたどり着かなかったであろう複雑さで。細かい道順を聞き返しながら国境への道を聞き終わった頃には、結局ウリアは追加で注文したリンゴまで食べ終わってしまっていたのだった。
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