第2話

 それから歩いていたのは、二時間くらいだろうか。シトリーの町に俺たちがたどり着く頃にはとっくに日は昇りきっていて、既に人々は畑に出て朝露に濡れた作物の手入れをしているのが見えた。

 石が敷き詰められた広い街道と高い壁。一見すると物々しいその壁は、ここが帝国に最も近い共和国の街であり、かつての最前線。そして今となっては交易の要所だからだ。俺も詳しいわけではないが、近くの森に源流のある川が街の中心に流れていて、そこを中心に発展してきた街らしい。

「ねぇイドリス。ここがその町なの?」

「見れば分かるだろ。とりあえずは食料と……情報収集だな。まだ昨日の騒動は知れ渡ってないはずだけど……」

 街に入ると騒ぎが起きている様子はなく、見た限りでは穏やかな町の日常が目の前では流れている。まあこれだけ離れている町なのだ。もしも事件の知らせが出回るとしても今日の夜か明日あたりになるはず。そう当たりをつけて、俺達は正面から堂々と町に入っていった。

 入り口に立っていた衛兵は、普段見ない俺たちの顔をチラリと見ただけで、近寄ってすら来ない。それに俺はホッと内心で胸を撫で下ろしてから、隣でフードを被ったまま身を固くしているウリアの方と顔を見合わせた。

「平気……みたいだな」

「よかったぁ……。変に思われてないかな、私」

「旅人なら、見た目を隠す格好をしてるのなんて普通だからな。女子供なんかは特にだ」

 まあ俺自身が旅をするのは初めてなのだが、それくらいは常識として知っている。だけどそんな当たり前のことにも、ウリアは感心したように目を輝かせているのだから、正直に言ってやり難いことこの上ない。

「そうなんだ……。ふふっ、イドリスって物知りなのね」

「これくらいは一般常識だ。それより宿屋はどこだったかな……」

 仕事で来るときは宿屋なんて使わないから場所が分からない。まあ大体は町の中心にあるはずだと、俺達は道なりに進んでいく。周囲の人たちは、普段見かけない俺たちに一瞬だけ視線を送ってくるが、その殆どは一瞥するだけだ。

 このご時世、旅人は多いわけではないが居なくなったわけでもない。行商人も居るのだから、余所者と言うだけで怪しまれることはないのだろうが。それでも気になってしまうのは、自分たちがあの事件の張本人だからなのだろう。

「あ、ねぇイドリス。あれはなに?」

「あ? 市場だろ。みんなが採れたものとか作ったものを持ち寄って、売り買いをする場所だ」

「へぇ……。ってイドリス、お金あるの?」

「少しだけどな。まあ宿代と飯代に困らない程度には貯金しててよかった」

 急に任務で遠出をすることになってもいいようにと、金や装備品をまとめておいたのは幸いだった。あとお金があるのは特に使いたいことがなかっただけなのだが、まあ言わないでもいいことは言わなければいい。

「そっか、よかった……。私、お金って全然持ってないから」

「だろうな」

 そもそも俺の家に堕ちてきた時は、それこそドレス一枚だけだったのだ。あれで何かを隠し持っていたと言われたほうが驚く。

「ってか、お前らの世界ってお金とかあるのか?」

「うん、あるわよ。マナと金を混ぜ合わせて鋳造した金貨なんだけど……ここでは使えそうにないかな」

「そりゃそうだ。まあ期待してなかったから気にすんな」

「そう……」

 どこかしょんぼりと目線を下げるウリア。それを一瞬だけ横目に見て、

「おい、あったぞ」

 ちょうどウリアの向こう側にあった宿屋を俺は指差していた。

「え?」

「宿屋だ。あそこに」

 ベッドの紋様を刻まれた木の看板。それが宿屋を示しているというのは、帝国でも共和国でも共通だ。まあそれをウリアが知っているかは分からないが、あのマークを見れば彼女でも察しはつくだろう。

「あ、本当……。気が付かなかった」

「はぁ……本当かよ。お前、宿屋のマーク知ってたのか?」

「……もしかして、イドリスって私のこといじめて楽しんでない?」

「はっ、ようやく気が付いたのかよ」

「あっ、酷い!! やっぱりわざとだったんだ」

「お前がいつもぼんやりしてるのが悪いんだ」

 苦情を騒ぎ立てるウリアを無視して、俺は宿屋に入っていく。木の両開きの扉を開いて建物の中に入ると、朝から客が来るなんて思っていなかったのか、部屋を掃除していた女性が顔を上げた。

「あら、いらっしゃい。もしかして、ご宿泊ですか?」

 慌てた様子でバタバタと箒を壁に立てかけてから、女性はこちらに近づいてくる。俺よりも、恐らく十以上は年上であろう女性に、俺は余所行きの笑顔を作って口を開いた。

「はい。朝早くから申し訳ないんですけど、歩き通しでくたくたでして……」

「ああはい、もちろん今からでも大丈夫ですよ。部屋を二つならプラタ銀貨二枚。一つでいいなら、カルコス銅貨八枚ですけど……」

「なるほど。それなら……」

 一人部屋を二つでと、そう言おうとした俺は、ウリアに袖を引かれて振り返る。

「なんだ?」

「ええと、今のって一部屋なら安い……ってことよね」

「ああ、そうだな。まあ大体……夕食二回分くらいの違いはある」

「それなら……」

 ほんの少しだけ何かを考えるように頬に人差し指を当てて、

「あ、部屋は一つで大丈夫です。そのほうが安いんですよね?」

 俺の意見なんて聞きもせず、ウリアはまるで当然のようにそう言った。

「は? おい、ちょっとお前」

「ああはい、一部屋ですね。それじゃいまご案内します」

「え、あの」

「ほら、行きましょイドリス」

 何故か俺の静止をウリアも宿の店主も無視して、話が勝手に進んでいく。確かにお金に余裕があるわけではないし、安く済ませられるのならそれに越したことはない。だけど仇相手とは言え、こんな見た目の少女と同じ部屋で寝るのは流石に抵抗がある。

 別にこいつのことを殊更に意識しているわけではないが、しかし俺にも常識というものくらいはあるのだ。男女はそもそも別々の部屋で寝るもの、それが当たり前というだけ。

「やっぱり部屋は別々で……っておい、無視すんな!!」

 そんな理論武装を頭の中で固めている間に、何故かウリアと店員の二人は俺の声なんて聞こえてないかのように歩き始めてしまっていて。俺はそれを慌てて追いかけるしか出来なかった。

「ではこちらのお部屋でどうぞ。お金などは身につけて貰えれば、荷物を置いて市場にでも行ってお買い物をしてもらっても大丈夫です。あとは……夜遅くになったら、あまり騒がないでくだされば」

「分かりました。ありがとうございます」

「あ、ありがとうございます」

「それではごゆっくり。なにか御用があったら下にいるのでお声掛けください」

 バタンと扉が閉じられて、俺たちは唖然と立ち尽くす。いや正確には立ち尽くしているのは俺だけで、ウリアは楽しげに部屋を見渡したり窓を開けてみたりしているのだけど。

「わぁ……。見て見てイドリス。ここからもさっきの市場見えるみたい!!」

 ウリアがこちらを振り返り、それから俺を見て首をかしげる。そのキョトンとした表情は、俺が何に唖然としているのか本当に分かっていないように見えて。それを見ていると、俺だけが無駄に気にし過ぎてしまっているのだろうかと、そう思いかける。

「そりゃよかったな。……ってそんなことより、なんで一部屋でいいとか言ってるんだよ、お前は……」

 まあ思いかけるだけなので、ため息を吐き出してそう口にするのだけど。

「え? だ、だってその方が安いしイドリスも助かるかなって思って……」

「いや確かに安いほうがいいはいいけど。同じ部屋で寝るんだぞ?」

「ええ、分かってるけど……。何も問題ないでしょ?」

「……はぁ。まあお前が平気ならいいけどよ……」

 ここで俺が何が問題かを教えるのなんて馬鹿らしいし、それに流石に恥ずかしい。せめてもの反抗として大きなため息を吐き出してから、俺はまだ首を傾げたままのウリアを放っておいて荷物を整理し始めた。

 買い物に必要な貴重品だけを持ち、剣を腰に差す。国境警備隊の装備は、もしも昨日の事件が知れ渡った時に目立つからと外して。傭兵か元兵士の旅人か何かに見えるようにと、軍服の上着も脱いでおいた。

「とりあえずこんなところか。お前の方は……」

 相変わらず真っ白いドレスの上に外套を羽織っただけのウリアを見る。別に今のままでも支障自体はないかもしれないが、室内でもずっと外套を背負ったままというのは少し苦しいものがある。それならばと、

「……お前の着替えも市場で仕入れないとだな。いつまでもそんな目立つ格好をしておくわけにもいかないし」

「えっと……これ、そんなに目立つ……?」

「めちゃくちゃ目立つ。ってか、天使の世界ではそんな格好が当たり前なのか?」

 やたらと生地は薄いし丈も短い。正直に言ってその辺りの女性が着ていたら、どこの娼婦かと思うくらいだ。ただウリアの場合は、本人の子供みたいなあどけなさのおかげでそんな気は起きないのに、息を呑むほどの美しさのおかげで不思議と似合っているだけ。

 とは言え、こんな少女が町中を歩いていたら男だろうと女だろうと思わず振り向いてしまうのは明らかで。いずれ来るであろう追手から逃げ隠れしなければならない俺たちには、余計な障害を増やすだけなのは明らかだった。

「うん。みんなこういう格好だから、疑問に思ったこともなかったんだけど……」

「へぇ……。まあいいや、とりあえずお前の服も買うぞ。町人向けの服ならそう高くもないしな」

 頭巾みたいなものでも被らせれば、その髪の色も誤魔化せるだろうと。そんなことを考えながら俺がそう言って顔を上げると、ウリアは元より大きな目をまん丸に輝かせていた。

「服……買ってくれるの?」

「他に誰の服を買うんだよ。室内でもそのブカブカの外套を引きずって歩くわけにもいかないだろ?」

「町の人たちみたいな服を、イドリスが私に?」

「じゃねーと意味ねぇだろ。あと、俺が買うのは仕方なくだからな。お前が金持ってたら絶対に自分で出させてる」

 なんとなく、俺は最後にそんな嫌味を付け加えてから、扉を開けて歩き出した。そうじゃないと、まるで贈り物を喜ぶ子供みたいなウリアの微笑みに、見惚れてしまいそうだったから。

「ふふっ、それでもいいの。わぁ……どんな服にしようかなぁ」

「言っとくけど、最低限のものだからな。金も余裕があるわけじゃねぇんだ」

「もちろん、安いものにするつもりよ。イドリスに負担はかけたくないもん。……あ、でもあとひとつだけ、欲しいものがあるんだけど……」

 俺が振り返ると、上目遣いにこちらを見るウリアの空色の瞳が目に入る。その瞳に、俺は盛大なため息を吐き出しながら口を開いた。

「……はぁ。言ってみろ」

「その……紙とペンが欲しいの。出来れば、日記を書きたくて……」

「日記だ……?」

 この非常事態に、彼女は何を言っているのだろう。そもそも日記を何日もつけるほど長い旅にするつもりはないのだがと、そう言いそうになって。

「……書けりゃいいんだよな? 真っ白な紙って訳にはいかねぇぞ」

 だがこれから死にゆく旅を歩む彼女には、きっと何かを書き残す権利くらいはあると思ったから。だから俺は頭を掻きながら、彼女から目を逸らしてそう言った。そんな俺の言葉に、ウリアはゆっくりと顔を綻ばせていく。

「それって、もしかして……」

「ああ、買ってやる。代わりに服の後だからな?」

「ありがとう、イドリス!!」

「はぁ……。礼はいいからさっさとついてこい」

 後ろを着いてくるウリアは今にも鼻歌を歌いだしそうなほどにご機嫌で、振り返ったらきっと満面の笑みがあるんだろうなと思ったけど、だからこそ振り返りはしなかった。

 宿屋を出て市場に向かう。出る時に宿屋の店主が俺達を見て微笑んでいた気がするが、きっと気の所為だとあえて無視した。町の人通りは、宿に入る前よりも少し増えているようで、市場は特に賑わっているようだ。

 川に掛かった木橋を超えて、俺達は市場に入っていく。静かに流れる川の清流は太陽を反射して煌めいていて、それにまたウリアが目を取られてしまったせいで少し時間がかかってしまった。

「人がこんなにたくさん……。みんなお買い物に来てるの?」

 外套の下で不思議そうな顔をしたウリアは、首を傾げながらこちらを見てくる。その顔に俺は悪態をつこうとして、しかしその川の水を閉じ込めたみたいなまんまるの目で見つめられると言葉が出てこなくて。俺は仕方なくため息を吐き出しながら口を開いた。

「……あー、まあそれだけじゃないだろうけど、大体はそうだろうな。食べ物も日用品も、大体は市場で買ってるだろうし」

「そうなんだ……。あっ、ねぇイドリス。お洋服、あそこで売ってるみたい」

「あっ、おい勝手に手繋ぐんじゃねぇ。引っ張らなくたって行くっての」

 手を引くウリアに文句を言いながら、結局俺は店の前まで連れてこられていた。露天や出店も多い中で、ちゃんとした建物に店を構えているところを見る限りでは、それなりにしっかりとした店なのだろう。

「ほら、入るぞ。あと手離せ」

「あっ、うん。……わぁ、こんなにいっぱい服があるなんて……」

「いらっしゃいませ。お似合いのお召し物がきっと見つかる、カランド衣類店へようこそ。私はその……か、看板娘のヨナです」

 店内に入った俺たちを迎えたのは、年若い女性の店員……いや、自称看板娘だった。見た限りでは、俺とあまり変わらないくらいだろうか。茶色い髪を肩の辺りで切り揃え、ゆったりとした長いスカートを着ているその姿は、まさしく看板娘に相応しい。

「ああ、どうも。女性向けの衣類を一式探しているんですが……」

「女性向け……。お連れ様のものですか?」

 ちらりと、ヨナがウリアの方を見る。外套を着たままなのを問いたださないのは、接客を心得ている証拠だろう。その視線を受けて、ウリアはどうするべきかを伺うように俺の方を上目遣いに見上げてきた。

「ええ、そうです。……あー、脱いで良いぞ」

「よかった……。このまま服を選べって言われたどうしようかと思った」

「わぁ……綺麗……」

 フードを取ったウリアの顔を見て、ヨナがため息をこぼす。まあ初めてウリアの素顔を見たら誰でもそうなる。しばらく息を呑むように動かなかったヨナは、数秒してから我に返ったように口を開いた。

「あっ、すみません。思わず見惚れてしまって……。ええと、こちらの方に似合うお召し物……ですよね」

「はい。あー……色々あって、家から持ち出せたのが今着ているものだけで。出来ればカルコス銅貨六枚分くらいで、それぞれ二つくらい用意してもらえると助かるんですが……」

「私は出来れば可愛いのがいいんだけど……」

「お前は黙ってろ。……あ、それで、どうですかね」

 俺がそう尋ねると、ヨナは楽しそうに両手を合わせて、

「ええっ、もちろん。出来るだけ素敵で可愛いお洋服を見繕いますね」

 踊るように軽やかな口調でそう言って微笑んでくれた。

「本当?」

「ええ、もちろんです。私の腕にかけて……ええと」

「あ、ウリアです。それで、あの人がイドリス」

「ありがとうございます。ええ、私の腕にかけてでも、ウリア様に似合うお洋服を探してみせますので!!」

 職人冥利に尽きる、とでも言うのだろうか。やる気に満ち溢れたヨナは、ウリアと手を取り合って頷いている。こうなったらもう、俺の出る幕はない。とは言えお金を持っているのも俺だけなのだからと、俺は店の隅っこに寄りかかって買い物を待つしか出来なかった。

「こちらのブラウスは如何でしょうか。ウリア様の髪には劣りますが、清楚な白い生地はお似合いかと……。これならきっと、王宮の晩餐会に出ても引けを取らないはずです!!」

「そ、そうかな……? あっ、でも今日は普通の服が欲しいの。あまり目立つと、イドリスに怒られちゃうから……。髪も出来ればあまり出ないような服で。その、旅をしていく間は危ないからって……」

 チラリとこちらを見るウリアに、俺は呆れながら頷く。

「……そう、ですか。いえ、確かに旅をするのであればそんなに美しい髪を晒して歩くのは危険ですし、仕方ありません。旅にも耐えて、かつウリア様にお似合いとなると……」

 いくつもの服を取り出しては、これでもない、これでもないと首を振って片付けていく。ウリアも周りを見渡して気になる服を探しているみたいだが、どうにも決め手に欠けるのかヨナと似たようなものだ。

「丈夫さを重視するのであれば、やはり麻になるのですが……。あっ、そうだ。これなんかは如何でしょう!!」

 そう言ってヨナが取り出したのは、一見するとシンプルな薄明るい茶色のシャツとスカートだった。俺からしてもシンプル過ぎないかと、一瞬そう思ってしまい。しかし広げたその服に編み込まれた精巧な刺繍を見て、俺は小さく目を見開いていた。

「わぁ……可愛い!!」

「でしょう? こちらのシャツとスカートはセットですが、他にも色々と合わせられると思うんです。例えば、そうですね……。肌寒い時などはこちらの黒うさぎの毛皮のケープを羽織っていただいても、お似合いかと思いますよ」

 よくもまあそんなにスラスラと言葉が出てくるなと感心してしまうが、確かにヨナが言っていることは門外漢の俺からしても納得できるものだ。確かにこれから先、冷え込む夜などに備えて上着などがあるに越したことはない。

「でも、毛皮なんて高いだろ。買える範囲なのか?」

「あー……。まあその、少しだけ予算は超えてしまいますが……」

「えっ、そうなの? 確かにとても素敵だけど、高いなら……」

 見るからにしょんぼりと、ウリアは肩を落として渡されたケープを戻そうとする。毛皮、しかもうさぎとなれば本来なら銀貨一枚でも買えるか怪しいものだ。そこまで手を出す余裕は、流石にない。ないのだが。

「……良い毛皮だな。具体的に、どれくらいするんですか? このケープは」

 俺はその上着を横から奪い取って、ヨナにそう尋ねていた。

「あっ、ええとその……。全て併せてプラタ銀貨一枚とカルコス銅貨二枚まではなんとか……」

「全部併せて……か」

「はい……。これが精一杯でして……」

「わっ、私はその……。他のお洋服でも……」

 申し訳無さそうに頭を下げるヨナと、他の洋服に視線を移そうとするウリア。そんな二人に俺は、上着をウリアに差し出しながら言う。

「いや、これでいい。銀貨一枚と銅貨二枚なら、まあかなりいい買い物だろ」

「え、いいの……?」

 信じられないと、そんな目をしたウリアが俺を見上げる。それに俺はバツの悪さを隠すように髪を掻きながら、小さな舌打ちを返した。

「チッ、良いって言ってるだろ。まああれだ、浮いた宿代の分もあるし。後々のことを考えるなら、上着ぐらいはあったほうが……」

「ありがとう、イドリス!! 大切にするね!!」

 その俺の言葉は、抱き着いてきたウリアに邪魔されて最後まで続かなかった。

「ちょ、急に抱き着くな!! あと、寒い時に羽織るために買うんだから、ちゃんと扱えよな!?」

「ふふっ、もちろん分かってる。よかった、イドリスが優しくて」

「ええ、よかったですねウリア様」

「はぁ……。勝手にしろ」

 何故か二人にバカにされてる用な気がして、俺は思わず大きなため息をこぼしていた。まあこれ自体が甘い自分に対する負け惜しみみたいなものだと、自分でもわかっていたのだが。

 俺の言葉に揃って笑みを返してきた二人に俺は、今度こそ何も言えずただ大きなため息を吐き出したのだった。

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