第3話 扉の向こうの住人

 それからというもの、ミリルはこれまでより積極的に、扉の向こうへの接触を試みるようになった。


 より大きな声をかけてみたり、扉を叩いてみたり。

 向こう側にいる人からの反応はなかったが、そんなのは、些細なことだった。

 胸の内に沸き上がる、未知に対する高揚感が、ミリルのことを満たしていたからだ。


 そして今日も、両親が出かけたのを見計らって、地下室の扉に近づいたそのときだった。


「……誰かいるの?」


 ミリルはその身を強張らせた。


(声が聞こえた!)


 これまで聞こえていた、不鮮明なものではない。

 はっきりとした言葉だった。


 叫ぶような、大きな声ではなかった。

 それはつまり、今この扉を隔てたすぐそこに、誰かがいるということだ。


 待ち望んでいた未知との接触。

 しかし、ミリルの中にあったのは、恐怖心だった。


 今声をかければ、会話できるかもしれない。

 だが、そんなことをしてもいいのだろうか。


 両親からは地下室の扉には近づくなと、毎日のように言われている。

 この扉の向こうには、怖いことがあるからと。


 両親の言うとおりならば、この声の主こそが、その怖いことの正体なのではないだろうか。


 自分を害するかもしれない存在。

 そんなものに、本当に話しかけてもいいのだろうか。


 不安が胸のなかを渦巻く。


 だが、それと同時に、いつの頃からか抱き続けていた好奇心が、これはチャンスだと話しかけてきた。

 これまでずっと知りたいと思っていたものが、すぐそこにいるのだ。

 こんな機会、今を逃したらもう来ないかもしれない。


 迷いのなかで、しかしミリルは好奇心には勝てなかった。


「い、いるわ!」


 言ってしまった。

 きっと、扉の向こうの相手にも聞こえただろう。

 じっとりとした汗が、背中を濡らす。


「やっぱり誰かいたんだ!

 ねえ、君は誰?」


 恐怖と、好奇心と、緊張で一杯一杯のミリルと違い、扉の向こうの声は、喜びに満ち溢れていた。


「ミリル、ミリルよ。

 あなたは?」


「僕はリュード」


 リュード。

 それが地下室の扉の向こうにいる、怖いことの正体なのだろうか。


「ねえ、あなたは怖いの?」


 聞いてから思ったが、そんなこと尋ねられて正直に答える相手が果たしているのだろうか。


「僕が怖い?

 うーん、格好いいって言われたほうが嬉しいかも」


「クスッ。

 なにそれ」


 ミリルは思わず笑みを溢した。

 初めは緊張したが、リュードの声からは、悪意のようなものは感じられない。

 とてもではないが、自分を害するような存在だとは思えなかった。


 それによく考えれば、この扉がある限り、リュードがこちらに来ることはない。

 リュードに傷つけられることもないのだ。

 そう思うと、途端に緊張がほぐれ、抑えられていた好奇心が爆発した。


「ねえ、リュード。

 この扉のそちら側には何があるの?」


「えっ?

 別に特別なものはないよ。

 普通だよ、普通。

 そっちは?」


「こっちも、これといってかわったものはないわ」


「そうなんだ。

 てっきり、お宝の山でもあるかと思った」


「そんなものないわよ」


 カラカラと二人で笑う。

 楽しい。

 リュードと話しながら、ミリルは確かにそう感じていた。

 この扉の向こうには、本当に怖いものがあるのだろうか、という新たな疑問とともに。


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