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 弓はキューピット館の隣の「らぶ&はーと」で売っていた。そこはキューピットグッズ専門ショップで、キューピット湯のみ、キューピットキーホルダー、キューピット携帯ストラップ、キューピットせんべい、キューピット饅頭、さっきのじいさんの顔の皿、コーヒーカップなどいろいろあった。


 弓のコーナーは充実していた。一般の観光客ばかりではなく田中のようなプロも買いに来るからだ。しかし、翼を持たないただの人間がそれを使ったところで、ただの弓でしかない。


 弓はガラスのショーケース入っていた。壁にも飾ってあった。弓は弦楽器のようにもみえる。洋風、和風、さまざまな形のものがあった。


 優慈は弓の値段を見比べた。一番高いやつは二十五万二千円で、一番安いものは九百四十五円だった。


 男の店員がいて、

「やあ、しばらく」と田中に気軽に声を掛けてきた。


 店員は「キューピットの里」のロゴがプリントされたピンクのトレーナーを着ていた。


 田中は親し気に挨拶をし、優慈を紹介した。

「この子は僕の教え子の優慈君。いい弓を選んであげようと思って」

「あんた、田中さんに教えてもらうんなら間違いないよ」店員は優慈に言った。「田中さんはかなり優秀なクピドだから」

「へえー、そうなんだ」

「今頃気づいたのですか」

「田中さん、別にすごそうにみえないから」

「優慈君は見かけで判断するのですか」

「見た目は大切だと思うけど」

「才能がある人間程、普通なものです」

「僕はなんて言うか、見るからにすごそうな人が好きだな。たとえ、そいつに才能がなくても」

「まだ、若いなー。だから、いつまでも青いんです」

「かちん」優慈は言った。「田中さん、僕、今の言葉にちょっと腹立っちゃった」

「あっ、ごめん、ごめん、優慈君には、若いという言葉は禁句でしたね」

「っていうか、ばかにされているようで」

「ばかになんかしてませんよ」

「いいや、ばかにしてた。もしくはばかにしようとしてた」

「坊主」店員が言った。「まだ、若いなー、というのはな、もうその話、これでよしにようや、という意味だ」

「そういうこと」田中が頷いた。

「あっ、よってたかって、今度は二対一なわけ」


 店員は優慈の言葉を無視して、

「これなんかどう?」お勧めの弓をショーケースの上に置いた。「しなりが女性のラインみたいで、僕は好きだな」

「優慈君、ちょっとひいてみて」と田中が言った。


 優慈は膨れッ面をし、天井を見ている。

「あれれ、何を怒ってるのかな。そうやっていじけていると、先生はほんとにがき扱いしちゃいますよ」


 優慈はショーケースの弓を乱暴に手に取った。その弦を力任せに引っぱろうとしたが、唸っても、向きになっても、ぜんぜん引けない。


「まだぺーぺーは無理ですか」

「ペーペーって言うな」

「じゃあ、パーパーだ」


 田中はまだふて腐れている優慈に苛ついた。優慈は本能的に田中の怖さを感じ取り、食ってかかるのをやめた。


「試験の時までは弓を引けるようにならなきゃ」

「弓の試験もあるの」

「ええ、実技試験が」

「でも田中さんに教えてもらえるなら、合格するよ」と男が言った。

「ちょっと手本を見せてあげようか」田中が言い、弓を持って優慈と外へ出た。


「あれっ、矢は?」優慈は聞いた。

「矢はありません」

「でも、弓に矢はつきものじゃん」

「君はカレーに福ジン漬けがないと駄目なタイプ?」

「割とね」

「既成の考えにとらわれちゃ、だめ、だめ」田中は語気を強めた。「本来、クピドはね、弓には頼らないの。弓は飾りで、実際は愛するものたちに寄り添って、そのものの肩に直接手を置き、クピドが感じた愛なり思いなりがブレンドされた『気』を送ってやるの。その『気』でそのものの心と相手の心をつないでしまうというわけ。これでカップルが成立する。でも、クピドの腕の長さは、百メートルもあるわけじゃない。場所や状況によっては人間に寄り添えない場合がある。特にクリスマスなどの忙しい時期はそんなに丁寧に仕事をやってる暇はないので、ビルの屋上から街中を歩く男女をまとめて結びつけたりする。そういう時に、直接肩に手を置く変わりに、弓を使って、『気』を飛ばしてあげるんだ」

「じゃあ、その『気』が、矢というわけ?」

「そう。優慈君は友達に彼氏や彼女を作ってあげたようだけど、無意識のうちにこの『気』を飛ばしていたんじゃないかな。でも、基本ができていないと、愛を正しく導いてあげられませんよ。弓を扱うのだって、力任せに引っぱったって弦は引けません。弦を引かせるのは愛のパワーです。そのパワーを指先に集めるには、まず愛を感じなければなりません」

「どうやるの?」

「まず翼を広げて、愛を思う。愛を感じるには、深呼吸をして、空気の香りや味わいを感じることから始めるといいでしょう。自然を感じることができると、空気の中に春の陽のようなポッとした温もりがあることに気づくはずです。それが愛です」

「そう言うことってさ、僕にも感じられるようになるわけ」

「もちろん、優慈君が努力を怠らなければね。私だって優秀だからできたのではなく、諦めずにがんばったからできたのですよ」

「はいはい、わかりました」

「要するに、才能なり取り柄なりを埋もらすなってことを先生は言いたいのです」


 ああ、田中はしつこい!


「わかったって言ってるでしょう。そんなことより、早く手本を見せてよ」

「じゃあ、軽く、やってみましょうか」田中は言い、あたりを見回した。「あそこにワイシャツの男がいるだろう。女の子たちと役場から出てきた」

「うん」

「あの男はね。いま、その後ろの後ろにいる女の子が結構好きなんだ。真面目そうににふるまっていても、ちょっといやしらく、その女の子とセックスをしたいと思っている」

「すけべおやじじゃん」

「でも結構一途だよ。本物の愛だ。さて、どのレベルにしようかな。急に手をつながせるか、それとも、女に男の愛を気付かせる程度にするかな」

「そんなこともできるの」

「普通のクピドじゃ無理、僕みたいに優秀なクピドじゃないとね」

「だったらさ、いきなりキスをさせてみて。わかりやすいから」

「じゃあ、そうしましょう」


 田中は見えない翼で男の愛を感じ取ると、携えていた弓を構えた。弦を引っぱるにつれ、指先から気のようなものがもわぁっと現れた。それは、もう一方の弓を支えている手のほうへまっすぐ伸びていった。白い気の帯は徐々に光の矢のように変わった。「心のままに」田中は唱え、「気の矢」を放った。それはワイシャツ男の心臓に真正面から突き刺さり、体を貫いた。後ろの後ろの女の乳房をぶるるんと揺らし、女の体の中に入った。男は振り返り、女は男に引き寄せられた。見つめる間もなく、二人はがしっと抱き合い、舌と舌で嘗め合うような激しいキスを交わした。


「とりあえずカードで」


 田中がたてかえ、優慈の弓(八千四百円)を買ったあと、二人はキューピットプリクラを撮った。それから愛野村名物のキューピット丼を食べた。具は鳥とホウレンソウとレンコンだった。


 午後二時ちょっと前、キューピットの館に戻ると、既に入口の前で二十人近くが恋愛相談の順番を待っていた。優慈は老人の仕事ぶりが小窓から見えるホール隣の控え室に入った。医者と看護婦は老人に付きっきりだったが、老人の係だった村役場のものがやってきて田中に名刺を渡した。キューピットの里推進本部長斎藤泰夫と書いてあった。優慈も名刺をもらおうと手を出したが、無視された。


「さっき翼を拝見しました。いやいや、田中さんのは立派でしたね」

「どうも」

「さすが、都会から来た人の翼は違うねぇ。こうなんか洗練されているというか」

「都会も田舎も、翼の立派さには関係ないと思いますが」

「関係ないって感じるのは、田中さんがに住んでいるからですよ。私みたいにずっとに住んでいると、やっぱり意識しちゃうんだよね。ところで、田中さんはクピド協会の人だよね」

「ええ」

「クピド協会はうちの村のことをどう考えているの」

「どう、と言いますと?」

「あのじいさんが死んでしまったら、この愛野村はどうなるのか。考えを聞かせてほしいの。あのじいさんはもう百四十四歳もこの地にいるんだよ。北海道にそんなに人なんていなかった辺境の時代から。だけど、北海道を開拓し発展させるためにはじいさんのようなキューピットがいて男女を結び付け、子孫を残すことがじいさんお使命だったんだ。えらいよな。海を渡って遠くからやって来た、昔の宣教師のザビエルみたいにさ。で、私もそうなんだけど、この村で結婚しているすべての人間がさ。あのじいさんによって結びついたんだよね。まあ、仲人みたいなもんだ。結婚してなくてもさ、例えば中学生とかでもつきあっている子がいるでしょう。その子たちもじいさんによって結びついたわけだ。そのじいさんがいるから、キューピットの里の評判が良く、この愛野村に観光客が集まってくる。でも、死んでしまったら、村はどうなるのかな。キューピットがいなくても、好きだからと言って、カップルになれるのかな」

「人間だけでは、カップルは成立しません」

「だろう。ってことはだ。あのじいさんが死んでしまったら、この村に新しいキューピットが生まれない限り、この村の人間は誰も異性と結びつかないということだ。これじゃあ、若い人間は村を出ていくしかないな。結婚もできない年老いたものだけになっちまう。その辺のことを、協会はどう考えているか、キューピットの里推進本部長として知りたいわけだ」

「あのぉ、僕は協会の人間としてここに来ているのではなく、この森村少年の家庭教師として来ているのです。そして、斎藤さん、あなたが知りたいのは、つまり、おじいさんが死んだ後の代わりのクピドのことを言いたいのですね」

「まあ、はっきり言えばそうだな」

「これは協会の、というよりも僕の個人的な意見として聞いてほしいんですが、おじいさんが亡くなってもおそらく協会はここに新たなクピドを、つまり新しいキューピットを派遣しません。というのはルールがあって、キューピットはやはりその地域に貢献することを基本にしているからです。ですから、男女が結びつきたいと思ったら、ここでいつか、おじいさんの代わりになるキューピットが生まれるまで辛抱強く待つしかないと思います」

「それはあんたの考えだな」

「ええ」

「うちの村はさ、協会にはもう相当の額の金をつぎこんでいるのだけど」

「お金を?」

「まあ賄賂みたいなものだ」

「協会はそんな金を受け取りませんよ」

「あんたは、甘いな。金で解決できるなら、これほど楽なことはないよ。それで、あんたがきた」

「僕が?」

「それともそっちの子かな」

「僕が?」と優慈は田中の声のまねをした。

「いや、この子ではないと思いますよ、この子はまだなにもできませんので。というと、じゃあ僕か。いやいやいや、待てよ」

「あんた、協会の上の人に言われなかった? キューピットの里へ行けって」

「ええ、確かに。上の人から、若い者に愛を教えているなら、気分転換に愛野村へ行ったらと言われましたけど」

「あ、さっき、この人、土産物屋の前の広場でカップルを一組作りましたよ」

 優慈は斎藤にチクった。

「余計なことを言わないの。大人の会話してるんだから」

「なんだ、田中ちゃーん、この村、結構気に入ってるんじゃないの。うちの村に来てくれない。空気もいいし、食べ物は美味しいし、皆親切だし、いいよ、愛野村は。家も建ててあげるし、なんなら嫁さんを紹介してあげてもいい」

「嫁さんですか」

「あっ、この人ホモだから嫁さんはいらないと思うよ」と優慈は言った。

「ホモ?」と、斎藤

「誰がホモやねん」と田中は関西弁でツッコミを入れた。「紹介してくれるのは嬉しいのですが、なにぶん、私はプロフェッショナルのクピドでして、嫁さんはもらえないのです」

「そうか、じゃあ給料を相当あげないとね。じいさんの分の医療や介護の予算をそっちへ回せるし、どうだろう」

「ああでも、ちょっと難しいな。僕は何て言うのかな、こうみえても都会が似合ってると言うか、こういう長閑なところは年をとった時に憧れを持つかも知れないけど、今は正直いって僕には似合わないっていうか、ああ、何て言ったらいいんだろう」

「よし、わかった。じゃあ田中さんさ、別の人を紹介してよ」

「おれ、代わりにやろうかな」と優慈。

「ほんとうかい」

「うん。おれさ、結構こういう自然のあるところ好きだし、いいと思うな」


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