お題:奴隷

 ベルが鳴る。お屋敷に旦那様が帰られた合図だ。

 私は掃除を中断し、荷物を預かるために階段を駆け降りる。

「おかえりなさいませ……そちらの子は?」

 帰られた旦那様の後ろには、鎖に繋がれた少女がいた。髪は泥だらけで、服は馬車の車輪に絡めて引き回したようにボロボロ。極め付けに、露出した肩に痛々しく刻まれた焼印。

 一目で奴隷だとわかった。

 そして、旦那様は晴れ渡るような笑顔で言う。

「拾ってきた! かわいいだろ!」

「ぐるるッ!」

 少女は獣のように唸り、旦那様の手に噛みついた。ぷしっ、という出血の音を久しぶりに耳にした。

「まあ……!」

「元気いいだろ! 五回噛まれた!」

 よく見ると右手にはいくつも噛み跡があった。そのどれもが歯形どころか生傷になっている。

「あとは任す!」

「承知しました。治療は……」

「問題なし!」

「はい」

 私は手荷物の代わりに少女を受け取り、そのまま浴場へ案内した。

「服を脱がせますね」

「…………」

 少女はさっきとは打って変わって大人しくなった。どうせ捨てるということで服はハサミで切り、次に手錠と首輪を外す。

「あら、鍵……そういえば受け取ってないですね。仕方ない……えいやっ」

 わざわざ受け取りに行くのも面倒なので、それぞれの連結部をへし折って外した。

「…………へ?」

「あら、大丈夫ですか? 破片が刺さったりしないよう気をつけたのですが……」

「て、鉄を……手で……?」

「ああ、ビックリされたんですね」

 たしかに、いまの私がそんなことをしたら驚くのも無理はない。前髪を上げて、私は深い刀疵が残る額を見せた。

「鬼人族なんです、私」

「その傷って……」

「鬼の角に薬効があるって話が流行ったらしくて、攫われた時に折られちゃいました。硬くて折れないから、頭を固定されて斧や鉈で何回も何回も……おかげで、もう生えてこなくなったんです」

 怪力が残ったのは儲けものですね、と茶化すが、少女は笑わなかった。旦那様ならお腹を抱えて大笑いされるのに……

「自由にならないのかよ」

 少女は真剣な面持ちでそう尋ねた。

「あんな奴ぶっ飛ばして逃げちまえば自由になれるのに、なんでやらないんだよ」

「うーん、お給金は貰えますし、お休みもいただけてるので十分に自由かと。……それに、旦那様には返しきれない恩がありますから」

 私は女の子にぬるい湯をかけて、石鹸で体を洗う。

「むむ、頑固な汚れです。……時間もかかりそうなので、昔話でも聞きますか?」

 少女は小さく頷いた。

「角を折られた後、私は奴隷として売りに出されました。けど、奴隷がどんな道を辿るかは同じ檻にいる人たちを見れば一目瞭然でした。酷いことをされるぐらいならいま死んだ方がいい、と思って、私は檻を壊して逃げたんです」

「捕まらなかったのか?」

「必死の思いで川に飛び込んだので逃げられましたよ。……そして、川辺に流れ着いていた私を拾ってくれたのが旦那様です」

「…………」

「旦那様は私の身の上を聞こうともせず、食事や衣類を恵んでくださいました。そして、「帰る宛てはあるか」と尋ねられて……もとより身寄りのなかった私が首を横に振ると、旦那様はニカッと笑って「じゃあここで働け」と言ってくださりました」

「……でも、こんなに広い家を一人で掃除しろなんて酷いだろ」

「メイドは私だけじゃありませんよ? いまは不在ですが、種族問わずたくさんの使用人がここにいます。……みんな、元は奴隷だったんですよ」

 少女は驚いた顔を見せる。

「旦那様は奴隷商人や誘拐組織を撲滅する活動をしていて、解放した奴隷たちには働く場を与えたり、故郷へ帰らせたりしているんです。……あなたは、帰る場所がなかったんですよね?」

 答えは聞かずともわかった。こんなに小さな体が、震えているのだ。とても残酷な現実を前に、私たちは何もできない。

「旦那様はあなたの意志を尊重してくださいますよ。街で働きたいならそうさせてくれます。学びたいことがあるのなら学校へも行けるでしょう。望むのなら、いつまでもお屋敷にいてもいい。あなたはもう、自由を手にしてもいいんです」

 体を拭いて、ドレスを着せる。間違えるほど綺麗になった少女は、慣れない服の裾を掴んでうつむく。

「……いっぱい噛みついた。あいつ、怒ってる」

「怒ってませんよ。むしろ「元気がいい!」と喜ばれていると思います」

「その通り!!」

 扉を開けて現れた旦那様は、少女を抱き上げる。

「かわいい! もはや国宝! 将来は女神か!!」

「お、降ろせ! 噛むぞ!」

「ふははは骨っこのように噛め! 俺は不死身だからな!」

 断言する旦那様だが、雑に巻かれた包帯からは血が滲んでいる。それに気づいた少女は、何度か逡巡して、おずおずと口を開いた。

「そ、の……怒らない、の……?」

「何をだ!」

「噛んだり、蹴ったりした……」

「子どもは元気が一番!」

「殴ったり、鞭で叩いたりしない……?」

「絶対にしない! もし俺がそんなことをしたらそこのメイドにチクれ! 俺が粉微塵になるまで叩き潰してくれるぞ!」

「責任を持って叩き潰しますね」

「怖し!」

 まあ、そんな日は来ませんけどね。

 自身が奇跡のように恵まれてきたからこそ誰よりも他者の幸福を願い続けるこの人がそんなことをする訳がありませんから。

「お前は今日から自由だ! いままでの人生が泥沼だったなら、俺はそこから抜け出すための足場となる。高くそびえる壁だったなら、登るための梯子となる。鍵のかかった扉だったのなら、その扉をぶっ壊す爆弾となる。どんな道だって歩ける! だってお前は今日まで生きてきたんだ! 祝福されて幸せになるのが罪であってたまるかよ!!」

 少女は祝福される。虐げられた記憶が、傷つけられた心が、刻まれた傷が消えることなんてなくても、それが気にもならないほど、全身全霊でその生命を讃えられている。

 猜疑心が消えずとも。世界への憎悪が消えずとも。

 この人の想いは不思議と心に響くのだ。

「さあ、お前は何がしたい?」

 今日もまた、一人の人生が始まる。


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