お題:恩
「旦那さまー、お茶を淹れましとぅあああっ!?」
「……怪我はないか」
「大丈夫ですごめんなさいいいい……!」
そそっかしい私は、このお屋敷で働き出してもう十年になるというのに失敗ばかりだ。
「またやったのかい。平気かい?」
「メイド長さん! カップは割れてないです」
「おバカ。怪我がないかと聞いてんだよ。……炊事洗濯掃除に針仕事まで家事全般はもうとっくに一流だってのに、旦那様の前だと上手くいかないねえアンタは」
「はい……どうも緊張しちゃって」
「雇い主にかい?」
「は、はい。ご存知の通り、私は孤児だったところを旦那さまに拾っていただいた身ですので、そりゃもう感謝してもしても足りないぐらいに恩を感じてまして……そんなことだから旦那さまの前じゃ失敗しちゃいけないって指が硬くなっちゃって……」
旦那さまがいなければ、こんな田舎育ちの娘なんてとっくにのたれ死んでる。旦那さまのおかげで私は幸せに生きていられるのだ。
メイド長は小さく頷くと、提案をした。
「一度、旦那さまにこう聞いてみな」
その質問で何が変わるのかまったく予想できないが、メイド長のアドバイスが間違っていたことなんてなかったので信じることにした。
私は旦那さまの書斎を尋ねる。
「だ、旦那さま。よろしいですか?」
「入れ」
対面すると、やはり緊張する。心臓が早鐘を打ち鳴らし、顔が内側からカッと熱くなってしまう。
熱が回りきって頭が茹だる前に、私は質問をした。
「旦那さまは、私をどう思われていますかっ?」
「……どう、とは」
「そ、その。私はいっつも失敗してばっかりで、旦那さまのお役に立ててるか心配で……」
「そんなことか」
旦那さまは呆れた様子だった。
「私にとってお前はメイドであり、紛れもなく家族だ。お前が紅茶をベッドにこぼそうが、夕食のスープを全部ひっくり返そうが、私はお前の怪我がなければ幸いなのだ」
「旦那さま……!」
「これからも家事を頼む。いつか、お前の淹れた紅茶をゆっくり楽しみたいからな」
「はいっ!」
それから数日後。
「旦那さまお茶をぉおおおっ!!」
転んでトレイから溢れそうになった紅茶を絶妙なバランスで静止させた私は、心の底から湧き上がる嬉しさを言葉にした。
「お茶を淹れました!」
「……ありがとう」
「えっへへ! ……す、すみません。一歩でも動いたらこぼすので受け取ってもらってもいいですか?」
完璧となる日は、まだ遠いけどね。
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