お題:未練

「卒業式おっつー!」

「って集まる場所はいつものお好み焼きか」

「まあまあ。今日はベーコンマシマシにして豪勢にいきましょー!」

 あまりに普段通りで、今日から高校に行かなくなるというのが嘘みたいだ。

「卒業の実感もないなー。大学だろ、そっち」

「そっちは家業継ぐんだっけ? 職人さんは大変だ」

「爺さんももう歳だから、俺が継がないとな。お互い忙しくなるだろうけど、まぁ時間あったらこうやってメシ食おうな」

「おうよ!」

 とりとめもない話を繰り返す、いつもの集まり。なのに、何故だか今日のコイツはから元気を見せているような気がした。

「なんかあったか?」

「……いや? それよりさ、なんか高校でやり残したことある?」

「やり残しなー……別にない。楽しかったし、部活も遊びもできたし」

「そっか……いやー、未練がなくて羨ましいな!」

 未練。

 そう聞いて、ふと遠い昔の記憶を思い出した。

「あー……高校でもないけど、未練はあったな」

「ほうほう?」

「小学生にもなんないぐらいの時、近所でよく遊ぶ女の子がいてさ。その子が好きだったけど、ある時からぱったりいなくなって……幼心に、さよならぐらいは言いたかったなーって」

 誰もが経験していそうなほど陳腐で、この会話がなければこの先思い出すこともなかったであろう淡い記憶だ。

「へー、初恋ってヤツだ」

「たぶんそうだった。なんでいま思い出したんだろうな」

「……あたしさ、ずっとやり残してることがあるんだよね」

 いつもの調子で軽く聞こうとしていたら、不意に合った目は真剣だった。それと同じぐらい、いまにも崩れそうな形を必死で保っているような危うさを感じた。

 俺は居住まいを正して、頷いた。

「小さい頃、ずっと遊んでくれた男の子がいたんだ。セミ捕りが上手くて、いつも元気で、優しくて……大好きだったのに、あたし知らん間に引っ越すことになっててさ。その公園がどこなのかすら、わかんなくなって、そのままずっと心に燻ってた」

「それって……」

「あたしが知ってたその子の情報なんて、ほとんど何もない。フルネームも知らない子のこと、ずっと覚えてたんだよ」

 俺だって、馬鹿じゃない。

 その男の子が誰なのか。俺の思い出した女の子が誰なのか。直線を引くより簡単に繋がった。

「お前があの時の……」

「待って」

 俺を制した手は、震えていた。

 真っ赤な顔で浅い深呼吸を繰り返す彼女の心臓は、爆発寸前なぐらいに早鐘を打っているのだろう。

「そっ、その子だって……すぐ、わかったよ。面影あったし、あんたの家の近くの公園を見たときに確信できた。……けど、こんな昔の記憶、後生大事に覚えてるなんておかしいでしょ? だから……怖くて、何も言えなかった」

「…………」

「これが、あたしの未練。…………こっ、これから先! また、道が別れる。あたしが知らない時間が増えて、あたしの想いだけが置いてかれるかもしれない。また……また、離れるかもしれない」

 連絡先を知っていたって、どれほど仲がよかったからって、その先もずっと関係が続くとは限らない。それは、中学生の頃の交友を見れば一目瞭然だ。

 二人で鉄板を囲むこの光景が、今日で最後の可能性だってある。

「あたし、後悔したくない。だ、だから……」

「ストップ」

「え……?」

 恥ずかしさに耐えて、自分の心を晒してくれた。そんな奴を前にして、俺だけシラフで告白を受けていてはフェアじゃない。

「……俺は、お前が大学に行ったら疎遠になるって思ってた」

「な、なんで?」

「よく知らないけど、大学にはいろんな人がいるんだろ? 悪い奴も、いい人も……お前は人を見る目があるから、俺よりずっと優しくて頭が良い人と幸せになるんだろうなーって思ってた」

 溢れ出す嫉妬に諦めで蓋をしてた。家族を理由にして、勉強をしなかった。

 なりふり構わず努力すれば、胸張って同じ道に行けたのに、それをしなかった。だから俺には、お前に添い遂げる資格はない。

「……でも、俺も後悔したくない」

「うん……!」

「だから結婚しよう」

 ピシリ、と。

 何か、目の前はおろか店内全体の時間が止まったような気がした。

「は、えあ……け、ケッコン?」

 空いた口が塞がらないといった様子だった。

 よく友達から言われた言葉が脳裏をよぎる。

『お前の恋愛観、重すぎ』

 やからしたと気付き、頭を下げようとしたときだった。

「……いまのなし、なんて言わないでよね」

「っ、それじゃあ……!」

「〜〜〜ッ! あー、もう! 幸せにしなさいよねバーカ!」

 俺が喜ぶのと同時に、店の全体から歓声が上がる。矢継ぎ早に祝福されながら食べるお好み焼きは、格別の味だった。

「美味いな」

「味なんかわかんない! あーもう恥ずかしっ!」

 そう言いながらゆるむ頬を隠す姿がなんともいじらしい。

「……悪い、やっぱ結婚は少し待ってくれるか? 職人として一人前にならないと、養えないし……」

「焦んないでいいよ。……ただし、婚約に甘えてあたしをぞんざいに扱ったらすぐ捨てちゃうからね!」

「わかってるよ。デートでもなんでも付き合う。なんなら家の合鍵でも作るか?」

「あいかッ……わ、悪くないじゃん……?」

 卒業式の後、二つの未練が消えた。その瞬間、二人はとんでもない高さの階段を駆け上ってしまったのであった。

 




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