お題:誘導

 梅雨時、ひさしぶりに月が出た夜だった。

「…………」

 彼は街灯のてっぺんで獣のように月を見上げていた。

「またやってる! 危ないよー!」

「え、あ……ごめんなさい」

 彼はするすると街灯を降りると、少し屈んで叱りつけた少女に頭を下げた。くぐもった低い声は、大型犬の唸りに似ていた。

「ごめん、委員長……」

「私に謝らなくてもいいけど……気をつけなよ。いくら体が丈夫だからって、あんな高さから落ちたら死んじゃうよ?」

「それは前…………なんでもない」

 異様に丈夫で健康な体は、少年にとって唯一自分が誇れる点だ。筋肉がつきやすく、高校以降も背が伸び続けている。

「俺はデクノボーだから……心配しなくていいよ」

「またそんなこと言ってる。たしかにちょっとボーッとしてるし、よく変なことしてるけど……」

 そう言っている間にも、彼は顔を月の方へ向けて放心してしまう。

「ねーえ。そんなに月が気になるの?」

「あ、ごめん……なんか、こう……蛾になるんだ」

「どういうこと?」

 少年は、近くの駐車場で青く光る街灯を指さす。

「殺虫灯……光に集まった虫は、電気で死ぬんだ。……俺は多分、月に毒や電気があっても近づこうとする。そういう風に、できてると思う」

「だから街灯に登るの?」

「ちょっとでも近づこうとしてるんだと思う……ぼーっとしてたら、知らないうちに」

 この口ぶりでは、本当にいつか大怪我をしてしまう。あまりに危なっかしい。

「しっかりしてよね。狼男じゃないんだから」

「よくわかったね」

「へ?」

「あ。……冗談だよ」

 ぎこちないジョークに呆れる少女は、仕切り直すように咳払いをして歩き出した。

「とにかく。今日は私が一緒に帰るね。放ってたらまた登りそうだし……」

「……俺みたいなのと帰らない方がいい。送り狼とか、あるし」

「心配してないよ。いい人だって私知ってるから」

「え……」

「身長差あったら目線合わせてくれるし、よく重い物運んでるし。でくのぼうなんかじゃなくて、優しい男の子だよ」

「う……」

 珍しく褒められた少年は動揺し、所在なさそうに手を右往左往させる。珍しい表情が気に入ったのか少女は笑顔を見せた。

「ほら帰るよ。月の代わりに私が誘導してあげる」

「……よろしくおねがいします」

 少女が先行し、少年は大きな歩幅でそれについていく。並ぶ二人の影が月に照らされて地面にできたシルエットには、パタパタと忙しなく揺れる獣の尻尾が映し出されていた。

 

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