お題:虹

 没落貴族に嫌気が差して逃げ出した旅の最中、迷い込んだ森で苔のむした廃屋を見つけた。

 野宿ばかりで疲れ切っていた体を癒すために入り込むと、そこには先客がいた。

「ごめんなさいごめんなさいぃ……!」

 頭を抱えてうずくまる少女は、子犬のように震えながら謝り続けていた。

「わ、悪い。野盗じゃないんだ。空き家だと思っただけで……」

「……ち、ちがいます。わたし、は……人に会っちゃダメなんです……ば、バケモノ、だから」

 溢れる涙に濡れた瞳は、埃だらけの薄闇においても星のように輝いて見えた。彼女の瞳は、美しい虹色だったのだ。

「虹の目……!」

 100年ほど前、大陸全土を病魔が襲った。治療法が見つからず、発症の恐怖に怯える人々はやがて狂気に駆られ始めたそうだ。

 その産物のひとつが、虹の目狩り。虹色の瞳を持つ者が病気に罹らなかったため、その目は万能薬になると信じた人間たちによって『狩り』が実行。結果として虹の目を持つ人間は全滅した、と学んだことがある。

「実在してたのか……」

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 現在、病魔は見る影もない。虹の目を求める狂った世界は俺が生まれるずっと前に消え失せた。

 もう、この少女を脅かすものも、虐げるものもない……というのは、都合が良すぎる話だ。

 虹の目に薬効はない。だが、希少価値は存在する。この少女を、あるいはその目を物珍しさから求める金持ちや悪党は山ほどいる。

 怯える少女に何があったのかは計り知れない。確実なのは、守られていた安穏に俺が踏み入ってしまったということだ。

「……謝るのは俺の方だ。ここで見たことは全部忘れる。きみはまた、静かな生活に戻るといい」

「え、あ……ど、どうしてです、か?」

「何がだ?」

「わ、わたしをこ、ころしたり、しないんですか?」

「……そんなこと、するわけない。きみは化け物じゃなくて人間だろ」

「にん、げん……」

 少女は心底不思議そうな顔をした。小さな手で、自分の形を確かめるように頬に触れた。

「わたし、も、にんげん……?」

「そうだ。少なくとも、俺はそう思ってる」

 少女は何度も自分を確かめる。虹色の瞳が熱く潤んで、涙が溢れた。

 彼女が泣き止むまでは、ここにいようと思う。

 尋ねられたら、何回でも人間だって返そう。

 いまはただ、それだけでいい。これからのことは、涙が止まってからでいい。

 雨上がりには、虹がかかるものだから。

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