お題:患者
事実は小説よりも奇なりとはよく言ったもので、ファンタジーめいた奇病というものは実在する。
精神科医の私が出会ったこの少女も、その奇病の持ち主だ。
「こんにちは。よく眠れた?」
応接室に入ると、少女は微笑んだ。
「はい、『眠れない』少しだけ」
普通の声と、ディレイをかけたように歪んだ声が同時に届く。この声はどうやら『彼女の本心』であるらしい。
小さい頃から周囲の目を気にして『いい子』を演じ続けてきたこの子は、いつからか本音と建前の区別がなくなった。それを自覚しながら嘘ばかり吐いていたら、自意識に関係なく本音があふれ出るようになったのだ。
「勉強はどう? 動画の授業は疲れるでしょ」
「いえ、『つらい』平気『やりたくない』ですよ」
「そっか」
口を開くたび、この子は追い込まれたような表情をする。マイナスな言葉を言うたびに嫌われるという強迫観念に囚われているのだ。
他者がいくら「そんなことない」と励ましても、焼け石に水だ。他人の心を確実に理解する方法が無い以上、根本的な解決の方法は自意識を変化させるしかない。
現在はその準備期間。落ち着いた環境で、心の余裕を持たせるのが第一歩となる。
「紅茶でも入れるわね」
「……あ、あの」
おずおずとした声で、少女は尋ねる。
「どうして、『怖い』優しくして『わからない』くれるんですか?」
「患者だからよ?」
当然の返答に、少女は戸惑いを見せた。
「私は同情や憐みで優しくしてるんじゃないわ。あなたは心の病を持った私の患者。それを癒すのが私の仕事」
「仕事『冷たい』なんですか……」
「ええ。ドライな関係よ。ただ、私は患者のために全力を尽くすわ」
全てが本心だ。本心を伝えなければ、本心を汲み取ることはできない。
私は神じゃない。俯瞰だけで全てを理解できるなんて思い上がりは絶対にしたくない。
「喋りたくないの? そんな歪んだ声じゃなく、あなた自身の声で本当の心を」
「……話したい、です」
歪みの無い、綺麗な声だった。
「言えたじゃない」
「あ、え……『恥ずかしい』」
「気にしないの。これから慣れていけばいいんだから」
私は椅子に腰かけて、ペンを握った。さあ、仕事といこう。
「まずは好きなものの話をしましょう。あなたの声、聴かせてね」
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