お題:点滅
今日、俺がダンスのサークルに顔を出さなかったら。
今日、俺が自転車を使っていなかったら。
今日、俺が点滅する信号に捕まらなかったら。
「先輩……?」
小さな可能性を考えるだけでゾッとする。
道路から脇に外れた小道で、女性が倒れていた。鮮烈な赤をひとすじ差した黒髪に金魚のイヤリングという目立つ特徴は、紛れもなくさっきまでダンスを教わっていたサークルの先輩だ。
すぐそばでひっくり返った自転車が、歩行者信号の点滅でぬらりと照っている。
俺の脳裏をよぎったのは、事故と強盗の二択だった。
「大丈夫ですか!?」
「んぁ……」
肩を揺らすと、先輩はのそりと起き上がる。
「先輩! 怪我してないですか? 事故盗ですか!?」
「言葉がフュージョンしてる……とりあえず落ち着いて……ふぁー」
のんきにあくびをすると、先輩はぐぐっと背中を伸ばした。
まさかの可能性に思い至り、俺は恐る恐る尋ねた。
「……寝落ちっすか?」
「うん。そうみたい」
あっけらかんと答えるので、心配が一気にほどけて俺は膝をついた。
「たまにやっちゃう。最近は頭使い過ぎたから……」
普通ならそんなわけが、と思うところだが、この先輩なら納得するしかない。
何せ、彼女は本当の天才タイプだ。ダンスに限らず、自身が興味を持った事柄に関しては狂気的なまでに追究し、自分の血肉にしてしまう。今日も、周囲が休憩している最中も表現の方法を探して踊り続けていたのだ。
「凄すぎますって……」
「そうでもない。きみだってがんばっている」
「俺なんか比べもんになりませんよ。今日だって誰にも何も言われないし……」
卑屈な自嘲を見て、先輩は不思議そうに尋ねる。
「何も言われないのが、なぜにいけない?」
「何も言われないってことは当たり障りがないってことですよ? ……ダンスがつまらないって言われてるようなもんじゃないですか」
「それは違う」
割と鋭いチョップが脳天に入る。眉間に火花が散った。
「づぅ!?」
「……いたい」
「慣れないことをフルパワーでしないでください……!」
「……厳しく注意されるなら、上達を期待されているということ」
先輩はとつとつと語り始めた。
「優しく指導されるなら、まだ伸びしろがあるということ」
「……じゃあ、何も言われないのは何なんですか」
「問題がないということ」
額に指を突きつけられる。
「それ即ち、
「アレンジ……」
「ダンスに上手いも下手もない。振付を覚えたのなら、あとは自己に埋没するだけ。それが個人のクセであり、表現であり、魅力になる」
小さな唇の微笑みが、信号の点滅で煌めく。
「自信を持って。きみはもうスタートラインに立っている」
「……ちょっと自信つきました。ありがとうございます」
「後輩を導くのも先輩の仕事……んぐぅ、眠いしお腹すいた……」
「ハンバーガーでも食べて帰ります? アドバイスのお礼に奢りますよ」
「何をしている後輩はやく行こう」
俺が先輩の胃袋が宇宙だと知ることになるのは、この五分後のことである。
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