お題:視界
湖畔にあるこの町では、よく霧がかかる。
数メートル先も見えなくなる霧の中では、歩行者もライトを付けていないと事故に遭いかねない。
夕暮れの中、今日も霧。夕陽と夜の狭間で、目が眩みそうな色彩が視界を覆う。俺がホラーゲームの登場人物だったら、このまま異界に迷い込むことだろう。
「…………」
しかし、これは現実だ。タチが悪いことに、現実なのだ。
霧の奥に影が降りる。極彩色を纏う漆黒が揺れる。
やがて、『ソレ』は人の輪郭を持ち始めた。何も知らずに往来で出会ったなら目を引かれるような着物姿の綺麗な少女が、「おいで」というように手を招く。
正体はわからない。ただ、俺はひい爺ちゃんから『霧の中には神が住む』と聞いたことがある。ひい爺ちゃんの友達は神隠しに遭った、とも。
つまりは、そういうことだ。
「あふふ」
笑い声は反響し、水面の波紋のように重なり合う。気を抜けば、自分がどこを向いているのかすらわからなくなりそうだった。
俺は見えていないフリをして通り過ぎた。こういったモノに出会ってしまったとき、最大の悪手は誘いに乗ること。次点は踵を返すことだ。
何度か『ソレ』に遭遇したが、いままでも無視することで回避してきた。可能な限り自然を装い、通り過ぎていく。
「――――逃がさない」
鈴の音にも似た声が耳から脳内を蝕む。心臓が跳ねた。呼吸が止まる。
「え、は……ぁ――ッ……!」
全力疾走した直後のように、心拍が耳元で響く。膝から力が抜けて、立っていられなかった。
顔を上げる。少女は、微笑んでいた。
「あふふ。やっぱり。似てる。似てる。あの時、さよならしちゃった、あの子に」
少女の手が頬をなぞる。白く細い手は、心地いい冷たさで俺をすくい上げる。
目を逸らせなかった。少女の瞳孔は夕暮れの霧のような色をしていた。
「一緒に、行こう? あふふ。お話、しましょ? ずっと、ずっと、ね?」
もう、逃げられない。
視界の中心に、極彩色が焼き付いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます